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ヤサシイセカイ  作者: 神鳥葉月
第一章 交わる二人の世界

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第三十一話 さんかいめのおといれ

 老紳士とともにさくらと芹緒の二人は洋館から外に出る。

 真っ暗な空の下に小さな灯りだけを灯して佇む洋館は何か物悲しい。

 まだ春の始めとはいえ夜の風は冷たい。

 芹緒はカーディガンの前をそっと閉じる。

 暖かかった洋館内からお腹いっぱい食べて体温も上がった芹緒の身体が外の寒さにふるりと震えた。

 膝丈ワンピース姿で足もシアーソックスでしか隠されていないのだから震えて当然だ。


「あ」


 室内にいたときには感じなかった尿意が不意に訪れた。


 (早め、早め)


 芹緒は頭の中でそう唱えながら老紳士に声をかける。


「お手洗いはどちらですか?」


「私がご案内いたしますのでどうぞ」


 芹緒は老紳士に従って洋館に戻る道を歩き始める。

 さくらが芹緒にだけ見える角度で眉をひそめて不安そうな表情を浮かべていたが、芹緒は親指を小さく立ててサムズアップする。


「こちらの通路の左手でございます」


 洋館のロビーに入ってすぐ、老紳士がそう言って恭しく頭を下げ今来た道を引き返す。

 芹緒は一人指し示された方向へ洋館の廊下を歩く。

 幸い目的の場所はすぐに見つかった。花の意匠が施された大理石のプレートに『POWDER ROOM』という表示があった。そしてその入り口には頭に小さな白い帽子を被ってエプロンをつけた女性が立っていた。


「どうぞ」


 彼女はそう言ってす……と音もなく身体を横に移動して入れるようにしてくれる。


 (普通のドアでもセンサー式でもなく人力……)


 芹緒は小さく会釈すると中に進む。

 中に入るとすぐに重厚な木目のクラシカルなドアがあった。芹緒が飾り彫刻がなされたドアノブに触れようとするとドアは音もなく横にスライドした。

 芹緒は一歩中に足を踏み入れて目を見張る。

 先ほどまでの中世に出てきそうな洋館の姿から一転、現代的なパウダールームの光景が広がっていたからだ。

 中はまるでちょっとしたお茶会でも開けそうなスペースがあった。すぐ近くには椅子も用意されている。ここがトイレというのを忘れてしまいそうだ。とは言え。


 (個室は……)


 そしてようやく目的の個室を見つけた芹緒は中に入り鍵を閉める。


 本来の女性のように滑らかに準備を進められない芹緒は一つ一つ指差し確認をするかのように鈍重に進めていく。

 便座は拭いた、壁に穴はない、乙姫は……ある。


 (スカートはたくし上げて髪は前に流して……)


 はたから見るとこの格好、滑稽に見えそうだが本人は必死だった。中座で片手でワンピースとツインテールが入った部分を持ち、もう片方の手で下着をおろし、腰もおろし音姫を使う。

 そしてようやく尿意を解放する。

 音こそ音姫の流すせせらぎにかき消されているものの、男性のようなホースではなく身体から直接出ている違和感がやはり残る。

 終えると芹緒はトイレットペーパーをくるくると回し取ると秘部に押し当てる。それを数回繰り返すと中腰になりながら立ち上がり下着を上げ、便座から離れた場所でゆっくりと持っていたワンピースを下ろす。自然とツインテールも流れていくので慌てて両手で押さえる。

 水が勝手に出て流れ出したのを見て芹緒は個室から出た。

 個室から出て手を洗い、そのままパウダールームを出ようとした芹緒だったが、パウダールームの壁一面を覆う鏡に映る自分の姿を見て足を止める。

 そして姿勢を正しておかしいところがないか確かめる。

 少し髪が乱れていたので小さなポーチから櫛を取り出し軽く梳かす。


 (こんな感じかな?)


