第五十五話 生理
「ううん……」
寝息に包まれている部屋の中、芹緒は下腹部に襲いくる痛みの波に目を覚ました。すでに脂汗をびっしょりかいている。
(うぐっ……ううっ……、はぁはぁ、うぐぐっ)
頭痛と込み上げる吐き気。腰の奥まで響く鈍痛。
痛みから逃れようと横になり身体を丸め、そうして初めて股間のぬめりに気付くが、辛すぎてそれどころではない。
今まで芹緒が体験したことがない痛みだが、考えるまでもなく、自身の身体に何が起きているのかは嫌でも理解させられる。
生理が始まったのだ。
お腹の中を誰かに握りつぶされるような痛み。
生理。芹緒は知識としては知っている。
子どもを迎えるために子宮の内側につくられた『子宮内膜』が、不要になり剥がれ落ちて血とともに排出される生理現象。
身体は受精卵を迎える準備をしていたのに、妊娠がなければ子宮はその厚みを維持する意味がなくなる。
だからこうして、子宮が収縮して内膜を押し流し、痛みとともに体外へ排出する。
(だけど、ぜ、絶対このシステムはおかしい……っ)
こんな生理現象のおかげで、女性はそのパフォーマンスを月に半分以下しか発揮出来ないなんて馬鹿げている。
女性の肉体はまだ進化途中だとすら思ってしまう。
芹緒は今まで美琴という少女と入れ替わることで、また、桜子たちのハダカで『女性』という外観は見たことがある。
だがこの痛みを訴えるこの器官こそが、見たこともない身体の内側の、女性だけが持つ器官『子宮』なのだと思い知る。
男性にはない子どもを作り育む器官。今は悪態をつきたくなるほどの憎悪の対象。
だが芹緒は、自分はまだいいマシだとおぼろげながらに思う。美琴との入れ替わりは(一応)二ヶ月だ。多くてもあと一、二回この辛さを乗り越えれば、男に戻り今後の人生でこの痛みから解放される。
それに比べて女性は。
毎月こんな苦行が身体の内側から強制的に起き、それに何十年という単位で付き合わなければならない。
女性の生理を思うと、男として憐憫の情すらわいてくる。
今隣で寝てる少女たちにも痛みの大小こそあれど、生理はある。
少女は少年と違って、ただの子どもではいられない。生理があることで否応なく自身が『女』であることを突きつけられる。
なんて辛いんだろう。芹緒は脂汗をかきながらそう思う。
(初めて……男がいいと思ったよ……)
来世可愛い女の子になりたいという芹緒の願い。だがさすがに修正せざるを得ない。
『生理が軽い』可愛い女の子になりたい、と。
まだ深夜。芹緒は一人、彼女たちを起こさぬように布団の中で痛みに耐え忍ぶ。
経血が出る前の対処法は聞いてる。ナプキンを下着に装着する。そしてそれを定期的に交換。
だがもう血は体外に流れ出ている。
処理しようにもここは桜子の部屋。どこに何があるか皆目見当もつかない。
(つつじさんを呼べば……)
伸ばした腕の先、指にスマホの固い感覚が伝わり、芹緒はそう思いつく。だが
(この部屋には桜子さんの許可なしには入れないんだった……)
桜子さんだけでも起こそうか。
仕方なく芹緒がそう考え桜子の方を向くと、ちょうど目をぱちっと開けた桜子と目が合った。
「あ」
「優香様? ひどい汗と顔色。何が……あ」
桜子は小さな鼻を引くつかせるとすぐに状況を把握する。
芹緒のスマホを手に取らせ、ロックを解除させると、どこかに電話をかける。しばらくして柏手をそっと叩く。
すると襖が開いてさくらが姿を現す。
そして桜子に目線だけで礼をすると、音もなく芹緒を敷布団ごと持ち上げ、桜子の部屋をあとにする。
襖を越えた先にあったのは、更衣室とシャワー、そしてトイレが備え付けられた、暖かな色の壁紙に囲まれた小さな部屋だった。
さくらはそこで芹緒を布団から出すと手際よく服を脱がしていく。
血に濡れた衣類は別にし、服を着たままのさくらは、芹緒を抱えてシャワー室に入っていく。
そしてシャワーを出し、その手で温度を確かめると、ぐらつく芹緒を片手で支えながら、肩からゆっくりとシャワーをかけていく。
温いお湯で不快な血や汗が洗い流され、少し気分が晴れる。
「さくらさんありがとう」
「女同士当たり前ですよ」
さくらの言葉に女性同士の絆を知る。
芹緒が学生の頃、同級生女子の誰が生理中かなんて知らなかった。女子同士仲が良い悪いもあったに違いないのに、生理の話なんていっさいなかった。
女の子は女の子同士、辛さを秘密を知る同士として、仲が良い悪いなど関係なくお互いを守り合っていたのだ。
さくらは短い時間でシャワーを済ませ、身体の水分をさっと拭き取ると、更衣室の棚からナプキンと、黒っぽい色の新品の下着を取り出し、椅子に座らせた芹緒に装着していく。
股間にあてがわれたナプキンが足にごわごわと当たる感触が慣れないが、座ることで一息つく。
「ナプキンは厚みがあるので違和感を覚えると思いますが、そこは我慢してください」
そう言うとさくらは棚から新品のパジャマを取り出し、芹緒に着せていく。サイズはピッタリだ。
少し余裕が出来た芹緒は辺りを見渡す。
「ここは……」
「女性のための避難所だそうです」
突然の生理でも来客に恥をかかせないように、この小部屋は用意されているらしい。
おかげで芹緒は身体を洗い流すことが出来たし、用意されていた生理用品で処置出来た。
