第三十七話 伊集院家
つつじが作ってくれた朝食を和室でこたつテーブルを囲み三人でいただく。
今日のメニューはご飯に味噌汁、鮭の塩焼き、そしてだし巻き卵。由緒正しい日本の朝食だ。
元の姿の貧乏舌ではだし巻き卵の美味しさは理解出来なかったが、美琴の繊細な舌なら味が良くわかる。これはこれで美味しいと芹緒はかみしめて食べる。
鮭の塩焼きの塩加減も絶妙でご飯を食べる手が止まらない。
材料をいつの間に買ってきたのかは分からないが、芹緒がやらかした時も電話一つでマット一式を誰にも悟られることなく準備、交換したのだ。気にしてはいけない。
そんな食卓に上がる話題は桜子お嬢様に関することばかりだ。
「学校では制服が制定されているので皆さん制服を着られておりますが、桜子様の私服で和装以外は見たことありませんね。大和撫子とは桜子様と言われても誰からも異論は出ないかと。芯の強い方です」
「私は桜子様はお屋敷にいらっしゃったときにお会いしたことがありますね。とても物腰が柔らかい方で私たちにもとても丁寧に接して下さいました。お菓子をお出しした時毎回美味しそうに食べておいででしたので甘いものがお好きなのだろうと思いました。素直な方ですね」
さくらとつつじがそれぞれから見た桜子を話す。
芹緒も遠目で一回、話したことも一回ではあるが桜子の第一印象は彼女たちとは同意見だ。
あの日さくらはこう言っていた。
『見た目通り大人しい方ですよ。勉学も励まれており運動こそ得意ではありませんが、舞踊や歌唱など芸術分野において非常に優れておいでです』
手入れが行き届いて艶が出た長い黒髪を丁寧に分け楚々とした姿。
電話した最初の時こそ取り乱していたが話していくうちに落ち着きを取り戻した声(ウソに気付いて訝しんでいたのかもしれないが)。
そして美琴から聞いた『美琴の桜子観』。
こちらも特に芹緒の中に作られた桜子観とは大きく外れていない。
大人しい、勉強は出来る、運動はあまり得意ではないが日舞は大人顔負けの腕前、友だち四人組の中ではリーダー的存在、思い込みが少し激しい……。
美琴だって本性は誰にも言わず秘密にしていた。桜子もそうかもしれない。
芹緒は自分の考えも披露しながら満足いくまでご飯を食べたのだった。
「普段の美琴様の好みの服にいたしますか? それとも桜子様にお会いした時のような服にいたしますか?」
三人で洗い物を片付け、さくらとつつじとともに芹緒の部屋に集まる。
「私は普段の美琴ではない、ということにしたいので、昨日のような服でお願いします」
「わかりました」
芹緒は美琴の仮面を被る。
桜子の前では意味がないのかもしれないが、芹緒の素を出すわけにもいかない。
さくらとつつじはテキパキと衣装を選んでいく。
芹緒はすでに下着姿で待機している。
「こんな感じでどうでしょうか」
「いいですね」
さくらが選びつつじが肯定する。
そんな二人が芹緒のところへ持ってきたものを受け取る。
それは白いブラウスとパステルイエローのスカートだった。
長袖のブラウスには白いフリルやレースの装飾が施されているがとても肌触りが良くて柔らかくて軽い。
男の頃、着られればなんでも良かった芹緒からすれば、やはりこういった女性の服は女性を着飾らせるものであるなあと改めて実感する。
スカートは何段もひだ飾りが重ねられておりそのひだ飾りの端はやはり白いレースの装飾が施されている。
このスカートは子どもっぽいなと感じる。
「そのスカートはティアードスカートというものです」
芹緒がスカートを観察している雰囲気を感じ取り、つつじがそう教えてくれる。
「あと白いブラウスですから、下着も透けない白いものに変えましょう」
そうつつじが言って持ってきたのは白色の、だがレースの装飾が施された下着それ自体が一種の作品であるかのようなものだった。
ブラジャー、パンティ、そして紐……?
いつもより多い下着類に一瞬芹緒の頭の中は疑問だらけになるがすぐに理解する。
(ガーターベルト!?)
