第三十五話 平穏を願って
「なるほどそういうことが……」
ようやく抱きしめあった状態から離れたつつじと芹緒から話を聞いて、さくらは呆れながらも納得する。
「私も趣味のことで人のことは言えませんので。確かに小さい頃のお嬢様は私たちを『お姉さま、お姉さま』と言ってずっと後ろをついて来てましたね」さくらが感慨深げに言う。「当時は私もよく分かってなくてお嬢様を本当の妹だと思っていました」
「さくらはいいですよね、ずっとお嬢様のお側にいられたのですから。私やさつきはお嬢様のお目付役としてお嬢様とは一線を引いて付き従うよう教育されていたのですから」
場所は変わって和室。
座り込んだパジャマ姿のつつじとジャージ姿のさくらに両腕を捕まれながら芹緒は二人の話を聞いていた。
二人は芹緒を妹として愛でながら思い出話に花を咲かせている。
こういう平和な感じの時間の過ごし方を最近の芹緒はして来なかったので、芹緒はなすがままになっている。
美琴は男になりたいという本心を誰にも明かさなかった。つつじやさつき、さくらにも。
ただひたすら九条家の一人娘として『大人しいお嬢様』の仮面をつけ、生理的に受け付けない許嫁相手との結婚に怯え、そんな未来を回避するために一人『力』の発動を願って修行していたのだ。
(ん?)
自分の思考の中で芹緒は違和感を覚える。
山に飛んできたとき、美琴は自分の力が発動したことに気付かなかったのだろうか?
気付いていれば死ぬことを選ばなかったはずだ。
だというのに山に飛んできてなお、あの時美琴は死を選んでいた。
(聞いておかないと)
もしかしたら『力』を発動しただけでは解決されていない問題があるのかもしれない。
それをクリアしない限り、美琴は元に戻りたいとは思わないだろう。
(それに自分だって)
芹緒は思う。
今、美琴の姿となってこんなにも愛されている。
今までの芹緒の人生にはなかったものだ。
芹緒はだれかと付き合ったことはない。家族以外の他人から愛されたことはない。
多くの人々は若い頃に数多くの恋愛を経験し、別れ、その辛さを乗り越えてきたのだろう。
そして多くの人生経験を積んでいるのだろう。
だが自分には人に誇れる人生など歩んでいない。
自分には元に戻ったときその寂しさに耐えられる気がしない。
わずか数日の同居生活で彼女たちが仕える主の姿となってこれだけ愛されているのだ。二ヶ月も経ってしまえばこの不思議な同居生活への愛着はよりいっそう強まるだろう。
井の中の蛙大海を知らず。
知らなければまだ幸せだったのかもしれない。
だが芹緒は愛される幸せを知ってしまった。
(戻らないと……ダメだ)
その決意の声はちっぽけで自分自身にすら聞こえそうにない。
「優香ちゃん、今夜は一緒に寝ませんか」「どうして?」「そう思ったからです」
そう思ってしまったか……。
今日のつつじは普段より情緒がおかしい。桜子の件が話題になった時は普段以上に落ち込み、芹緒をいつもより可愛がり。
「そうですね……」芹緒が不審げな目を自分に向けているのに気づいたのか、つつじは数瞬口ごもったが言うことにしたらしい。「もうすぐ生理なのでテンションがおかしくなっているのでしょう」
生理。
女性と暮らしたことのない芹緒にとって言葉としての意味しか知らない。女性って大変だなー、くらいの感想しか今まで持ったことはなかった。が
「お嬢様も不安定ですがそろそろ来てもおかしくないですからね?」
そうさくらに言われ、改めて自分がその当事者であることを思い出す。
美琴も言っていたではないか。『私の身体生理重いと思いますよ』と。
まだ来てはいないが色々知識としては知っているためついつい重いため息が出てしまう。
「優香ちゃんが優しいからつい甘えてしまっているのは分かっています」つつじは自分を冷静に分析出来てはいるらしい。「これはお嬢様にも普段の芹緒様にも頼めません。今の優香ちゃんだから頼めるんです」
「優香ちゃん止めませんか?」芹緒はせめてもの抵抗を示そうとするが今までの生活上、芹緒のお願いが叶えられたことはほぼない。「下の名前で呼ばれるのは女の子みたいで恥ずかしくて」
