ホンネ
2021.05.01 ワンピース脱がしました(意味深)
食事は出前を取ることにしたらしい。
スマホを取り出したつつじと芹緒が廊下ですれ違う。そのままつつじはどこかに電話を始めた。
「芹緒様」
トイレから戻ってきた芹緒が座ろうとするとさつきが立ち上がってそれを制する。
「スカートを穿いて座る際は、こう、お尻からスカートを手で流してお座り下さい。そのまま座ってしまうと皺が付いてしまいます」
さつきが自分でやって座って見せながら芹緒に諭す。
家に着いた時はそのまま座っていた。お尻に手をやると既に皺が付いていた。
トイレに行くときにそれが見えて指摘してくれたのだろう。
「確かにそうやって女性は座ってますね、すみません、気をつけます」
芹緒も軽く撫でつけながら座る。
「いえいえ。私たちも女性の仕草について全部教えられたらいいんですけど、やっぱり見ないと気付けなくて」
「美琴さんが恥をかいてはいけませんからね。気付いたらすぐに言って下さい」
「芹緒さん」
美琴が声をかけてくる。
「なに?」
「芹緒さんは九条家では私の被害者ということで客人扱いなんです。もっとこう、しゃっきりしていいんですよ? 私の事も美琴って呼んでくれても」
美琴が芹緒の体でしっかりと姿勢を正しながら言う。
「さすがにお嬢様を呼び捨ては出来ないよ」
「芹緒さんは私と運命共同体。もう今更だと思うんです」
「いやいや」
「そうです。私たち三人は芹緒殿のメイドでもあるのです。下手に出なくても良いのです。特に私はもっと顎で使って下さっても」
「いやいやいや」
さくらはそう言ってくるが、芹緒にそんなつもりは全くない。女性を、誰かを顎で使うという考え自体持てない。
「私は美琴さんの身体をお預かりしている身です。皆さんのことは美琴さんの身体と精神をお守りする人と認識しています」
「芹緒様、言ってはなんですが今回の体験は世界中どこを見渡しても有り得ないものです。私たちは九条家の者ですが芹緒様の言動について何も伝えませんし、何も言いません」
電話が終わったのか、つつじがそんなことを言いながら戻ってきた。
「いやいやいやいや」
芹緒は頭を振る。
「冗談はやめて下さい。僕の見た目を見たら分かるでしょう? こんな自制も出来ないゴミにそんな」
「よしよし」
芹緒の自虐は背中から抱きしめられたことで中断させられた。
さつきが芹緒を強く、しかし優しく抱きしめていた。
「な、何をしてるんですか!?」
背中に当たるさつきの大きな胸の感覚にドキマギしながらも芹緒はその手を振りほどこうとする。が今は小さな美琴の身、すっぽりと抱きしめられてしまって身動き出来ない。
「芹緒さんは何もしない」
美琴がそんな芹緒の目をじっと見つめながら言う。
「少なくても私の身体にいる間は」
「当たり前だ」
「じゃあ」
「元に戻ったらまた自殺するんですか?」
「……!」
思わず芹緒は目を逸らしてしまった。
「……やっぱり。私はおじさんに会うことで救われたんですよ」
嘆息しながら美琴が言う。
芹緒は首を横に振って訂正する。
「僕じゃなくても、いつか君は力を発揮していた」
「でもあの時会ったのは芹緒さん、あなたなんです。あなたに会ったおかげで私は運命が変わったんです。これは事実です」
「あなたは諦めているんですよね? もう今の自分では何も変わらない、と」
「でも今は違うんです。自慢みたいであれですが、私可愛いんです。芹緒さんは今可愛いんです。若くてピチピチでお金持ちのお嬢様なんです」
「……美琴さんは、ね」
「私はあなたを救いたい。来世じゃなくてこの現世で」
美琴の言葉が芹緒を射抜く。
「変わってるじゃないですか。宝くじが当たったようなものじゃないですか。ね? 人生を楽しみましょう?」
美琴が芹緒の頬を拭う。
芹緒はいつの間にか涙を流していた。
「だ、だめだっ!」
芹緒はさつきの腕の中でもがく。
「こんなダメな僕が幸せになっていいわけがないっ!!」
「どうして?」
美琴の問いは甘い誘惑だ。
だが芹緒の心の中の神さまが芹緒を許さない。
芹緒の今まで全てを知っている神さま。
言い訳も。
愚痴も。
自堕落も。
怠惰も。
傲慢も。
