第三十話 フルコース
「あの方は伊集院桜子様。美琴様のご学友で歴史ある伊集院家のご息女です」
個室に入るとさくらが芹緒に椅子を勧めながら先ほどの少女のことを教えてくれた。
あの子は美琴さんの同級生だったのか。
芹緒は彼女を思い出そうとするが、芹緒は人の顔をなかなか覚えられない。
二つある階段の上と下、と距離も離れていたこともあって記憶に残っていたのは遠目からでも分かる長い黒髪と着物を着ていたことくらいだ。
そして普段とは様子が違う美琴のことを心配していた。
「どんな子なの?」
「見た目通り大人しい方ですよ。勉学も励まれており運動こそ得意ではありませんが、舞踊や歌唱など芸術分野において非常に優れておいでです」
芹緒の問いにさくらは答える。
「お嬢様は今でこそ生来の明るい性格で私たちに接していますが、それまでは学校でも大人しくされていたので、そういうところが波長が合って仲が良くなっていったのだと思っています」
「じゃあ美琴さんみたいに実は……なんてこともありそうだね」
「否定は出来ませんね」
芹緒の言葉にさくらは苦笑する。
「それにしても詳しいね。普通の子みたいに家を行き来するお友だちなの?」
「さすがにお二人とも格式ある家の令嬢ですのでそれほどは。ただ私は学校でもお嬢様のお傍にいますからよく知っております」
さくらの話に芹緒は驚いてしまう。
「えっ、もしかして同じ教室にいたりするの!?」
「はい。生徒が健やかに学業に専念できるように学校側が歓迎しております」
ゲームの中では見たことあるような設定がまさか現実にもあるとは……。つくづく本来の自分と美琴との差を感じてしまう。
「……」
芹緒は部屋を見渡す。
室内はとてもシックな内装で、床板の足ざわりの良さや壁の色の暖かみ、棚に飾られた様々な美術品がまるでタイムマシンに乗ってやってきたような感覚を与える。
部屋の中心には芹緒の家のダイニングテーブルより少し大きな、だが明らかに年季の入った重厚なテーブルが鎮座し、それを芹緒やさくらは囲んでいる。
「お待たせしました」
つつじが先ほどの老紳士に案内されてやってきた。そして
「いつものメニューを人数分、それとハンバーグを1人分お願い」
椅子に座ったつつじが慣れた様子で老紳士にオーダーを伝えると、老紳士は頭を下げ
「かしこまりました」
そう言って部屋を退出した。
「何かありましたか?」
つつじが二人の様子を見てそう尋ねた。こういうときつつじは鋭い。
「お嬢様のご学友と会われたのですか」
芹緒とさくらがつつじがいないときに行われた伊集院桜子との会話を話すと、つつじは少し考え込むように黙り込む。
「何か問題ありますか……?」
芹緒の問いに答えたのはつつじではなくさくらだった。
「お嬢様は休学中です。会わなければそのまま流されていたでしょうが、会ってしまったことでどうして休学されたのか興味を引かれた可能性があります。そしてさくらお嬢様からすれば友人、最低知り合いであるはずの美琴お嬢様が自分のことを知らないような態度をとったことを不振がる可能性もあります」
「ああ……」
芹緒はうめき声を出すことしかできない。
いきなり話しかけられてすぐお嬢様の仮面を被り取り繕うことはまだ難しい。
芹緒からすれば『美琴』と呼ばれて反応出来たのが奇跡みたいなものだ。だが今回は反応したのが悪かった。
なまじ反応してしまったがために相手は『美琴』と認識したのに、『美琴』として動けなかった。
休学しているのだから、病気とでも偽って反応しないほうが良かったのかもしれないが、全て後の祭りだ。
今後のことを考える必要がある。
「お嬢様には桜子様と会話が出来るよう、桜子様についての知識を覚えていただきますね」
そういうさくらの顔は見慣れた優しい顔だったのが芹緒にとっては救いだった。
しばらくして運ばれてきたコース料理の数々は美琴の肥えた舌も芹緒の貧乏舌も満足させた。
前菜の季節のサラダとカリカリのフォカッチャから始まり、クリーミーかぼちゃのポタージュ、メインのサーロインステーキ。
フォカッチャなんて食べるのは初めての芹緒は二人に教えてもらいながら味わい。
ポタージュといえばコーンポタージュ一択の芹緒ですら手が止まらない。
ナイフを入れるだけで肉汁が溢れ、口に入れると噛むたびにじゅわっと旨みが口の中に広がる。
普段ステーキの部位なんて気にしないし知らない芹緒はつつじ先生とさくら先生から教えてもらいつつ一口一口その味わいを楽しむ。
副菜に海老とアボガドのクリームグラタンとつつじが追加で頼んだハンバーグが運ばれてくる。
「黒毛和牛シャトーブリアンのロッシーニ風ハンバーグ、トリュフソースとフォアグラ添えでございます」
昔テレビの『○チになります!』で見たような小さなハンバーグがその老紳士の説明で圧倒的存在感を誇ってくる。つつじが「説明をお願いします」というと老紳士は心得たとばかりに口を開く。
「お肉は黒毛和牛の中でも特に柔らかい『シャトーブリアン』を使用しております。普通のハンバーグよりきめ細やかでとろける食感がお楽しみいただけるかと。フォアグラはフランス南西部のペリゴール地方から取りよせてございます。またソースは『黒トリュフ』をふんだんに使ったものでございます。どうぞご賞味くださいませ」
そう説明を終えると老紳士は退出する。
芹緒はシャトーブリアンもフォアグラもトリュフも食べたことがない。お金がないのもそうだが貧乏舌を自覚していた芹緒には無駄金としか思えなかったのだ。
でも美琴の舌なら。
そっとフォークで押さえナイフで切る。すっとナイフが通り一口分のそれを芹緒はそっと小さな口に運ぶ。
「!!」
今まで食べていたハンバーグとは比べものにはならない旨みが口中に広がる。トリュフソースの芳醇な香りが鼻を抜ける。柔らかなハンバーグの食感とカリッとしたフォアグラの食感がたまらない。咀嚼していくうちにフォアグラの濃厚な味わいが口いっぱいに広がる。
もちろん付け合わせのにんじんのグラッセや彩り野菜も忘れない。
ハンバーグは四口でなくなってしまったが芹緒は大満足だった。
海老とアボガドのクリームグラタンもあっという間にお腹におさまってしまう。
「デザートでございます」
そう言って老紳士が運んできたのはフルーツタルトのバニラアイス添え。
甘いものは別腹。
芹緒は再び湧き上がる食欲とともにデザートを心ゆくまで楽しんだ。
「芹緒殿幸せそうですね」
「そうね」
さくらとつつじは小声でそう言葉を交わし微笑む。
芹緒と色々話したいこともあったが、これは帰りの車内になるだろう。
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