「今回は私たちがお手伝いいたしますので、お嬢様は着る順番を覚えてくださいませ」
そして芹緒は二人がかりであっという間に身ぐるみはがされ、ブラジャーを付けられ白いハイソックスを履かされガーターベルトで固定され、最後にパンティを穿かされる。
「本来は下着を穿いてからガーターベルトを付けるのですが、下着を最後に穿いた方がお手洗いの際に楽です。見せるものではありませんしひとまず今回はこの順番でよしといたしましょう」
つつじの言葉にげんなりする芹緒。
ブラウスやスカートはともかく、下着まで見られることなんて想定したくない。見せる相手がいるようなカップルの女性ならともかく。芹緒はそこまで堕ちる気はない。
そしてブラウスとスカートを着ると二人が細部を整えていく。
襟にスカートと同じ色のリボンをつけ大きな蝶ネクタイのような形に整える。
長い金髪を手早くまとめ胸元のリボンよりも幅広いやはり同じ色のリボンで大きな蝶結びをしていく。
「お嬢様、ご確認を」
さくらの言葉に芹緒は姿見を覗き込む。
そこには昨日と負けず劣らずのとても可愛らしい姿となった美琴の姿があった。
イラストから出てきたかのような大きなリボンをつけフリフリのレースやフリルをつけたブラウスやスカートを身にまとう少女。
長い金髪も相まってとても可愛い。
「……可愛いね」
思わず素直な感想が口からこぼれ出る。
つつじとさくらは顔を見合わせると大きく頷く。
そして靴も合わせ準備を整えた。
「昨日はバッグを忘れておりました」
さくらがそう言って手渡してきたのは淡いラベンダー色のミニバッグだった。
肩紐は金色のチェーンになっており、今の服ととても合う。
さくらはそのバッグにスマホとハンカチなど小物を入れていく。
「こういう合わせるセンスは学習と経験ですよね……」
芹緒が大きなため息とともに吐き出した言葉にさくらとつつじは顔を見合わせる。
「もしよろしければファッション誌などもお取り寄せしますが?」
「たかが二ヶ月勉強したところで身にはつかないと思う。だから大丈夫」
こうして準備を終えた三人はしばしの間お茶を楽しんだ。
つつじの運転で送迎用リムジンは走り出す。
「昨日のレストランとは反対側にありますので少し時間がかかります。お嬢様はゆっくりしていて下さい」
つつじがそう言い、隣に座るさくらが芹緒の頭を自分の膝に置く。
「リラックスしていてください。大丈夫、全部上手くいきますよ」
芹緒はさくらの好意にそのまま甘えてさくらの膝に頭と身体を寄せる。というより接触に慌てる気持ちの余裕がない。
いよいよ桜子と会う。
しかもその桜子は今の美琴をおそらく信用していない。
美琴は『バレてもいいんじゃない?』と呑気に言っていたが、美琴の父九条道里がバレたことを知れば大問題だろう。
さくらがいるのは心強い。
腕が立つのもそうだが今の芹緒にも優しく接してくれる。少なくとも美琴の身を守るためにも文字通り真剣に守ってくれるだろう。
芹緒は安心感をチャージしながら心を落ち着かせ、いつしか眠りに落ちていった。
伊集院家は九条家に負けず劣らずの大豪邸だった。
違うのは九条家が洋風の豪邸だったのに対し、伊集院家はまさに和風のお屋敷であることだ。
門を入ったあともしばらく速度を落として車を走らせる。周囲には手入れされた庭園が来客の目を楽しませる。
やがて大きなエントランスに車が滑り込む。
そこには多くの伊集院家の使用人たちが頭を下げ芹緒たちの来訪を出迎えていた。
さくらが先に降り、芹緒の手を取って外に出る。
「お待ちしておりました美琴様」
一人の女性が数歩前に出て頭を下げる。
「このたびはお嬢様の急なわがままにも関わらず足をお運びいただきましてなんとお礼を伝えたらよいか」
「いえ」芹緒は心の中で気持ちを引き締める。「大切な友人のお願いですもの、当たり前のことです」
そのとき使用人の壁が二つに割れ、そこから着物に身を包んだ少女、伊集院桜子が姿を表した。
