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女体化

「ん……」


 まどろみながら芹緒は右手の甲で顔をこすろうと右手を動かした。

 普段よりも少しの力で腕は動き、普段よりも弱い力で顔をこする。


「……」


 うすら目を開けてはいるが何か見えているわけではない。ただ明るさを感じてまた眠りの世界に戻ろうとした。


「お嬢様!」


 焦りを滲ませた若い女の声が聞こえた。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」


 意外と近い場所から聞こえる。

 芹緒は普段、朝テレビ見たりやノートパソコンを開いたりしていない。だからこんな音が聞こえてくるはずはないのだが。


「お嬢様、お嬢様!」


 身体を揺さぶられる。

 普段夢を見ない芹緒の意識が覚醒する。


「誰……?」


 芹緒の口から出た音は普段馴染みのある音ではなかった。


「さくらです、鬼島さくらです!」



 刹那脳裏にスライドが1枚浮かび上がる。

 信じられないような速度で自分に近づいた、殺気立った恐ろしい顔。

 次の瞬間には意識を失っていたが、あの恐怖は心に刻み込まれている。

 ()()は「さくら」と呼ばれてなかったか……?




「うわあああああああああっ!!!?」


 恐怖にかられた芹緒は叫び声を上げ声から遠ざかろうと身体を動かした。へっぴり腰で逃げ出したがすぐに壁に頭をぶつけてしまった。

 どうやら今までいた場所はベッドの上で、自分はベッドと壁の間に落ちてしまったらしい。

 身体をくるりと回しキョロキョロと辺りを見渡し、頭の上に外の陽の光が差し込む窓を見つけた。


「くっ!」


 なんとか窓に飛び付き、開けようとするもがたつくこともなく、全く開く気配がない。

 そうなると残った逃げ道は「さくら」の背後にしかない。芹緒のぶくぶくに太った醜い体の鈍重な動きでは考えるまでもなくすぐに捕まってしまうだろう。

 後ろを振り向くと立ち上がった「さくら」がこちらを見ていた。


「あああ……」


「さくら」は椅子から立ち上がったまま呆然と、恐慌状態の芹緒を見下ろしていたが、やがて沈痛な表情を浮かべ黙ったまま後ろ歩きでドアまで行くとそっと部屋を後にした。







「はあ……はあ……」


 表情なんて見ている余裕もなく「さくら」の動きだけを壁にへばりつきながら見ていた芹緒だったが、「さくら」が部屋の外に出て行ったのを確認すると、へたり込んでしまった。


 ()()は現実だった。

 今まで自堕落に生きてきた芹緒にとって初めて直接殺意を向けられた瞬間だった。


 涙が止まらない。

 死のうと思っていたはずなのに、死へ続く恐怖は本当に恐ろしかった。死ぬのは怖いから一瞬で死のうと思っていた、だというのに恐怖を感じてしまった。


「あ……」


 股間が温かい感覚に包まれる。アンモニア臭がほのかに立ち込める。

 恐怖で漏らすのは本当なんだ、とどこか他人事のように考えてしまった。



 だが本来ならここで気を抜いてはいけない。

 やはり少女は良い家のご息女だった。暴力団ではなさそうだが、なんの会話もなく暴力を振るう女性がいるような家はいくらなんでも厄介すぎる。


 早くここから逃げ出してあの山へ行こう。

 殴られるくらいならさっさと死んだほうがましだ。


 車のキーを探そうとして身体をまさぐってふと違和感に気付いた。

 胸がある。

 いや、胸は太っていたから元々あったがあきらかに感覚が違う。

 そして腹がない。

 上下真っ二つということではなく、あの脂肪だらけの腹がきれいさっぱり消えている。

 身体のバランスがいつもと違う。

 視界に入る髪の色が長さが違う。

 贅肉と運動不足でがちがちに固い体のはずが今はぺたりと床に座り込んでいる。


「……」


 ごくりと唾を飲み込みながら濡れた股間をまさぐってみる。

 小さいとはいえ生まれた時からずっと連れ添った相棒は姿を消していた。




 女になった……?