芹緒も一応生理用品が入ったポーチを持たされていたが、それをバッグのどこに入れたか覚えていない。この部屋のおかげで助かった。
さくらは汚れた布団も分別して置いていく。この部屋を管理している誰かが片付けてくれるのだろう。
そして新しい敷布団に芹緒を寝かせると毛布と掛け布団をかけて待機する。
しばらくして目の前の襖が開く。さくらは芹緒を再び敷き布団ごと抱き抱えると襖の奥、桜子の部屋に戻る。
姫恋と葵はまだぐっすり寝ていた。
さくらは芹緒を敷布団ごと元の場所に下ろすといったん襖の奥に戻り、何かを持ってきた。
「楽な姿勢で寝てください。こちらもどうぞ」
そう言ってさくらは細長い抱き枕を毛布の下に差し入れる。
芹緒は痛みを我慢するように抱き枕に抱きつく。
しばらくすると布団の中が暖かくなってくる。これは体温の上昇ではない。
「電気毛布です。身体を温めると痛みが和らぎます」
そしてさくらは芹緒と葵の間に身体を入れると横になり、芹緒の腰を優しく撫でる。
芹緒がさくらの顔を見ると、さくらは柔和な笑顔をたたえている。
「初めての生理ですからね。辛いとは思いますが私がここにいますので、ご安心を」
桜子も言葉を添える。
「パジャマを汚すとか布団を汚すとか、そんなことは考えずにリラックスしてくださいね」
本来の自分より遥かに年下の少女たちに励まされ、痛みに荒んだ芹緒の心が温かくなる。
女の子たちは生理という共通の敵にみんなで立ち向かっている。
一人じゃない。
そう思うだけで痛みが少し軽くなった気分だ。
「桜子様。私がいますのでおやすみください」
さくらがそう言うと、小さなあくびをしていた桜子は照れくさそうに笑いながら、
「ありがとうございます」
そして桜子は『ご安心を』とでも言いたげに頷き、さくらにボタンがついた小さな機械を渡すと、掛け布団を身体に掛け直し、横になる。
芹緒がさくらの受け取った機械を見ると『おトイレ用』と書かれていた。
試しにボタンを押してみると音もなく襖が開く。桜子を起こすことなく襖が開くこのボタン、これは便利だ。
「さくらさんありがとうね」
芹緒は最初の夜を思い出す。
あの夜もさくらは芹緒の部屋で寝ずの番をしてくれていた。
あれから大分経ち、今や芹緒はさくらやつつじ、さつきたちに全幅の信頼を寄せている。
「おやすみなさい」
さくらは芹緒の身体を労わる手を休めることなく、そう返したのだった。
「優香さん大丈夫?」
朝になり起きてきた姫恋はいつも笑みを浮かべる顔を曇らせ、芹緒に心配そうに声をかける。
「女の子って大変だね……すごい」
芹緒は真っ青な顔をしながら姫恋に答える。
もちろん大丈夫ではない。あれから少しだけ痛みはひいたが、未だに内臓を握り潰すような痛みは波のようにやってくるし、頭の頭痛が痛い。
朝までに一度、さくらにナプキンを交換してもらったが、芹緒は真っ赤に染まったナプキンや、ぶよんとした赤い塊のグロテスクさに吐き気を催し、吐いた。
今もさくらが側についている。痛みで眠れない芹緒に寄り添って、芹緒に水を飲ませたり、腰を撫で続けたり、髪を耳にかけたりと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
だからさくらも一晩中寝ていない。『寝てほしい』と言っても聞いてくれない。さくらとしては芹緒の顔色が悪いままなので当然だ。
「優香様、食欲はありますか?」
桜子がそう聞いてくるが、芹緒は首を横に振る。さくらが定期的に飲ませてくれる水で十分だ。
「すみません桜子様」さくらが桜子に改めて向き直り姿勢を整える。「美琴様……、どうやら皆様には優香様ということで色々ご存知のことかとは思いますが、優香様の体調が優れないため、本日はこれにてお暇させていただければと存じます」
「はい」桜子も背筋を伸ばしさくらの言葉を受け取る。「ご自宅でゆっくり療養なさってください。……優香様。いつでも遊びに来てくださいね」
「ありがとうございます」さくらは謝意を述べ頭を下げる。「葵様にもよろしくお伝えください」
「ええ、もちろん」桜子は片手を口に当て苦笑する。「葵様はいつもお寝坊さんなので。あとで伝えておきますわ」
「優香さん、またね? 何かあったら呼んでね」
姫恋は布団の中に手を入れ、芹緒の手をぎゅっと握る。芹緒も温かいその手を握り返す。
「それでは失礼します」
さくらはパジャマ姿の芹緒を、桜子から貰った電気毛布に包んだまま抱き抱える。もちろん荷物も持っている。
桜子が柏手を打つと襖が開き、玄関が目の前に現れる。
玄関を出ると使用人たちの見送りはなかった。芹緒の今の状態を晒すのは酷だと桜子が考えたためだ。
そこにはつつじが運転する送迎用リムジンがあった。
さくらが後部ドアを開けると、後部座席はベッドに早替わりしていた。そこに芹緒を寝かせると、さくらもその傍に乗り込む。
「またね」芹緒は少しだけ身体を起こして見送りに来た桜子と姫恋に別れを告げる。「葵さんにもよろしく」
「お大事に」
「またねえ!!」
二人に見送られて芹緒たちは伊集院家を後にした。
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