「ごきげんよう美琴様。来てくれて本当に嬉しいですわ。お元気そうでなによりです」
今日の桜子は白を基調とした和服を纏っていた。白い和服に黒髪がよく映える。
ウソはつけない。バレるわけにはいかない。
「ごきげんよう桜子様。桜子様のことばかり考えていましたから、このお招きは驚きました」芹緒は高速で考える。「桜子様もお元気そうで嬉しいです」
「ではこちらへ」
桜子自らの先導に芹緒は気後れするものかと着いていく。
その後ろからさくらが着いてこようとしたとき。
「申し訳ありません、今回はお嬢様たってのご希望で使用人は誰も付けずにお会いしたいとのことなのです。こちらでお寛ぎ下さい」
「「!?」」
驚いたが芹緒は振り返るのをなんとかこらえた。
「それは聞いていない。困りますな」
さくらが剣呑な声を出す。
「さくら」
芹緒は心の中でさくらに謝り、さくらに振り向く。
「私は心配ありません。桜子様のご実家です。たまには私たちも寛ぎたいの。ね?」
「ええ」桜子はそっと芹緒の手を取る。「私たちだけのガールズトークですわ」
「……分かりました」
さくらはいつの間にか握りしめていた拳からゆっくり力を抜く。
ここは伊集院本家。伊集院家は数百年続く名家。九条道里が一代で興した九条家とは家格が違う。
ここで九条家の一人娘に何かあればさしもの伊集院家といえども少なくないダメージが入る。スキャンダルはいくらもみ消そうが上流社会では決してその存在が消されることはない。どこからか情報は漏れてくる。
美琴と芹緒の入れ替わりはともかく、芹緒家での同居の話も九条家が本気で隠蔽しているとはいえ、どこかしらに情報は流れているだろう。
ただまだその情報の価値が分からないから大きくなっていないだけ。
伊集院家もスキャンダルは嫌がるだろう。
だから問題ない。問題ないはずだ。
そう考えてさくらは了承した。
そして桜子と芹緒二人きり、奥の建物へ消えていった。
「美琴様こっち!」
桜子は後ろ手に戸を閉めるとすぐに走り出した。
「え!?」
そして芹緒が驚いている間に左手側の襖を開ける。
「早く!」
芹緒は理解出来ないまま桜子の後についていく。
桜子は小走りでどんどん部屋を通り過ぎていく。
何部屋も通り過ぎていくうちに芹緒は自分がどこにいるのかすっかりわからなくなってしまった。
「ここで……いいかしら……」
桜子は肩で息をつきながらようやく足を止めた。
芹緒は気持ちこそ混乱していたがそこまで息は切れていない。
「ここは……」
「伊集院家には……このように特定の部屋を抜けることでしかたどり着けない部屋があるのですわ……」
そう言って桜子は足元にあった座布団に座り込む。そして芹緒にも座布団を進める。
芹緒も進められるままに座布団に座り、辺りを見渡す。
それほど広い部屋ではない。
周囲を襖に囲まれた不思議な和室だ。
お嬢様が住まうお屋敷にある部屋とはあまり思えない。どちらかと言うと芹緒の祖母の家なんかを思い出す。
小さなテーブルを囲むように座布団が四つ置かれている。芹緒と桜子は対面するように座っている。
「さて」息を整えた桜子が居住まいを正して芹緒に向き合った。「まずは謝罪を。急なお呼び出しすみませんでした」
そう言って桜子は丁寧な所作で綺麗な土下座を披露する。
芹緒は慌てて桜子の頭を上げさせようとする。
「いえ、桜子様にも何か事情があったのでしょう? 驚きこそしましたけど頭を下げるほどのことではないですよ」
芹緒の言葉に桜子は頭を上げる。
「ありがとうございます。では早速ではございますが本日お呼び出しした理由をお話したいと思います」
桜子の言葉に芹緒が居住まいを正す。
「その前に」
桜子が視線を芹緒たちが入ってきたものとは違う襖を見る。
「ひさしぶりに四人でおしゃべりしませんか」
その言葉で襖が開き、二人の少女が飛び出した!!
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