力持つ者
シャワーを浴び終えた芹緒は今度は抱えられることなく、二人のメイドに連れられて階段を登っていた。
今の芹緒は白いワンピース姿だった。
ゆったりとした腰回りと足周りがとても落ち着かない。
動くたびにスカート部分がさわさわと足にまとわりつき、その感触にいちいち芹緒は反応しそうになるがなんとかこらえている。
先ほど抱えられていた時は階段を使われた覚えはないので、違う部屋に案内されているらしい。確かにあの部屋は大きなベッドがあるだけの部屋だった気がする。
ようやく芹緒にも周囲を観察できる気持ちの余裕が出てきた。なんだかんだでとても気持ちの良いシャワータイムであった。股間の感触は忘れたいが胸は忘れがたい。
ここは昨晩見えていた大きな家、屋敷の中だろう。
洋館ではなく見える至る場所に木材が使用されている。
二階の長い廊下には窓がなく、両側に扉がある。どの扉も立派な細工が施されており、また、扉同士の間隔も人が住む家としては明らかに広い。天井には豪奢ではないライトが等間隔で据えられている。床は絨毯が敷きつめられており、スリッパで歩いていても気になるくらい静かだ。元の芹緒の体重で歩いたらどうなるかは分からないが。
いくつもの部屋を通り過ぎ、ようやく二人の足が止まった。メイド二人は揃って芹緒に一礼すると、扉をノックし、声を発した。
「旦那様、御嬢様をお連れしました」
『うむ、二人も入ってこい』
先ほど聞いた中年男性―――九条社長の声が部屋の中から聞こえてきた。
「どうぞお嬢様」
二人のメイドがそれぞれ両開きの扉の左右に立ち、扉を開ける。
芹緒は促されるまま中に進もうとして、部屋の中にいる人物を見て動きが固まった。
部屋の中には三人、姿があった。
一人は女性。床で正座したまま頭を下げ、体を縮み込ませている。いわゆる土下座だ。
この女性が誰なのかなんとなく想像はついたし考えたくもなかったので、芹緒の目はテーブルの席に腰掛けている二人の男性に行った。
一人は九条社長。
もう一人は、顔をぼこぼこに腫らした自分だった。
「……!」
嫌悪感が芹緒を襲う。
分かっている、分かってはいるのだ。自分が他人に見られるとき、どんな姿なのかを。鏡を見ればすぐに分かる。それでも芹緒は自分の容姿が嫌いだったし、努力せずに他人と距離を置くばかりだった。
「こんにちは、おじさん」
芹緒の姿をした推定少女は、痛みがあるだろうにそう言って芹緒の顔でにっこりと笑った。
いつも鏡で見る作り笑いとは違う、柔らかい笑み。
芹緒の嫌悪感が薄くなった。
何が違うのだろうか。
「芹緒君もこちらに座りたまえ」
扉から一番遠い長テーブルの奥、九条が芹緒を促す。
「はい……」
二人のメイドが芹緒の座る椅子を引く。
「これが他人に聞こえる私なのね。なんか変な気分」
芹緒姿の少女から聞こえる声は、芹緒には長い人生で慣れてしまった声だ。
芹緒は九条社長を右手に、芹緒の姿をした少女を真正面にして椅子に腰掛ける。
二人のメイドは扉まで下がった。
「まずは現状把握をしよう。美琴、芹緒君、自己紹介を」
九条がそう言うと、芹緒の姿をした少女は
「改めまして、九条美琴です。昨晩はごめんなさい」
と名乗った。
「芹緒優香です。昨晩は何があったのか教えていただけますか?」
「えっと、おじさ……芹緒さん。昨日出会ったときのことは、えとその」
美琴はとたんに口ごもった。
「昨晩私は山の中で美琴さんと出会いました。聞けば彼女はどうやって山の中まで来たのか分からないと言っていました。私は暗い山に彼女をそのままにしておけないと思い、私の車でここまで送り届けました」
美琴さんが口ごもった理由はすぐに検討がついた。昨日の自殺未遂のことだろう。
芹緒だって所属している会社の社長にバカ正直に自殺しようとしてました、なんて言えるわけがない。立て板に水とばかりに芹緒は言葉を続ける。
「美琴さんを車から降ろしたあと、何があったかは分かりませんが、不幸な出来事があって私は意識を失いました。そして目が覚めたら美琴さんになっていたんです」
「芹緒さん昨日は止められなくてごめんなさい。痛かったですよね?」
美琴が芹緒の顔で心配そうに尋ねてくる。
「一撃で意識が吹っ飛んだので。痛みを感じるヒマもなかったです。それより美琴さんが今痛いのでは?」
「あ、あはは……。目が覚めたら治療終わってて。おじさんが痛くなくて良かったです。悪いのは私だから……」
「あれは不幸な出来事ですよ。状況証拠だけなら頭に血が上ってしまうこともあります」
「申し訳ありませんでした!」
テーブルの向こう、扉側から声が聞こえてくる。
「まとめる」
九条社長が声を無視して話す。芹緒としても彼女に対してどうしたらいいか分からない。もっと普通に謝ってくれたらいいのに、いきなり女性の土下座とか面食らってしまう。
「美琴が行方不明になったと家の者から連絡があった。本当に不意に消えたそうだ。さくら含め幾人かがそれを見ている」
九条道里の声が低く、厳かなものになる。
「我が家には昔から不思議な力を持つ者が現れていたそうだ。かく言う私も常人は持ち得ない力がある。とは言えそれほど便利な力ではない。私の意志に関係なく、誰かの言葉が聞こえてくるだけだ。ある種の未来予知、お告げのようなものだ」
未来予知?お告げ?
