第五十七話 雌伏
「改めさせてもらうぞ?」
芹緒を抱き抱えた服部は、芹緒が何か隠し持っていないか確認をするため、目の前のさくらにそう宣言する。
「変なところを触るなよ」
さくらは頷きつつ釘を刺す。
「変なところに発信機を仕込んでいなければな」
「死にたいか。お嬢様にそんなことをするか」
服部は芹緒の身体をパジャマの上からサッと検分し、スマホ以外の機械類が持たされてたりしていないことを確かめると、スマホを投げ返し、表情を崩さずただジロリとさくらを見やる。
「いつからだ?」
「今日から」
抱き抱えられた芹緒は、二人の会話で自分が今生理中であることが男にバレたことを理解し、青い顔が赤くなる。
(は、恥ずかしすぎる……)
「これを持って行ってくれ」
さくらはそう言って白いフリルに彩られたピンク色の小さなポーチを芹緒の身体の上に置く。
「生理用品か」
「ああ」
(初対面の、しかも誘拐犯にこんなこと知られるのってないよ……)
芹緒の羞恥が極まる。
「配慮はしてやる。さらばだ」
服部はそれだけ言い残すと高速道路の縁に立ち、芹緒を抱き抱えたまま躊躇なく飛び降りていき、さくらの目の前から消えた。
(お願い、美琴さんの身体を助けてね……)
芹緒の想いだけをその場に残して。
「さっきのことは理解したわ」
服部が去って人払いの効果が消え、交通量の増えてきた高速道路を降り、近くのコンビニの駐車場に車を停めたところで、つつじはようやくさくらから説明を受け、冷静さを取り戻していた。
「それでこのあとは?」つつじはハンドルに顔を乗せながらさくらに問う。「無計画という訳じゃないんでしょう? 教えて」
「おさらいですが」さくらはそう前置きする。「あの男、服部一の『契約』術は強力ですが、依頼主が言った一言一句が契約になるため、依頼主であろう紫苑鷹秋が想定していない抜け道はあるということです」
「九条家関係者、警察関係各所に知られることなく……。私たちは芹緒様の近くにいたから問題なし。さつきや護衛部隊には知られてはいけない?」
「はい」さくらはつつじの問いに頷く。「紫苑鷹秋の存在は、捜査で名前が浮上することが問題であって、私たちが類推するのは問題なしです」
「穴だらけじゃない」つつじは文句をたれる。「で?美琴様は今身体と心が別れて二つになっているから、あの契約内容では、紫苑鷹秋に芹緒様を届ける前に止まるかもしれないと? そんなのいったん芹緒様だけ連れていかれたらお終いじゃない」
「ありえないでしょう」さくらは断言する。「九条美琴は身体と心が揃って九条美琴。身体だけでは九条美琴足り得ない。『九条美琴』と指定されてる以上、服部が誤解していても『契約』がそれを許さない」
さくらは続ける。
「彼は必ずどこかで足留めを食らう。その間に戦力を集めて、服部が紫苑に芹緒様を渡した瞬間を叩く。そうすれば服部は契約満了で私たちの敵ではなくなる」
「戦力はともかく、『渡した瞬間』ってどうするの? すぐに芹緒様を人質に取られてお終いじゃないの?」
つつじの言葉にさくらは少し黙り込む。
「……紫苑鷹秋が依頼人であることは分かっているのです。まっすぐ向かって服部との距離を詰めましょう」
「当たって砕けろってことなのね」
「今の服部相手では誰も太刀打ち出来ません。契約満了を見越したこれからが大事なのです」
そう言ってさくらはスマホを手に取る。と同時にスマホが震え着信を知らせる。さくらは通話ボタンをタップする。
「相川さくら隊長だ。さたななあまやりなたもばひだ、すまん、ノイズが乗った、何も問題はない、では」
「これで護衛部隊には連絡完了ね」
さくらの話し声を聞いていたつつじがそう声を零す。
さくらは他人が聞いても分からないよう、現状を暗号化して副隊長に伝えていた。
『訓練という体で準備し待機せよ、こちらからの連絡で出動』
そんな内容だ。
美琴の護衛部隊の隊長はさくらだが、男性の副隊長がさくらより弱いというわけでも、さくらが副隊長より弱いというわけでもない。
護衛対象が女性であるが故にさくらが隊長となっているだけで、二人の実力は伯仲している。
……男性と互角という時点でさくらは傑出しているのだが。
有事を想定した訓練は常に行っている。
それを知るつつじは再びリムジンに、そして心にエンジンをかける。
戦力は準備した。
まだ私たちは負けていない。これからが逆襲だ。
「!」
病室で寝ていた美琴は跳ね起きた。
すぐに辺りを見渡すが昨日までと同じ、病室の風景がそこに広がっている。それでも何度も目をしばたかせる。
先ほど見た夢はあまりにもリアルだった。
つつじが運転するリムジンが捕まり、さくらが手も足も出ない。
『契約』術とかいう訳の分からない言葉も聞こえた。
それに対して僕が考えていることも聞こえた。
そして私は連れ去られた……。
(芹緒さんの視界や思考がリンクしてる?)
