はじめてのおといれ
今日は投稿2回目です。
「お嬢様があんなに気を許す男性を見たのは旦那様以外では貴方が初めてです。一体どうやって?」
不意に運転席のメイド―――笹川つつじが芹緒に話しかけてきた。
「お嬢様の普段の生活は私たちがある程度見ておりますので、昨日以前に出会っていらっしゃっることはほぼありえません」
このメイドも色々考えていたようだ。
そりゃそうだ、と芹緒は思う。
今回の件は仕事とはいえ彼女たちも美琴さんの不思議な力に巻き込まれたようなものだ。
「さくらのように貴方がお嬢様に何かした、とも思えません。先ほどの旦那様への説明はお二人が出会った経緯が抜けています」
そう言えば九条社長は聞いてこなかった。
行方不明になった娘を連れ戻した自社の社員。それさえ分かれば良いという節もあった。
「?」
そこで芹緒はどうして一介の平社員である自分の名前を九条社長が知っていたのか、問うのを忘れていたことに気付いた。
九条カンパニーは数万の社員を抱える大企業だ。日本国内だけではなく全世界に支社を置き、九条社長は文字通り日夜世界を駆けていて、自分にとって天上人のような存在である。実の娘である美琴さんですらなかなか会うことは出来ないと先ほどの話し合いで知った。
そして謎の信頼。
入れ替わっている美琴さんはともかく、女性三人。芹緒のような女に相手にされないゴミクズのそばに置いてよいものではない。
先ほどは美琴さんの貞操の話をしたが、美琴さんに入り込んだ自分が、さくらさんは自衛出来るからともかく他の女性に何かしらいたずらをする可能性だってあるのだ。
なぜ信頼する!?
こんな自分を信頼しないでくれ!!
芹緒は心の中でそう叫び、心の沼に沈んでいく。
「芹緒様?」
なかなか返事が返ってこないことに疑問を抱いたのか、つつじが声をかける。
「私の家に着いたら話せることは話します」
芹緒はそう言うのがやっとだった。
「ここです」
芹緒はそう言って車を止めさせた。
自車の駐車場を教え、後ろの車を来客用駐車場に案内する。
「ここがおじ……芹緒さんのマンションなんですね」
美琴がワクワクしながら突撃しようとする。
「全部じゃないからね、先に言っとくけど」
「え?」
言っておいて良かった。
やはりお嬢様育ち。建物全てが芹緒の持ち物だと勘違いしていたようだ。お金もない、借金すらあると言ってあるのに……。
芹緒は隣近所の付き合いもしていない。いきなりあの外見が襲撃してきたら通報ものだろう。
「どちらですか?」
大きな荷物を抱えた三人のメイドが―――そう、三人のメイドだ。さくらもスーツ姿ではなくメイド服を着込んでいた。
芹緒が部屋を出たあと九条家で何やら話し合いがあったらのだろう。
……荷物は入らない気がする。
普段の生活とはかけ離れた、非日常の存在のメイド。正直二人だろうが三人だろうが変わりはない。
芹緒のマンションは道からそれほど奥にあるわけではない。道行く人もこちらを見ている気がする。
「こっちです」
人目を避けるように芹緒はワンピースの裾を翻してエレベーターに案内した。
「あれ?」
玄関の前。
普段のクセで芹緒は腰のポケットをまさぐろうとして何もないことに気付いた。
「こちら、ですか?」
つつじが車のキーと一緒になった部屋の鍵を渡してくる。
「これ。ありがとう」
芹緒はお礼を言うと、みんなに振り返った。
「入って右の部屋は入らないでほしい。趣味のものや独り暮らしの男のものもある」
「分かりました」
三人のメイドが頷く。
「美琴さんも頼むよ」
ただ一人、好奇心旺盛に目を輝かせる美琴に再度クギを刺す。
「……わかりました」
「じゃあどうぞ」
そう言って芹緒は半日ぶりの家の鍵を開け、女性たちを通した。
芹緒は失念していた。
昨日までに部屋を片付けたからなんとか人を上げても大丈夫だろう。そう思っていた。
芹緒の中の美琴を含めれば四人の女性が家に来るなんて生まれて初めての事だ。
部屋が見れる状態かだけに集中していた。
スリッパなんてないけど大丈夫かな、とも考えていた。座布団なんてないな、とも。
芹緒は粗忽者だ。
どうして部屋を片付けていたのか。それは。
「遺書!?」
先に部屋に上がったさくらたちの声に芹緒は慌てて部屋に転がり込んだ。
結局『生まれ変わったら女の子になりたい』以外、全てを話すことになった。
美琴の自殺未遂と全裸になった大胆な行動は意外なことにあっけらかんと開示された。昨日の騒動を考えると父親以外なら話せることなのだろう。
「そういうことだったのですね。納得しました」
つつじがペットボトルのお茶が入ったコップを口に付けながら言う。
芹緒の家にはこれだけの大人数のコップなどない。
途中コンビニに寄ってメイドたちが買ってきたものだ。
芹緒の目の前にもコーヒーとオレンジジュースが入ったコップが二つ置いてある。
コーヒーが芹緒、オレンジジュースが美琴の好みだ。
どちらが今の芹緒の好みか分からないということで二つ用意されたが、美味しく感じたのはオレンジジュースだった。コーヒーはただただ苦かった。
芹緒の姿の美琴はオレンジジュースだ。