ぜんぶぜんぶ知っている。
だから芹緒は自分に出来るだけの小さな精一杯をする。
自分ではなく。誰かのために。
自分が愛されないのは自分が男だからという理由をつけて。
愛されたいから来世を望む。
誰かを愛することも出来ないのにただただ愛されることだけを望むこども。
ピンポーン
この和室の神妙な空気を粉々に砕くチャイム音は芹緒にとって救いだった。
「はーい!!!」
モニターホンに向かって張り上げた芹緒の声はやはり可愛らしい声だった。
「私が行きます。支払いもありますし」
苦笑しながら立ち上がるつつじの背中を見て、芹緒はもう一度叫んだ。
「メイド服!!!」
出前は九条家お抱えの仕出しだったらしい。
来訪者はしがないマンションの一室から現れたメイドに気圧されることなく立ち去っていった。
出された料理はとても豪華なものだったが、芹緒には味は全然分からなかったし喉も通らなかった。とてもそんな気分じゃなかった。
美琴は芹緒の姿で上品に食べていた。
「ごちそうさま」
芹緒はそう言って立ち上がると部屋を出かけ、そこで振り向いて言った。
「僕の部屋には入らないで。なんのおかまいも出来ないけどごめんねっ!」
それだけ言い切ると芹緒はベッドがある自室に飛び込んだ。
そして独り暮らしではかけたことのなかったドアに初めて鍵をかけた。
部屋はすでに真っ暗だったが電気は点けない。
「……はあ」
芹緒は深く大きくため息をつき、ワンピースを脱ごうとしたが頭が通らない。
首の後ろに手を回すとボタンの感触。
少しもたつきながらもボタンを外しワンピースを脱ぎ捨てた。
軽い。
ワンピースがかすかな音を立てて床に落ちる。
それを聞くこともなく、芹緒はベッドに倒れ込んだ。
普段芹緒の体重でギシギシとがなり立てるベッドは、今の小さな芹緒が倒れ込むとなんの問題なく受け止めた。
普段触り慣れてるはずのシーツが、違う感触だと皮膚が伝えてくる。実際には違うのは芹緒の肌であり、シーツと芹緒は変わっていない、はずだ。
何はともあれ、ようやく手に入れた一人の時間。
芹緒は人付き合いが苦手だ。
顔や名前を覚えられないのもあるが、他人のエネルギーにあてられる。
自分の居場所を見つけられない。
賑やかなみんなの輪に入れない。
輪の外に、ぽつんと一人。
いつも芹緒はそんなイメージを抱いている。
それだけに今日は大変な一日だった。
女体化から始まって九条社長との話し合い、家に帰ってきたと思ったら女性だらけ。
トイレの音を聞かれ、抱きしめられ、女の子に諭されかけてしまった。
「はあ……」
胸が苦しい。
そうか、ブラジャーか。僕は今ブラジャーをつけている変態か。
違う、今の僕は女の子だ、美琴さんになってるんだ。
なんだそれ。
来世へのご褒美として女の子を夢見ていたのに。
これはチートすぎる。
ご都合主義すぎる。
「……」
ワイワイと彼女たちの声がちいさく聞こえる。
構造的に隣り合った部屋なのだし、小さな賃貸マンションに防音など期待はしていない。笑っているわけではないのだろうが複数人の声に切なく胸が締め付けられる。
「んっ……」
上半身を起こして背中に手を回す。たぶんこうだろうと思いながらブラジャーのホックを外そうとし、外れた。
ブラジャーをテーブルに放り投げ、再び仰向けになる。
「……」
両手で胸をわしづかみしてみようとするが、仰向けの体勢のためか、ふんわりとした感触しか捕まえられなかった。それもぷるんと逃げていく。
「……」
股間へ下着越しに手を伸ばす。
何もない。なめらかだ。
ただただ柔らかい肉の感触が伝わってくるだけ、そして身体の中心で指が肉に沈み込む。
芹緒は慌てて手をどかす。
やけになって触ってみたが、羞恥と不安と後悔が襲いかかってくる。
改めて女だったこと。
知らない身体なこと。
そしてあんな性格が良い子の身体を触ったこと。
頭がぐちゃぐちゃになった芹緒は鼻をすすると身体を丸めて横になる。
目を閉じるとすぐに眠りに落ちていった。
「僕の部屋には入らないで。なんのおかまいも出来ないけどごめんねっ!」
そう言って出て行く芹緒の背を四人は黙って見送った。
「……」
しばし食卓を沈黙が支配し、食事をする音だけが響く。
