第四十七話 お泊まり会④ キス
「……勝った」
葵がそう言って腕を突き上げる。
今回は葵の完勝だった。前回実際にゲームをプレイしてコツを掴んだ葵は細かくスターを積み重ね、三人の妨害の被害も最小限に切り抜け、最初から最後まで首位をキープしたのだった。
「葵ちゃんあっという間に上手くなっちゃった! すごいねぇ!」
「完敗ですわね」
桜子と姫恋は思い思いに葵の健闘を讃える。
「……葵さんおめでとう」
芹緒は一位になった葵にいったい何を聞かれるのか、内心少し怯えながら葵を称える。
「ふふふ……ずっと、聞いてみたかった。男性の、セックスって、どんな感じ?」
葵がやはり頭の悪い質問をしてくる。
芹緒は思わず脱力して横に倒れてしまう。そんな無防備になった芹緒の横腹を姫恋と葵がつつく。
「……ほらほら、権利発動」
「こういう質問他の人にしたらすっごく怒られるか下手したら襲われちゃうから、こういう話聞けるの優香ちゃんだけなんだよー!! お願い教えてよー」
葵と姫恋はそう言うが、そもそもだ。芹緒は半ば諦めの心境に達しながらも二人に伝える。
「……えっちな質問は禁止でしょ?」
そういう約束をしてこのボードゲームは始まったはずだ。そんな芹緒の正論に
「……ここは民主主義に則るのがよろしいですわね。えっちな質問、解禁で良い方?」
ひょっこり入ってきた桜子が悪しき民主主義を持ち出してきた。
「はい!!」「私も賛成です」「……みーとぅー」
「では反対の方」
「負けイベントすぎる」
「では三対一でえっちな質問解禁となりました」
学級裁判さながらの決着に至ってしまった。この子たちのクラスは大丈夫なのだろうか。ここだけのはっちゃけだと信じたい……。
「はーやーくー」
葵が芹緒をつつくスピードが上がる。姫恋もゆっさゆっさと芹緒の身体を大きく揺さぶる。
「はああああぁぁぁ……」
芹緒は彼女たちにされるがままの中、深く大きなため息を吐く。
そして芹緒は自爆を選択した。
「したことない」
「「「え?」」」
三人の女子中学生の声がハモる。
「セックスしたことないです。童貞です」
芹緒は淡々と告げる。桜子が質問すればウソをついてないことは分かるし、葵が見れば芹緒の感情に色がないことに気付くだろう。
「童貞ってなに?」
だが空気を読まない姫恋が遠慮なく質問する。
「男性における処女のようなものですわ……」
桜子が遠慮がちに姫恋に教える。
「優香ちゃんも処女なんだねー」
「……それはそれで、違う意味になる」
「?」
さっきまで和気藹々としていたはずの和室に気まずい空気が流れる。唯一姫恋はいつも通りだが。
「安心して、私たち、全員処女」
葵がフォローのつもりなのかそう教えてくれるが
「君たちの年齢ならそれが普通だよ……」
乾いた声でそう呟いたきり、芹緒は畳の模様をじっと見つめたまま動かなくなった。
「……放心」
葵が不安そうに言う。
質問の答えが聞けなかったことは少し残念だが、質問に答えられなかったくらいでどうして芹緒がここまで精神的ダメージを負っているのか、皆目見当がつかない。それは桜子も姫恋も同じだ。
童貞はそんなにダメなのか? 好きになる人のために操を立てているようで、中学生のお嬢様たちには好ましく思える。
だが中年男性の芹緒の価値観では童貞にはなんの価値もない。ただただ女性に相手されなかったという烙印だ。
そもそも芹緒はセックスどうこう以前にその前段階、彼女すらいたことがない。そして女友だちすらいたことがない。極めつけに芹緒のアレは小さい。だから風俗にすら行ったことがない。
その全てが負の連鎖となって芹緒の精神に致死ダメージを与えていた。
そんな大人の男性として情けないことこの上ない話をウソ偽りなく、つい一年前までランドセルを背負っていたような女の子たちに告白したのだ。
童貞カミングアウトを未成年の女の子にする中年男性。オーバーキルである。
あまりの恥ずかしさと情けなさのあまり畳に転がったまま動けなくなってしまった芹緒に、どう接したらいいか皆しばらく悩んでいたが、最初に動いたのはやはり姫恋だった。
姫恋は芹緒を強引に抱き起こして自分より小さな身体をギュッと抱きしめる。
「言いたくないこと聞いてごめんね? おわびに優香ちゃんが元に戻ったらアタシの処女あげるから元気出して?」
「ぶっ!?」
芹緒は思わず真顔で吹き出す。
「姫恋様、貴女、自分が何を言ってるのかわかっていらして!?」
桜子が血相を変えて姫恋に詰め寄るが、姫恋は首を傾げて、あくまで真剣な面持ちだ。
「わかってるよー。つまり優香ちゃんはまだ清い体なんでしょ? なら清い同士でいいじゃん」
「私たちの操は私たちの感情で誰かに渡すことなんて出来ないのですわ……」
桜子が自分の境遇と重ねて言う。
「アタシそんなの知らない。好きな人とするのがセックスってマンガで読んだ」
「そう、好きな人同士がやるんだよ姫恋さん……」
芹緒がそう諭そうとするが
「アタシ優香ちゃん好きだよ? 優香ちゃんはアタシのことキライ?」
姫恋は芹緒をギュッと抱きしめたまま、ド直球な質問を芹緒に投げかける。
「姫恋さんのことは……キライじゃないよ、だけど僕の見た目は醜いし、オタクだし、そもそも年齢が違いすぎるし」
芹緒は顔が真っ赤になっていくのを自覚する。誰かにこんな風に間近で『好き』と言われた記憶はない。
