第三十三話 通話
芹緒とつつじがお風呂を出てバスタオルを巻いてリビングに行くと、さくらが困ったという顔をして二人を出迎えた。
「さくら、何かあったのですか?」
「ありました」
そう言うと芹緒に顔を向けて言う。
「お嬢様、スマホは確認されてますか?」
「あ」
美琴のスマホ。
一昨日ショッピングに持っていったきりだ。そもそも中身は一度も見ていない。
「持ってきます」
芹緒はすぐに自室に戻るとヘッドボードに置いてある美琴のスマホを持ち出す。
芹緒は他人の、それも女子中学生のものだということで開くのを躊躇していた。
だが何かあったのなら緊急事態だ。スマホを持ってリビングに戻り、指紋でロックを解除してさくらに渡す。がさくらはそれを受け取らない。
「どうしたの?」
「お嬢様」さくらは真面目な顔になって芹緒に語る。「これはお嬢様の個人情報の塊であり、お嬢様の自由な世界です。私たちにこの中を見ることは出来ません」
「なら私も」
「お嬢様」
もう一度さくらに念押しされて押し負ける。芹緒は自分が見ても問題ない内容であることを願いながらスマホを操作する。
ホーム画面を見てすぐ気付いたのはあるアプリについていた赤い通知バッジだった。他はどこかで見たようなアイコンが規則正しく並んでいるだけだった。
そのアプリをタップする。
それは見たことがあるようなつくりのSNSだった。
パッと見はLINEだ。
だから何が通知を送っているのかすぐに分かった。
『伊集院桜子』
彼女からたくさんのメッセージやスタンプが送られていた。
「桜子様から連絡があったのですか?」
「そうです」芹緒の確認にさくらは頷く。「お嬢様を先ほどお見かけして連絡したのに返事が一向に来ない、どうしたのかと私に連絡があったのです」
「そっか……」
芹緒は大きくため息を吐く。その側でつつじが芹緒の身体を拭き上げ髪を手入れしドライヤーをかけていく。
「まずは中身をしっかり確認しましょう」
「そうですね」
芹緒は通知の前後から目を通す。
学校を休学することについて身体の不調ということで美琴側からメッセージを送っていた。
芹緒はこのメッセージを送った覚えはない。おそらく芹緒が見ていないところで指を借りて指紋認証を突破したのだろう。抜け目のないお嬢様だ。
それについて心配するメッセージからが新着だった。
このメッセージまでは芹緒と美琴が入れ替わって次の日、この家に移動してきた日だった。
そして次のメッセージからは今日の日付だった。
『体調が悪いと聞いていましたけど出歩いているということは大丈夫なのでしょうか?』
『なんとなく様子がおかしく感じられましたけれど何かあったのですか?』
『どうして返事くれないのですか?』
『大丈夫ですか?』
『美琴様返事を下さい』
『美琴様返事を下さい』
『通話』
『通話』
『通話』
『通話』
……。
少しだけ狂気を感じるが心配していればこのくらいは普通だろう。
むしろここまで心配させてしまって申し訳ないという気持ちが勝る。
「美琴様は桜子様に体調不良で休学というメッセージをこっそり送っていたようです。なのに今日姿を見てしまったので心配をかけてしまったようです」
「いつの間に……」さくらは頭を抱えるがそれも束の間、「桜子様に電話をかけて安心していただきましょう。もちろん服を着てから」
「うん」
芹緒は髪を仕上げてくれたつつじにお礼を言うと下着を穿きバスタオル姿で部屋に戻る。そして衣装タンスのパジャマが入っている引き出しを出して一番上にあったクリーム色のパジャマを着る。
ここで電話しようかと一瞬考えたが、当たり前だが芹緒は桜子と話したことは一度もない。
それに美琴がした話をどう軌道修正するかも相談しなければいけない。
芹緒は再びリビングに戻るとそう説明する。
「正直美琴様のご学友に見つかるのは予想外でした」そうつつじが後悔するように告げる。「ここは美琴様の学校とは離れているのですから、わざわざあのレストランまで行かなければ」