「では問題ありませんね優香」さくらものってきた。「今の貴女は可愛らしくて立派なレディですよ。明日は写真館に行って優香のファッションショーをしましょう」
おそらく何を言っても聞いてもらえない気がする。
ただ、一緒に寝ることに疑問はあってもイヤな気持ちはあまりない。一緒に寝るということは布団に川の字だろう。そういうことをしたことがない芹緒には少し憧れがあった。
「明日のお風呂は一人でゆっくり入りますからね?」
芹緒はつつじ先生の太鼓判で貰った権利を改めて口にする。
それにつつじもさくらも微笑ましいものを見るような顔つきで頷く。
「では準備しますので優香ちゃんは寝る準備してきてください」
芹緒が諸々を済ませて戻ると、和室には布団が三つ並べられていた。
芹緒はそのまま真ん中の布団に案内される。
今回はスマホをちゃんと持ってきてある。近くのコンセントタップに充電器をつなぎ、スマホをセットする。
先に寝る準備をしに行ったつつじと芹緒をお世話するさくら。
「お嬢様と寝るのはいつ以来でしょうか。優香は?」
「誰かと寝るのは子どもの頃以来でしょうか」
「今日もおつかれさまでした。ゆっくり休んでくださいね」
そう言ってさくらは芹緒にタオルケットを被せぽんぽんとリズミカルに芹緒の身体を優しく叩く。
完全に子ども扱いだが、これだけ近いとさくらとの体格差を感じてイヤな気はしない。それどころか安心さえする。
そうしてるうちにさくらは戻ってきたつつじと交代する。
つつじはそそくさと横になると芹緒の横顔を優しい顔で見つめながら同じように優しく芹緒を寝かしつける。
「お話してあげましょうか」
「うん」
ここまで来たらとことんつつじの好きにさせてあげたい。芹緒が頷くとつつじは昔話を語り出す。
誰もが知っている昔話だし芹緒だって知っている。だけど誰かが芹緒のためだけに語りかける言葉。芹緒の呼吸のリズムに合わせるように発せられるフレーズ。
芹緒は幸福感に包まれながら眠りの世界に導かれていく。
「戻りました……あ」さくらが途中で言葉を止めてそっと静かにつつじとは反対側の布団に横になる。「つつじもズルいですね」
そう言いながら芹緒の身体を優しく撫でる。
二人は美琴と入れ替わったのが芹緒であったことに改めて感謝する。入れ替わり自体はどうしようもない。
芹緒は彼女たちが知る限りその年代の男性らしさを感じない。それは芹緒にとっては悩みなのかもしれないが、こうやって一緒に暮らしている分には良い方向に働いている。
異性の身体である以上、興味が出るのは仕方がない。そして身体の本来の持ち主である美琴が全肯定している以上、止める権利はメイドたちにはない。
だがメイドたちの監視があるとはいえ、美琴の身体で性的な悪さをしている様子はあまりない。どちらかというとそれを率先しているのはさつきだし、美琴もある意味同罪だ。
芹緒は来世は可愛い女の子になりたかった、だが中身が中年男性だと知られているなかで女の子を演じるのはなかなか勇気がいる。
芹緒は恥ずかしながらも美琴として振る舞おうと努力し、メイドたちの可愛がりもその小さな全身で受け止め、今はこうして生理前の不安定なつつじの願いを聞き入れ一緒に寝てくれている。
その寝顔は不安ではなく安心して寝ついているように見える。
短い同居生活で色んなことがあったが今こうしてお互い信頼関係を築けていることに二人は幸せを感じていた。
つつじもさくらも芹緒の前で全身をさらけ出したが後悔はない。同性の小さな女の子に見られて恥ずかしがるような身体ではない。
二人は芹緒を挟んで顔を見合わせて小さく笑う。
さくらも今日はよく休めそうだ。
(明日もこんな平穏な日々が続きますように)
つつじはそう願いながら意識を落とした。
皆さんの評価やブックマーク、感想が心の支えです。
読んで気になる、面白いと思っていただけた方はぜひ評価やブックマーク、感想をよろしくお願いいたします。