 そんな芹緒の思考は開けられたドアの音によって止められた。







「何もしない。落ち着きたまえ」


 部屋に入ってきての第一声はこれだった。

 中年の男性だった。

 見た感じ芹緒と同じくらいかそれより少し下か。

 ドアを閉めてから一歩たりとも近づこうとしてこない。


「君と話がしたい」


 柔らかい声色で芹緒に語りかける。


「何も持ってはいない」


 両手を広げる。


「彼女も素手でした」


 恐怖を頭からなんとか払いのけながら言う。この男とは会話が出来る。


「昨晩はすまなかった」


 男性が頭を下げる。


「君に襲いかかったさくらをすぐに止められなかったのは私の責任だ。君には大変不愉快で辛い思いをさせてしまった」


「いえ、大丈夫です。あなたが謝る必要は……」


「人を使う者の責任だ」


 頭を上げながら男性はそう言った。


「君と話がしたい。君の今の状況についても説明が出来るかもしれない」


「話をしたあと殺されるようなことは……?」


 ここはどこで、この男は誰だ。話を聞くだけ聞いてあとは……ということもあり得る。


「ない」


 男性ははっきりと断言する。


「この九条道里の名にかけて、君を乱暴に扱うことはしないと約束する」


 芹緒は男性が名乗った名前に心当たりがあった。


「九条……道里……社長?」


 そう問いかけると、男性―――九条道里は苦笑しながら頷いた。


「私の顔を見ても分からない、か。君の正体にも確信が持てたよ、芹緒優香君」


「なぜ僕の名を社長が……?」


 あまりの展開に芹緒は思わず立ち上がる。そんな芹緒の姿を上から下まで見やると


「まずはシャワーでも浴びてきたまえ。娘のそんな姿を見るのは10年前に卒業したつもりなんでね」


「娘!?」







 ドアから出てきたクラシカルなメイド服姿の二人組(田舎者の芹緒は初めて見た)に小さい女の子になった芹緒はひょいと抱えられると、あれよあれよという間にだだっ広い部屋に連れ込まれ、(パステルピンクのパジャマだった)を脱がされ裸にされる。

 二人のメイドはそこでメイド服だけ脱ぐと下着姿のまま、芹緒をこれまただだっ広い浴室へと運び込んだ。


「えっあ、あの」


 白い下着と同じくらい白い肌の女性に囲まれて、芹緒は目も向けられない。


「旦那様よりお嬢様のシャワーの手伝いをしろと仰せつかっております。ああこんなに汗をかいて。髪もお洗いいたしますので、どうぞお座り下さい」


 促された椅子に座ってそっと顔を上げると、正面には大きな鏡が設えられていた。そこには人の顔を覚えられない芹緒でもあまりのインパクトに目に焼き付いていた、あの金髪の少女の姿があった。


 さきほど九条社長は「娘」と言っていた。この少女こそが娘であり、つまり芹緒と少女は入れ替わったということなのか。


「失礼いたします」


 メイド二人が優しくてきぱきと芹緒の髪にシャワーをかけ、そっと洗い始める。

 確かにこんな長い髪の手入れの仕方なんて全く知らない。自分の髪ならいざ知らず、他人の髪の手入れなんて責任は持てない。

 だから九条社長はこの女性たちを寄越したのだろう。


「……」


 下を向くとそこにはきれいな形をした瑞々しいおっぱいがお湯を弾いていた。

 ちろりと鏡を見やる。芹緒には女性の年齢を見た目で判断出来る技量はないが、やはり子供だ。それにしては大きい、と女性経験皆無の芹緒は勝手に判断する。


 芹緒は女性と向き合うのは苦手だが女体自体は嫌いではない、むしろ相手にされないからこそ興味深々だ。

 他人の裸を見たら怒られるだろうが、自分の裸なら……。


 あまりの現実感の無さに芹緒の理性のタガはおかしな方向に外れていた。

 見下ろす視点で子供とはいえ女性の胸をまじまじと見るのは初めての経験。後ろめたさはあるが芹緒自身は何もしていない(ガン見しているが)。自前の胸と比べると質感が違いすぎるのを実感する。同じ脂肪の塊でもここまで違うのか。


 髪を洗われている間、身体の動きに合わせてふよふよと動く胸を芹緒は目と感覚で心ゆくまで堪能した。




 芹緒がおっぱいを堪能している間に髪は洗い終わったようだ。手際良くタオルとともに頭の後ろに纏められる。


「失礼いたします」


 メイドがそう言って芹緒の右手を持ち上げると、泡のついた手で芹緒の腕を優しく洗い始める。


「失礼いたします」


 もう一人のメイドが反対側の腕を洗い始める。

 あまりにも未知の体験。

 この短い時間で、殺意、女体化、そしてお姫様のような扱い。

 現実感がすっかりマヒしてしまっている芹緒はふわふわした気持ちで身体を洗われていった。



「失礼いたします」


 不意にメイドの一人が芹緒の股間に手を入れてシャワーをかけ始めた。


「んんっ!?」


 目が覚める、現実に引き戻される。

 分かる。

 お漏らしをしてしまったのだから洗い流さなければいけないのは頭では理解している。だが身体の感覚がついて来ない。


 ほとんどが太ももだがメイドの手の動きで自分が今女であることを身体で強制的に認識させられてしまう。


「んっ」


 今まであったもののところは素通りし、今までなにもなかったところを指がなぞっていく。

 胸は楽しめてもこちらは空恐ろしい。


 ない。

 ない。

 ない。


 ないを受け入れてしまう。







「はああ……」


 浴室から出た頃には芹緒はすっかり精神的に疲れ果ててしまった。


「失礼いたします」


 メイドの二人がこれまた手際良く髪を乾かし身体を吹き上げ、衣類を付けてくる。

 一人のメイドがブラジャーを手に取った時、そういえば先ほどは付けていなかったな、とのん気な事を考えた。

 その時、


「ひゃあ!?」


 芹緒は女の子のような可愛らしい悲鳴を上げてしまった。

 女の子でこれだけ胸があるのだから、ああ、ブラジャーを付けるんだろうなと分かってはいたが、芹緒の胸にブラを当てたメイドがカップに手を入れ、芹緒の胸を直接触って整え始めたので思わず声が出てしまったのだ。

 メイドは気にすることもなく、芹緒の胸を整えると


「失礼いたしました」


 と一歩下がった。

 他人に身体を触られた感覚がなかった芹緒は、可愛らしい悲鳴を上げてしまった自分に行き場のない恥ずかしさを覚えた。

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