そんな力があればこの現代なんて楽に生きることが出来る。
株価がわかれば、宝くじの当選がわかれば、ギャンブルの当たりがわかれば。
幸運でなくても未来がわかれば最良の手がいくつも見えてくる。
「知りたいことではなく、極まれに情報のチャンネルが一つ増えるようなものだな。そして昨晩。娘が力を『発動させた』ことを知った。なんの力かは分からなかったが、突如消えたという知らせが入ったことで、私は当初瞬間移動の力かと考えた。我が家系でも特に力ある者は雷鳴とともに恐るべき力を行使したという。夕方会社から見えた雷光は娘の力だったのかと空恐ろしく感じたものだ。だが」
九条社長は笑顔を浮かべる美琴と、固唾を飲んで話に聞き入る芹緒の顔を見やる。
「娘は今度は雷光と共に体を入れ替えた、というわけだ。今まで二つの力を扱った者など記録には遺っていない。恐るべきことだ」
部屋の中がしん、と静まる。
「ええと……」芹緒が声を出す。「昨晩何が起こったのか、筋道は理解しました」
「信じてくれるんですか?」
美琴が芹緒の顔で驚きの表情で目を丸くする。
「理屈はどうあれ、実際美琴さんと私が体と精神が入れ替わっているのは紛れもない事実なので。信じるというより信じるしかないでしょう。それで」これが一番大事だ。
「元に戻れるんでしょうか?」
元に戻れれば不思議な体験をしたと、来世への手土産になるだろう。
芹緒は九条の顔を見る。九条はその視線を美琴に向ける。つられて芹緒も美琴、自分の顔を見る。
メイドの二人も美琴に注目している。
「……」
土下座しているさくら以外の視線を集めた美琴は、指を一本立てて唇に当て
「わかりません」
と芹緒の顔と体に絶望的に似合わないポーズで答えた。
「娘も修行は積んでいたのだ」
話し始める九条社長の言葉は、先ほどよりも頼りなく聞こえる。
「今まで力の発動がなかったとはいえ、いざという時制御出来るよう修行を課していた。力を持つ者はそのほとんどが幼少期からその片鱗を見せる。……だが娘にはそれはなかった」
「それでも修行させていたのは……?」
「親バカ、だな。幼い頃に母を亡くし、傍流に力持つ者がいた。力があるか、一族に力ある者が誰もいなければこの家を継げるが、娘に力はなく、な」
「ええと」芹緒は頭の中で情報をまとめていく。
「美琴さんは悩みがありました。そのうちの一つが許嫁でした。もしかして美琴さんの許嫁というのはその力ある者、ですか?」
「そうだ」九条は頷いた。
「美琴さんは力を発動させた。つまりもう」
「彼にはすまないが破談だな。娘が乗り気でないのは知っている」
にこにこと芹緒の顔で笑顔を浮かべる美琴が見える。
「娘さんの問題解決ですね。……新たな問題が発生していますが」
芹緒の言葉に九条も苦悩の表情を浮かべる。
「このままでは美琴さんが可哀想です。なんとか出来ないものでしょうか?」
美琴はまだ中学生。これから青春時代を楽しむ、人生で最も輝く時期ではないか。それがあんな醜い脂肪の塊に魂が捕らわれるなどあんまりだ。
そして。
美琴が可哀想だとは言ったが自分だって辛い。一時的な女体化体験は大歓迎だが、このまま女として一生を過ごすのはごめんこうむりたい。
「……現状、娘次第だ。今すぐ元に戻るかもしれないし、二度と戻れないかもしれない。こればかりはなんとも言えん」
九条の言葉も重い。
「美琴さんもそんな体嫌でしょう。早く元に戻りたいと思いませんか?もう美琴さんの悩みは解決しました」
美琴も力持つ者として振る舞うことが出来れば、のびのびとこれからの人生、生きていくことが出来るはずだ。
「私女より男に生まれたかったんです」
「「は?」」
不意に美琴が爆弾を投下する。
その言葉に芹緒も九条もメイド二人も、さくらすら顔を上げて美琴を見る。
「このまま私になってくださいませんか、おじさん」
美琴の言葉が甘く甘く芹緒の耳を打つ。
「おじさんの悩みだって解決するんですよ」
結婚? 無理むり。
―――若い女の子なら??
お金持ち? ありえない。
―――大きな家の御嬢様なら??
健康? 今は体が動くがこんなデブがいつまでも健康なわけがない。
―――瑞々しい肉体。維持さえすれば??
『もう未来に希望はないからね。今死ぬか未来野垂れ死ぬかの違いでしかない』
『来世は可愛い女の子になって人に愛されたいな』
『こんな太って見た目が醜いからね。こんな状況じゃなきゃ君だって叫び声上げて逃げ出すはずさ』
「だ、だめだ……」
芹緒はなんとか言葉を絞り出した。
視界が歪む。
なんという誘惑か。
歪んだ視界の向こう側で九条が美琴を殴り飛ばし、二人のメイドとさくらに取り押さえられていた。
そう、だめだ。
『これは他人に迷惑をかけている』
自分の人生の不始末は自分でケリを着けなければ。
「待て!」
混乱した部屋の中、九条が目を見開き叫んだ。
「聞こえた!!」