「それは気にしないで」芹緒は断言する。「見つからないようにひっそり生きていくのなんて不可能なんだから、いつか見つかるのが今日になっただけだよ」
続けて言う。
「このまま体調不良でもいいんじゃないかな? 不定期に体調が悪くなるということにすれば、またどこかで見かけられても問題ないんじゃないかな?」
芹緒の提案にさくらが考える。
「前提の話ですが九条家が『力』を持っていることは世間では秘密ですが、上流階級の社会では半ば公然の秘密となっております。もちろん表立ってその話をすることはありませんし、こちらからも喧伝しません。ただ『体調不良』で押し通したら通る可能性はあります」
ですが、とさくらは続ける。
「友人同士でどこまでそのような社交事例が通用するか。泣き脅しになってでも貫くしかないですが芹緒殿出来ますか?」
「出来る」芹緒はまたも断言する。「誰かを心配させないためのウソなんて何度もついてきたから大丈夫」
その言葉に若干の後悔が滲んでいることに二人とも気付いたが、特に言及しなかった。
「ではそのようにお願いします」
立ち直ったつつじが話をまとめる。そして細部を詰め芹緒はリビングをあとにした。
『もしもし』
『美琴様! 大丈夫でしたか!?』
通話の第一声はほとんど叫び声に近いものだった。
『桜子様抑えて』
『え、ええ……。先ほどお見かけしてから連絡が取れなくてずっと心配しておりました。さくらさんにかけたら繋がるものですから何が何やら……』
『ごめんなさい、今日スマホを持って行くのを忘れてしまったの』
『美琴様にしては珍しいですのね。普段はけして身から離さないですのに』
『体調が芳しくなくて』芹緒はウソをつく。『今日は外出出来るくらい回復したものですから、つつじたちが外食に連れ出してくれたの』
『……そうでしたのね。うふふ、私の早とちりで恥ずかしいですわ』
『ううん、心配してくれてありがとう』芹緒は心から感謝する。美琴のことをこれほど心配してくれる友人。彼女の立場に置いてなかなか得難いものだろう。『学校はどうですか?』
『美琴様がいなくなって寂しいですわ。でもこうやってお話出来るくらい元気な時があるのでしたらまたお話出来そうで嬉しいですわ。葵様や姫恋様にもお伝えしてよろしいですか?』
『ええ』本当はよろしくない。全然よろしくない。だがおそらく同じ位の友人であろう子をのけ者にするのも心苦しい。なのでウソをつく。『でも体調が芳しくないのは本当だからお手柔らかにね』
『……もちろんですわ』
そして今日は時間が遅いので後日メッセージでやり取りをしようと話が進み、芹緒は電話を切った。
(乗り切った……)
芹緒は大きくため息を吐く。
時間にすれば五分にも満たない。美琴の真似は上手く出来ただろうか? だが少なくとも電話では問題なく話せた、と思う。
芹緒はそんな感想を抱いてリビングに戻っていった。
同時刻、伊集院家。
「どうして……」
桜子は通話の切れたスマホをそっと胸に抱きしめる。
まるで胸にわいた不安を押し付けるように。
美琴はウソをついていた。
桜子には相手がウソをついているかどうかがわかる『力』を持っている。
そして家族以外にこのことを知っているのは友人である葵、姫恋、そして美琴。
美琴の声を聞いた時は喜びと安堵感に胸がいっぱいだったと言うのに。今は不安に押しつぶされそうだ。
電話で聞くのは躊躇われた。
ほんの少しだけ恐怖があった。
美琴の声を真似た何者かではないか、と。
だから『力』のことを電話口で言うことは出来なかった。
もし今の電話の相手が本物の美琴なら、どうして自分にウソをついたのか、それが悲しかった。
「美琴様に会いたい……」
桜子の呟きは広い部屋に響くことなく消える。
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