直球の好意に素直に返せない自分も恥ずかしい。
頭の中にある醜いモンスターであるキモい中年男性の姿を見せられないのがもどかしい。その姿を見れば彼女たちだって逃げ出すだろうに。
「良かったー!」
芹緒の言い訳が聞こえてないのか聞いてないのか。
姫恋は嬉しそうにそう言うと、芹緒の頬に手を当てまっすぐに覗き込んだ。
姫恋の紅潮した笑顔が芹緒の目前に迫る。
頬に手を添えられた芹緒はびくりと身体を震わせるが、姫恋は構わず顔を寄せる。
――頬に温かいものが触れた。
数秒遅れて、それがキスだと芹緒は理解する。
「えええええ!?」
驚いた芹緒は、まだ感触が残る頬を思わず押さえる。
目の前の姫恋は真っ赤になりながらも芹緒の視線をしっかりと受け止め、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
「な、何してるの姫恋さん……」
「キスだよ」
芹緒の覚束ない問いかけに、姫恋はハッキリとそう答える。
「なんで急に……」
「優香ちゃんが好きだから」
真剣な表情と声色に、芹緒の心臓がドクン!と跳ね上がる。
桜子と葵も姫恋の大胆な行動に開いた口がふさがらない。
「姫恋様……貴女大胆すぎますわ……」
「美琴ちゃんも優香ちゃんも好き。二人とも優しいもんね! あ、もちろん桜子も葵も大好きだよ!!」
姫恋の裏表ない発言に三人は脱力する。
十中八九姫恋は初恋すらまだに違いない。
友愛の『好き』と恋愛の『好き』の区別がついていないのだろう。
そこにセックスをつなげてしまうのは姫恋がマンガだけで知識を得た故か。
「……私も、セックスに、興味がある」葵はようやく衝撃から立ち直るとそう言って芹緒に近付く。「優香の童貞は、姫恋に譲る、けど私も抱いていい、よ」
そして葵はそっと芹緒にすり寄ると、芹緒のもう片方の頬に柔らかく触れるように唇を寄せた。
またしても温かい感触が芹緒に伝わる。
「……予約」
「待って待って待って」
姫恋と葵、二人からのキスに困惑した芹緒は二人の身体の間に両手を入れ、自分と離すように力を入れる。
「僕の体は本当に醜いモンスターなんだ。百キロを超えるデブだぞ。四十超えたおじさんだぞ。キモオタだぞ。簡単にそんなこと言ったりキスしたりしちゃいけない!」
芹緒は内心を吐き出す。一度伝えたはずだが、伝わっていないなら何度でも言ってやる。
「もう僕は立ち直ったから大丈夫。これ以上君たちが僕で汚れるのはダメだ!」
「……ご自身のことをそう思っていらっしゃるのですか?」
「ああ」
桜子の問いに芹緒はまっすぐ返す。桜子はその返答を聞くと
「優香様。昨日も言いましたが私はそんなアナタがイヤではありません。むしろ好ましく思いますわ」
桜子もまっすぐに芹緒に言葉を返す。
「上流階級、お嬢様。言葉だけ聞けばきらびやかなイメージがありますが、その実、醜い世界です。未だに政略結婚がのさばり、優香様がおっしゃる自身のイメージよりもはるかに醜悪な化け物が、まぐれで身につけた力や権力にかまけて自身の欲望を隠そうともせずのうのうと生きていますの」
桜子は一瞬辛そうな顔をしたが言葉を続ける。
「私の許嫁もそんな人間の一人です。多くの女性を囲い、孕ませ、まるで奴隷のように扱っています。ですがそれでもただ名家の血筋、数少ない男性の力の持ち主。それだけで全てが許されているのですわ」
「……」
葵は何も言わずただ桜子の言葉を聞いている。顔をしかめているあたり、心当たりはあるのだろう。
「優香様のような心の優しい男性は私は家族以外他に知りません。私の世界が狭いこともあるのでしょう。世の中にはもっと素敵な方もたくさんいるのでしょう。ですが私の世界は小さいのです」
そう言って桜子も芹緒に近付く。
両側を姫恋と葵に抱きしめられている芹緒は動けない。桜子の真っ赤に緊張した、それでも真剣な顔が近付く。
「照れ屋さんで正直者。内罰的でとても自己評価の低い方。それでも昨日言ったように美琴さんとの入れ替わり生活で美琴さんのために苦労を惜しまない方。とても可愛くて好ましいですわ」
ちゅ。
ほんの一瞬。羽のように軽いタッチが確かに芹緒の唇に触れた。
柔らかくて暖かい、それは桜子の誠実さと、勇気を振り絞った心がそのまま形になったような口づけだった。
「桜子さん……」
「私の、ファーストキスですわ」
頬を真っ赤に染めながら、それでも桜子は震える声に少しの喜びをのせて伝える。
「……ごめんね」
「違いますわ」芹緒の言葉に桜子はかすかに首を振り、真っ赤な顔に精一杯の笑顔を浮かべる。「ありがとう、でいいのです」
「……そっか、桜子さん、ありがとう」
芹緒は一度は突き放した二人にそっと腕を伸ばそうとして躊躇する。それを目ざとく見つけた姫恋と葵は自分から芹緒の身体に飛び込んでいく。温かさにつつまれて、芹緒の胸の奥で何かがじんわり溶けていく。
「二人も、ありがとう」
「えへへっ、どういたしまして!!」
「……これからは、イヤがったら、やめる」
「初めからそうしてくれると嬉しいな」
ギュッと重なり合った四人の体温が、静かな和室の中で一つの小さな灯りのように寄り添っていた。
時間が止まったかのように、ただただ互いの温もりだけを確かめ合った。
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