第五十四話 蠢動
同じ頃。
伊集院家から遥か遠く。
閑静な住宅街の奥。広大な敷地を誇る建物があった。
その一室。
豪奢な絨毯に重厚な柱、繊細な唐草模様の彫刻、天井の漆喰細工が施されたこの主人の部屋は、かつての繁栄を思い起こさせる。
だが現当主によりそれらは無惨に穢されている。
壁には大きな額縁が整然と並べられている。だがそこに飾られているのは絵画などではなく裸婦、しかも屈辱的なポーズを無理やり取らされた女性の写真ばかり。額縁の下には名前が記されている。
床も同じようなものだ。真っ白に磨かれた陶板が一枚ずつ埋め込まれているが、そのどれにも女性の顔や胸、股間の形がくっきりと浮かんでいる。ご丁寧にそれらにも名前が刻まれている。
この犠牲者たちは全てが上流階級の女性ばかり。彼女たちはこの記録によって社交界から抹殺されている。
歴史ある部屋は、露悪的な吐き気を催す邪悪な部屋へと変貌していた。
そして。
写真が入っていない額縁が一つ。名前の欄には……。
その部屋の中央、豪奢な椅子に苛ただしげに座っていた男は、待ちわびていた報告をようやく受け取ると吐き捨てるように呟く。
「そんなところまで逃げていたとはな」
報告してきた部下を下がらせ、代わって入ってきたスーツ姿の男に目をやる。
「待たせたな。ようやく依頼が出来そうだ」
「依頼内容は?」
「チッ。前にも伝えたとは思うが」この目の前の男は融通が利かないことで知られている。あからさまに舌打ちをしながらも、一枚の写真を男に渡す。「この小娘、九条美琴を誘拐し、九条家関係者や警察関係各所に知られることなく、そして私の存在を知られることなく、五体満足でここまで連れてこい。……暴れるようなら多少手を出しても構わんが処女を奪うなよ」
「依頼内容はこれで相違ないか?」
スーツ姿の男は聞いた言葉を速筆した巻物を椅子に座った男に手渡す。
速筆した割には専門家でなくても読みやすい文字である。
椅子に座った男はふん、と鼻を鳴らす。
「問題ない。手書きの契約書とは面倒なことだ」
そう言ってさらさらとサインを入れスーツの男に返す。わざわざ処女のことまで書かれている。馬鹿馬鹿しい。
男はサインの書かれた巻物を広げ椅子の男に見せる。
と、文字全体が赤く赤く血の色に染まる。
「私はこの契約書通りにしか仕事をしない。この契約を私が破れば報酬はそちらに戻るし、貴方が破ればこの仕事は立ち消える。そういう『契約』だ」
そしてスーツ姿の男は巻物を巻いて胸元にしまい込むと、くるりと背を向け部屋を出て行く。
椅子の男は消え行く背中を忌々しげに睨み付ける。
あの男を雇うのに莫大な金を使った。仕事が始まるまでに奴の時間を拘束するだけでも金が必要だった。
だが奴は仕事を必ずやり遂げる。この世界で彼はそれだけの信用を得ている。あとは任せればいいだけだ。
それだけであの小娘が手に入り、そして九条家も手に入る。
椅子の男はようやく顔に笑みを浮かべると思考を巡らせる。
椅子の男の名は、紫苑鷹秋。
九条美琴の元許嫁である。
だが九条家の当主道里より一方的に許嫁解消の連絡が送られてきた。
理由は道里の一人娘、美琴が力を発現したため。
連絡が届いた際、『ふざけるな!!!!』と鷹秋は激怒した。
道里は年下の小僧だった。
そんな男が九条家の当主、そして一条家から九条家までを束ねる、いわゆる『九家』の長になっていることにもそもそも我慢がならない。
そんな男に媚びへつらい、奴の下座に控えては言葉一つに頷きを返し、呼ばれてもいない宴席に顔を出しては従者のように付き従い、取り巻き連中のご機嫌とりまでして笑い者にされたことも一度や二度ではない。
他家が嫌がる雑務や面倒ごとも頭を下げて引き受け、心の底では毒づきながらも九条家の犬として生きてきた。
それもこれも小僧の顔を立て、小娘の許嫁の座を確実なものとし、自分が九条家の次期当主となるため。
たったそれだけのためにここまで生きてきた。
だというのに!!!
小娘が力を発現したからもう俺は不要だと!?
ふざけるなふざけるなふざけるな!!!!
鷹秋は大いに荒れた。
一週間ほど前。
天を貫かんとするほどの光の奔流の柱が二回観測された。
九条家は報道やSNSに圧力をかけ規制はしたようだが、人の口に戸は立てられない。すぐに鷹秋の耳にも入ったし、そもそも鷹秋はその目でしかと二回目の光の柱を見ている。
あれから九条美琴を探し回ったが、忽然とその姿を消していた。
つい昨日のことだ。九条美琴とその付き人と思われる女たちが山間のレストランで目撃された。
追跡はもちろんさせたが、女たちの運転手は腕が良いらしく撒かれてしまった。
だが。
今日ついに尻尾を出した。
運転手が代わったのか尾行を交わす技術に精彩がなく、出発地点を逆に辿ることでようやく隠れ家を発見することに成功した。
隠れ家は隣の県の小さな町のマンションの一室だった。
それが先ほどの報告の一つ。
報告を聞いたときには内心鷹秋は感心すらしたほどだ。
まさか九条家の一人娘とその付き人たちが、そんなみみっちい部屋に隠れているとは思いもしなかった。
そしてもう一つの報告。
小娘は今伊集院家方面にいるらしい、ということ。
なぜ伊集院家ではなく方面なのか。
それは伊集院家の張る厄介な結界にある。
あの家を探ることは善意悪意無関係全て関係なく霧散してしまう。
あの家に行くには伊集院家からの招待がなければ辿り着くことすら出来ない。
その結界を張っているのは当主の妻だ。
伊集院家随一と言われるその力は、文字通り伊集院家を守護している。
厄介なのは伊集院家を出た者の追跡もかなり難しい点だ。
誰がどこから出てきたか、さっぱり知ることが出来ない。
いつの間にか誰かが隣の県のショッピングモールを歩いていることもあるのだ。
だから今回は僥倖だった。
九条美琴が伊集院家方面に向かった。
出発地点の隠れ家はすでに判明している。
伊集院家方面から隠れ家へと行く道はある程度絞れる。
鷹秋が九条美琴の許嫁なのは『九家』の承認あってのものだ。
いくら道里が『九家』の長とはいえ、彼一人で決められるものではない。
まだ一週間。
道里を翻意させれば全ては元通りだ。
鷹秋も『力』の持ち主。
この力を使えばどうとでもなる。鷹秋は暗く嗤う。
鷹秋は椅子のボタンを操作する。すると音もなく黒づくめの男たちが勢揃いする。
「奴のジャマをすることなくマンションを包囲しろ。あと」鷹秋はニヤリと笑う。「美琴の付き人らを処分しろ」
男たちは敬礼を返すとすぐさま持ち場へと赴いていく。
力を持たないただの男たちだが、人払いや女こどもの処分は出来る。
鷹秋は立ち上がると出入り口とは違う壁を触る。すると壁が音もなく開き、女たちの喘ぎ声とも呻き声ともつかぬ声がもれ聞こえてくる。
鷹秋はなんら気にする様子もなくそのまま歩を進めて姿を消すと、壁は音もなく閉まり、誰もいなくなった部屋は静まりかえるのだった。
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