「怒らせちゃったかな」
ようやく口を開いた美琴が背を丸める。
芹緒の体では正座は一分と持たないのであぐらをかいている。おなかも出ているのでとても楽だ。
「怒るというか恥ずかしがってらっしゃるようでしたね」
つつじが気にした風もなく言う。
「私が抱きしめたのがいけなかったかな……。でもつい抱きしめたくなっちゃって」
さつきもしょんぼりしている。
「芹緒殿は自罰的というか、あまりにも自分を落としすぎているように感じます。自己評価が低すぎる」
さくらも言う。
「お嬢様」
つつじが美琴に声をかける。そしてこの部屋だけに聞こえる小さな声で
「―――お嬢様が男になりたいと言うのはごまかしで、本当は芹緒様のためにそう言っているのでは? 芹緒様が立ち直れるように」
「ううん」
が、つつじの言葉を美琴は明確に否定する。
「えっ」
「そんな……」
さつきとさくらも小さく声を上げる。
「私は今まで生きてきた十三年で女で良かったと思ったことなんて一度もない。特に家みたいな古い価値観が残っているところなんて嫌だった」
宣った。
「芹緒さんは黙ってたけどね、芹緒さん、来世女の子になりたいの。芹緒さんは男が嫌で私は女が嫌。ぴったりなんだ。……私たちが入れ替わったのも本当に運命だったのかも」
「お嬢様のお気持ちは分かりました」
つつじは顔をしかめながら言う。
「元に戻れなければ、お嬢様の力が発動したことを証明出来ず、お嬢様になった芹緒様は紫苑様と結婚しなければなりません」
美琴の許嫁、紫苑鷹秋の名を敢えて出す。
「旦那様はお嬢様の力の発動を条件に婚約破棄されるはずです。どうお考えですか?」
「私あの方嫌い」
またも叩き切る。
「私より二周りも年上なのに、私みたいな子供をイヤらしい目つきで舐めまわすように……もう!つつじったら!!」
聞くだけで嫌な名前を出したつつじをジロリと睨みつける。
「申し訳ありません。ですが芹緒様はそれ以上に年上ですし舐めまわすように見るどころか、全身くまなく見られてしまいますよ? もうおトイレもしちゃいましたし」
さつきが指摘する。
「う、うう……恥ずかしいけど! でも芹緒さんならいいかなって思うんだ」
「お嬢様、厚意を勘違いしてはいけませんよ」
さくらが諭すように言う。
「芹緒様に気を許しているのは分かります。私たちも信頼しています。ただ、それが恋かどうかまだ決めてはいけません」
「こ、恋!?」
美琴がすっとんきょうな声を上げる。
「さくら、話が飛躍しすぎです」
つつじがさくらに冷静にツッコミをいれる。
「婚約破棄するだけなら元に戻れば終わります。男性になりたいのでしたら改めて芹緒様に伺うか、他の方を探せばよいことです。―――妥協しなくてもよろしいのです」
「もっと若くて素敵な男性の体と入れ替われるかもしれませんしね」
つつじの言葉にさつきも続ける。
「……わかんない」
ぼそりと美琴が言う。
「あの夜、おじさんはとても寂しそうだった。苦しそうだった。私は子供だから何も出来ないって思った。でもおじさんと入れ替わって、私はおじさんを一時的に救うことが出来た。でも元に戻ったらおじさんは死を選ぶ。……これってただの同情なのかな? 私わからない」
「……お嬢様の身体に突然入れ替わるハメになった芹緒様はともかく、他の方に好き放題されたくない、とは思いますね」
お嬢様は芹緒様に気をかけすぎている。
そうつつじは内心で結論付けて言う。
「今はお嬢様が芹緒様にご迷惑をかけている状態です。まずはお嬢様が力を自在に操れるよう修行あるのみですね。その先は今は絵空事です」
「私は芹緒様可愛いと思うよ。なんだろう母性が揺さぶられちゃう」
さつきがキャーと両手で頬を押さえながら言う。
「私はよく分かりませんが、お二人の安全を守るのみです」
さくらは自分の役目を言う。
「うん、ごちそうさま」
美琴はそう言って立ち上がる。
「私も芹緒さんの体を大切にしないとね。ちょっとジョギングしてくる」
「では私もご一緒に」
さくらも立ち上がる。
「さくら」
つつじが声をかける。
「さすがにメイド服で街中をうろつくのは止めた方がいい」
「わかってます!!」