「お互い死を意識した状態で出会って、なおかつ芹緒さんが紳士的に振る舞って下さったのなら、お嬢様が信頼を寄せるのも納得ですわ」
さつきが言う。
「お嬢様を止めて下さって本当にありがとうございました」
頭を下げる。それに倣ってつつじもさくらも頭を下げる。
「頭を上げて下さい!人として当然のことをしたまでです!」
「ヤケにならず、お嬢様の純潔を守っていただいたことも重ねてありがとうございます」
「私はそんなに出来た人間ではないんです。本当にアレが小さいだけなので」
情けないことを言う。自分を上げるのは止めてほしい。
「芹緒様、本当に申し訳ない……!」
さくらが再び土下座をするのを慌てて止める。
何度も謝られても困る。
「もう気にしないで下さい。ね?」
「ありがとうございます!」
さくらに手を差し出し、顔を上げたさくらと握手を交わす。さくらの手は思ったよりも柔らかかった。
「この話は出来ればお父さんには伝えないでほしい」
美琴が畳にあぐらをかいて座り込んで言う。
「貴女たちには伝える義務があるんだろうけど、私はもうそんな気はないし、おじさんは会社辞めさせられちゃうかもしれないから。死ぬつもりの人を雇ってくれないでしょ?」
「私からもお願いします。このことはどうかここだけの秘密にしていただけませんか?」
芹緒がそう言って頭を下げると三人は慌てたように
「わかりました!」
と言ってくれた。
「そろそろお腹すきませんか?」
さつきが時計を見ながら言う。
見るとそろそろ時刻は夕方になろうとしていた。
つい先日まではこの頃になると暗くなっていたが、春めいてきた近頃、まだ日は沈んでいなかった。
「そうですね……あ」
さつきの言葉に芹緒は急に尿意を覚えた。
思えば今日はここでの飲み物以外何も口にしていない。入れ替わってから今までトイレに行ってなかったため、刺激がきたようだ。
「ちょっとトイレ……に」
伝える最中にどんどん顔が紅潮してきて、最後はぼそぼそとした言葉になってしまった。
「一人で出来ますか?」
つつじが問う。
「お手伝いしましょうか?」
「ひ、一人で出来ますっ!」
「? あー……」
芹緒が何に慌てているのか、最初分かっていなかった美琴が納得する。
「ああ、女の体でおしっこは初めてなんですね」
「言わなくていいよっ!」
芹緒はそう指摘すると立ち上がってトイレに向かう。
「ワンピースはたくし上げて、髪もまとめて前に流してお腹の前でまとめて下さい。座るとき裾や髪を巻き込む心配がありません」
「ありがとう!」
芹緒の背中に投げかけられたつつじの助言に芹緒はヤケになって、そうヤケになってトイレに入った。
トイレは普段から座ってしているので何も問題はない。
つつじに言われた通り、ワンピースをたくし上げ、髪を前に回す。
「……」
下着が降ろせない。
左手で服を持ち、そこに髪を流し、右手で下着に手をかける。
細い。
芹緒のトランクスとは全く違う幅の細さに改めて自分が女物の下着を履いていることを自覚する。
降ろすと下着はくるくると丸まって小さくなる。
外気に触れた秘所に震える。
その震えにさらに尿意が催促される。
便座に座りお腹の力を解放する。
チョロ……。
チョロチョロ……。
最初遠慮がちだった飛沫がすぐに強くなる。
まるで身体の表面から出てるみたいだ。芹緒はそう感じた。
男の頃は小さいとはいえ、ホースはあった。
今はそれがなくなり、とても頼りなく感じる。
「ふう……」
それでもひとごこちつけた。安心したとたん
「芹緒様」
「わぁっ!?」
トイレの外から声を掛けられた。
「な、なんでしょうか!?」
「女性は小をしたあと、拭かなければいけません。大事なことなのでよく聞いて下さい」
「女性の体を知らない男性も多いと聞きますからね。ご存知でも説明させて下さいね」
「はい……」
メイド二人の言葉にトイレの中で文字通り肩を落とす。
この身体は芹緒のものではない。
いつか返すものだ。
その間、芹緒は大事に扱う義務がある。
いくら美琴が今は男性の体が良いと言っていても、体験してみなければ分からないものだ。やっぱり女性の、本来の身体が良いとなるはずだ。
その時に汚く返す訳には絶対にいかない。
「小の場合、拭く時は後ろから前、です。大の場合はその逆です。理由は分かりますか?」
「間に大事な場所がありますからね……」
つつじの問いに芹緒は言葉を濁して答える。
「その通りです。あとあまり強く拭くのもお止め下さいね」
「はい……」
芹緒はうなだれたまま、トイレットペーパーをからからと手に取り、そっと股間に押し当てる。
何回か繰り返し、下着を上げる段階で気がついた。
声をかけるタイミングが良すぎる。
そう、まるで外で聞いていたかのように―――
いや、疑いようもなく聞いていたのだろう。
男性だって聞かれたら恥ずかしい人間はいる。
芹緒はそういう人間だった。
「プ、プライバシーがほしい……」
何よりひとりを愛する芹緒の魂からの呟きは、外に聞こえることなく、トイレを流す音と共にかき消えていった。
もっとだ、もっと悶えろ!!