 芹緒は軽く身体や首を揺らし髪やワンピースの揺れを確かめると今度こそパウダールームから出たのだった。







 芹緒がトイレから戻るとすでにつつじが車をエントランスにリムジンを停めて待っていた。


「お待たせしました」


「どうぞお嬢様」


 さくらがドアを開け芹緒はリムジンに乗り込む。

 さくらも続いて乗り込むとドアを閉め、静かに走り始めた。

 後方では老紳士が頭を下げていたがすぐに見えなくなってしまう。


「一人で出来ましたか?」


「出来ました」


 主語がないので第三者からすれば意味のない会話であるが、芹緒にとってはかなり屈辱的で恥ずかしい質問ではある。

 とはいえこうやって心配されることで失敗してなるものかと毎回思うのもまた事実。中学生の女の子が女性として当然出来ることを外で失敗するのは許されない。

 だから芹緒は恥ずかしさと同時に感謝もしている。恥ずかしいので口に出して感謝は言わないが。


「美味しかったですね」


 運転席のつつじがそう話を振る。


「そうですね。コース料理食べたの初めてです。……美琴さんの舌のおかげです。とても美味しかったです。食べ過ぎちゃいました」


 芹緒が美琴のふりを止め、芹緒として話す。物静かな芹緒と出会った頃の美琴から一転、美琴姿の芹緒が顔を出す。


「朝食べたサンドイッチも美味しかったです。つつじさんありがとうございます」


「いえいえ、簡単なものですみません」


「時間がない中作ってもらって嬉しいですよ。お昼のさくらさんの手作り料理も美味しかったですし、皆さん料理も出来るなんてすごいですね」


「料理が出来るのはメイドとして当然のスキルですので。でも褒めていただいてありがとうございます」


 そう言ってつつじがお礼を言い、さくらも小さく頭を下げる。


「こちらこそ皿拭きありがとうございます。美琴様にはさすがに頼めません。芹緒殿は今朝しっかりジョギングをしてくれましたし、力の訓練もしてくれましたから。よく食べてよく運動すれば問題ないですよ」


 と芹緒の食べすぎ発言のフォローを入れる。


「今日の芹緒さんとても可愛らしい姿ですね。お嬢様はおそらく絶対に着てくれません。いかがですか着てみてのご感想は?」


 つつじが芹緒の服装について家路のこの時になってようやく話し出す。


「あっ」芹緒が遅ればせながら気付く。「確かに美琴さんこの格好しそうにないですね……」


「でも可愛いでしょう?」


「可愛らしすぎますね……。美琴さんには似合いますが現実離れしているというか……」


「でも今は芹緒様のお姿です。とてもよくお似合いです。可愛いです」


「ええと……」芹緒は顔が赤くなっていくのを自覚する。「可愛いというのは男性を褒めるのに使う言葉ではなくて……だから」


「でも嬉しいのでしょう?」


 そう芹緒の横に座るさくらが言って芹緒を抱きしめる。


「今の芹緒殿は可愛い女の子なんですから、可愛いと言われて喜んでも誰も変に思いませんよ」


「美琴さんにこんな可愛がり方しないでしょう!? 昨日罰ゲームは終わったはずです!」


 芹緒はそう言うが


「これは罰ゲームではないですよ。ただ芹緒殿が可愛いと思って抱きしめてるだけです。実は私は可愛いものには目がないので。お嬢様を演じる芹緒殿もまた味がありますね」


「つつじさん! 美琴さんのメイドってみんなこうなんですか!?」


芹緒は今ここにはいないさつきの姿を思い出しながら叫ぶ。


「失礼ですねぇ」つつじはそう言ってふふ、と笑う。「みんなただお嬢様と芹緒様が大好きなだけです」







 家に帰りつき、芹緒はさくらに声をかける。


「さくら」


 芹緒はまた美琴になりきる。

 からかわれたとは言え、芹緒と美琴の入れ替わりがバレる訳にはいかない。

 それに先ほどのような仮面を外す息抜きも出来るのだから問題ないだろう、そう芹緒は思った。


「はいお嬢様」


 さくらも車内でのスキンシップで満足したのか普通に芹緒を椅子に座らせエナメルシューズを脱がしていく。


「ありがとう。服もお願いしていいですか?」


「いえお嬢様、まだお風呂が沸いておりません」


「あっ」


 さすがにこのワンピースを脱いでまた何かを着るのは面倒だ。かといって男の頃のように下着姿で室内をウロウロするのは乙女としてもお嬢様としてもダメだろう。

 仕方なく芹緒はそのままリビングへ入る。


「お嬢様、こちらをご覧下さい」


 芹緒が入ってきたのに気付いたつつじがそう言って芹緒をダイニングテーブルに招く。


「取りよせてまいりましたよ」


 そう言ってつつじが頭を下げる。が芹緒は開いた口が塞がらない。


「ええと……」


 ダイニングテーブルに置かれたいくつもの衣類を見て、あとから来たさくらがうんうんと頷きながら言う。


「ゴスロリ、セーラー服、ナース服、メイド服、バニースーツ、スクール水着、シスター服、その他、ですか……。よくこの短期間に集めましたね」


「さつきが用意していました。あの子や美琴様がいると大変なことになってしまいますからね。いない間に芹緒様の夢を叶えてしまいましょう」


「あれは売り言葉に買い言葉だっただけだよ!?」


「そうだったんですか。でもせっかく芹緒様も女の子ですし、全て芹緒様にピッタリサイズですし、着てしまいましょう」


 つつじは芹緒の抗議を軽く流す。

 確かに美琴やさつきがいると大はしゃぎしそうだ。今日さくらがこんな可愛らしい服を用意したのも身体の持ち主である美琴がいないからという理由もあるのではないか。本人がいたら冗談ではともかく本当に着せられない。


 (僕は……)


 正直興味はある。

 バニースーツなんて股間に異物がある男性にはキレイに着こなすのが難しい衣装だ。だけど今の自分なら。

 芹緒は子どもの頃から女性のなめらかな股間に興味津々だった。

 もちろん胸だって好きだが水着のラインが丸い股間を覆っているのを見るのは好きだった。

 それが自分で体感出来る。


 (正直に生きよう、この二ヶ月だけは)


 免罪符のようにそう唱えると芹緒は二人に向かって肯定の意を示したのだった。

私にトイレが好きという自覚はない……はず


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