美琴が芹緒やつつじたちと離れて四日目。
出来る範囲の脂肪吸引はあらかた終わり、今日は体を休める日にされていた。
いくら九条家がお金を積んで強行した手術でも、美琴の体力が保たなければ意味がない。
美琴は体を起こし、改めて『契約』の内容と芹緒の思考を思い出す。
(私も九条美琴だから知っても契約の範囲外。逆にさつきには教えられない、と)
美琴はこれを夢と片付けなかった。
九条家に力ある者が存在する以上、九条家以外にもいてもおかしくない。
おかしいのはこのリアルすぎる夢だ。こんな力が自分に合ったのか? まあ分からないことはあとで芹緒に聞けばいい。
美琴はすぐさまさつきを呼び、レンタカーを用意させる。
その間にも美琴は思考を進める。
父道里が九条美琴と紫苑鷹秋との許嫁解消を九家内に発表して一週間ほど。
正式な会議の場でなければ許嫁の解消は承認されない。
このタイミングでこんなバカなことをする人間なんて、美琴の知る限り一人しかいない。
美琴の元許嫁、紫苑鷹秋しかいない。
……美琴がこれから紫苑に近付くということは、男が『契約』を進める上で利することになるが、逆に男がいったん芹緒を紫苑に渡さなければ、紫苑を糾弾することが出来ない。
芹緒が誘拐され、紫苑の元にいること。
それを現行犯で確保すること。
これが紫苑鷹秋を失脚させ、二度とこんなことを出来ないようにする条件だ。
(『美琴さんの身体を助けてね』?)
芹緒の想いに冗談ではない、とばかりに美琴はまだ手術明けで万全でない体に鞭打ち立ち上がる。
(私の芹緒さんに怖い思いはさせないけどね!)
「せ、芹緒様。車の準備出来ましたが、どちらへ?」
何も知らないさつきがそう言って病室に入ってくる。そして立ち上がった美琴を見て目をパチクリさせる。
「真面目な話だからよく聞いて」美琴は驚いているさつきの肩に両手を置いて話す。「これから僕の言う通りにドライブしよう。さつきさんは何も考えちゃいけない。私の指示に従いなさい。わかりましたか?」
最後は元の美琴の口調に戻っていた。
そう言えば病院に来てから手術後の姿を見せるのは初めてだった、と美琴は後から気付く。
だが美琴の言葉を受け一瞬で表情を引き締めたさつきは静かに一歩後ずさり、スカートの裾を両手でつまみ上げて膝を少し曲げる。
「承知いたしました」
リムジンをひたすら紫苑邸へ向け、高速を爆走していたつつじは、後続車の合図に気付くと、軽く舌打ちをしつつも最寄りのパーキングエリアに入りリムジンを停める。
後続車の助手席に座っている桜子の顔を見つけてしまっては停まらざるを得ない。
お嬢様たちの相手をしているヒマはないのに!
「お急ぎのところすみません」
運転していた桜子付きの使用人、吉沢が車から降りて、同じくリムジンから降りてきたつつじにそう声をかけ頭を下げる。
「あとはよろしくお願いいたします」
吉沢はそう言うとさっさと自分の車に戻り、パーキングエリアを出て行ってしまった。
「はい!?」
「優香様の危機、私たちもお助けしたいです」
取り残されて事態が把握出来ないつつじに、桜子が声をかけてくる。
「私は力が使えます。効果は『ウソを見抜くこと』」
「!!」
桜子の力の開示と続く問いかけに、つつじは言葉が詰まって何も言えなくなる。
だが桜子はウソを見抜けると言っている。つつじが言葉に詰まった時点でアウトだ。
「ちなみに、私も、力使える。心、読める」
傍に立つ葵がつつじにそっと話しかける。
「アタシたちは味方だよ。優香さんを助けたいの」
つつじは再び頭が混乱する。
力があるとは言え、どうしてこの子たちが芹緒の危機を知っているのか。
伊集院家、芹澤家、中川家のお嬢様たちを連れて行っていいものか。
「つつじ」そんなつつじを窓から顔を出したさくらの声が支える。「まずは車へ。詳しいことは車内で聞こう」
「失礼する」
「お邪魔いたしますわ」
「失礼しまーす」
三人のお嬢様たちはさくらの言葉にこれ幸いと次々にリムジンに乗り込む。
「落ち着きなさい、つつじ。あなたは美琴様のメイドなのよ……」
つつじは自分を鼓舞するようにそう呟くと、確かな足取りで運転席に戻った。
「確認したい」さくらは全員がリムジンに乗り込むと口を開く。「なぜここに?」
「優香が拐われる、現実としか思えない夢を、見た」葵がそう答える。「スーツ姿の男が、『契約』術、とやらであなたを圧倒していた。あなたは取引を持ちかけ、男はそれに応じた」
「……葵様の力はテレパシーですのね」
「違う」つつじの肯定を含んだ言葉に葵は明確に否定する。「私の力は、感情を読む、だけ。近くにいる人しか、読めない」
「じゃあどうして……」
さくらも呻く。
葵の言ったことは事実起こったことだ。だがその事実を葵に届かせる力なんて……。
そこまで考えてさくらは気付いたことを声に出す。
「芹緒殿の力……?」
「ええと」片手をあげて桜子が会話に加わる。「葵との会話はまどろっこしいので、私が先ほど葵から聞いた話をかいつまんで説明させていただきますわ。葵によると、『自分の力が優香様の力によって拡張されたのではないか』とのことです」
「芹緒様が自分の意思で事実を誰かに飛ばしているわけではない?」
「ええ」桜子は頷く。「私や姫恋様には優香様の言葉は届いておりません。力を持たない姫恋様はともかく、私は力を持っています。何が違うか考えたところ……」
桜子が言い淀む。そこをすかさず葵が爆弾発言をぶち込んだ。
「体液交換したから、私の力が強くなった」
「「!?!?」」
つつじとさくらの声にならない悲鳴がリムジン内に響き渡る。
「キスですわ、キス!」顔を赤らめた桜子がそう声を張り上げ、場を収めようとするが
「ねっとり、舌を入れた」葵はさらに煽る。
「ねえ、早く車出したほうが良くない?」
姫恋の正論が車内に小さく響いた。
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