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ヤサシイセカイ  作者: 神鳥葉月
第一章 交わる二人の世界

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第十八話 ショッピング

「この子のスリーサイズ計測お願いします。恥ずかしがり屋なんですけど、正確なサイズが必要なので直接測って下さいね」


 芹緒の腕を引っ張ってさつきが女性下着専門店に入るなり近くの女店員を捕まえて放った第一声がこれだった。


「承知いたしました。さ、一緒にこっち来て下さいね」


 女店員の声に促され、さつきが芹緒の背中を押してフイッティングルームに押し込む。そこに女店員も入ってきてまたしても芹緒は午前に続いて個室に二人きりとなってしまった。


「それじゃあワンピースは脱いでもらって下着だけになってもらえますか?」


「は、はい」


 流れるような手際の良さに芹緒の頭は付いていけず、ただ午前中何度も繰り返した服の脱ぎ着はすっかり身体に染みついてしまったのか、半ば無意識にワンピースを脱いでいく。


「恥ずかしいと思うけど正確なスリーサイズ計測ってことなので、ブラジャーも外してね? 女同士だからあまり気にしないで。みんなやってることだから。あなたはお友達より少し成長が早いだけなの」


 女店員の思春期の少女にかけるであろう言葉に頭痛がしそうな芹緒。

 正直脱ぐことに抵抗はない。元の姿の中年男性の弛んだだらしない体ではなく、溌剌とした瑞々しい『他人』の肉体である。この状態の裸を見られても何か薄い膜がかかっているような恥ずかしさの感じ方にワンクッションある感じがする。

 それより辛いのは自身が思春期の少女として扱われることだ。事情を知っているさつきたちではなく、正体をしらない他人が芹緒を少女扱いすることにとてつもない恥ずかしさを覚える。

 違うんだ!と叫びたいが叫んだところで中身が中年男性である証拠はどこにもなく、下手すれば思春期によくある中二病として片付けられてしまいそうだ。

 ここで駄々をこねても助けは来ない。芹緒は背中に手を回してブラジャーのホックを外してブラジャーを取る。


「はい、それじゃあ測りますね。……ちょっとごめんね」


 女店員はそう言って芹緒の脇から手を入れてメジャーを背中に回し前に持ってくる。そして乳首付近まで持ってくると


「85cm。そのままでいてね。……63cm」


 女店員は続けて胸の下側でサイズを計測するとそう言った。


「あと二箇所測るからね」


 そのまま女店員はウエスト、ヒップとサイズを計測していく。流石にヒップの計測時下着を脱いでくださいとは言われなかった。


「はい、お疲れ様。そのブラ見せてもらってもいいです?」


 女店員の言葉に芹緒は付けようとしていたブラジャーを手渡す。

 女店員はブラジャーのタグを確認したあと


「うん、このサイズで問題ないかな。まだ同じサイズのブラを選んでも問題ないから好きなのを選んでね」


「はい、ありがとうございます……」


 そして芹緒は返ってきたブラジャーを女店員の目の前でつけ始める。

 そりゃそうだ。パンツ一枚の客を置いてここを出て行くわけにはいかない。仕切りを動かした時誰かに見られるかもしれないからだ。

 けれども事情を知らない他人の目の前でブラジャーを付けるのは、ブラジャーをつけ始めてまだ二日の元男には精神的にかなりしんどい作業だ。


「ちょっとごめんね」


 やはりというかなんというか。

 なんとかブラジャーに胸を収めた芹緒の姿を見た女店員は一言断りを入れると芹緒のブラジャーの中に手を入れ胸の形を整えていく。黙ってそれに耐える芹緒。こうなるんじゃないかと半ば予想していたので昨日のような驚きはない。


「大きくて大変だと思うけどしっかり形を整えておけば将来綺麗なバストになるからね、頑張って」


 大人になっても女性だなんて考えたくもない将来ではあるが、とにもかくにも芹緒は頷いておく。

 芹緒の態度に満足そうな女店員はワンピースを着終えた芹緒を伴って仕切りを開けた。


「さ、美琴ちゃん。好きな下着はどんなのかな?」


「……」


 外ではさつきが待ちかまえていた。そう言われてしぶしぶ周囲を見渡す芹緒。

 すると色とりどり、様々なデザインの下着が視界いっぱいに入り込んでくる。数多くのマネキンやトルソーが着飾られ、お店に訪れた女の子たちが色んな下着を手に取ったり体にあてたりして楽しそうに選んでいる、ように芹緒は感じた。


「……」


 ここに自分が混ざってはいけない。


 本能的にそう悟った芹緒はお店の隅にあるまとめ売り下着コーナーに歩いていく。


「ちょっと待った美琴ちゃん! その年でそこは切ないよ!? お金はあるから可愛いの選びましょう?」


 芹緒がどこに向かうのかいち早く察知したさつきが芹緒の腕を掴んでそう言う。


「お嬢様は美少女なのに下着は三枚いくらのまとめ売りなんて、ダメです! 世界が許しても私が許しません!」


 そう言ってさつきは芹緒のワンピースの裾を両手でめくり上げる。裾がふわりと持ち上がって芹緒のへそまでめくれてしまう。当然下着は丸見えだしここは店内だ。いくら店内が女性だらけとはいえ何事かと視線が集まるがさつきは気にしない。


「こういう可愛らしい下着こそ夢があるんです! ……美琴ちゃん? あれ? おーい? あの、お嬢様?」


 熱弁するさつきが無反応の芹緒に気付いて声をかけるが反応がない。


「さつき。さすがに公の場ではしゃぎすぎです」


 見かねたさくらが苦言を呈する。そんな二人をよそに芹緒は大きなため息をついた。


「芹……美琴、様?」


 さつきがおそるおそる芹緒に声をかける。


「ちゃんと選ぶから……さつきは外で待ってて」


「すみませんでした美琴様、ですが」


「さつきさん、外で、待ってて」


 芹緒が言葉を区切ってさつきに言い聞かせるように小さな、しかし低い声を出す。小さな体躯ながらもその迫力に圧倒されてしまったさつきはじり、じりと後ずさってお店から出て行く。


「……私はいかがいたしますか?」


 さくらは言外に自分も外に行こうかと提案する、が芹緒はふるふると首を横に振って先ほどは逃げ出した色とりどりの花園ー下着売り場に足を向ける。


「さくらさんは一緒に来て」


「はい」


 下着売り場に着いた芹緒は何事もなかったかのように下着を選び出す。


「私は好みでさくらさんに渡すから、さくらさんはサイズと上下揃えてほしい」


「はい」


 白、ピンク、パステルグリーン、パステルブルー、ワンポイント、フリル、リボン……


 芹緒はどんどん下着を選びつつさくらに渡していく。さくらは先ほどの女店員を呼んで加勢をお願いする。

 いっそ自暴自棄に選んでいるようだが、どれも美琴に似合うような、客観的な視点で選んでいることにさくらはしばらくしてから気付いた。

 センスは悪くない。確かに芹緒の趣味嗜好はあるだろうがこれは誰にでもある誤差。

 あとでさつきたちが文句を言わないよう、一週間分以上選んでいるのもさすがだ。


「……こんなところでどうかな?」


 女店員が一抱えほどの下着を持ったところで芹緒はようやく手を止めた。


「良い買い物だと思いますよ」


 さくらは笑顔でそう頷くと女店員を伴ってレジへ向かっていった。


「ふう……」


 手持ち無沙汰になった芹緒は急に居心地が悪くなって店の外で小さくなっているさつきの元へ歩みを進める。


「おかえりなさいませ美琴様」


 それでもさつきは綺麗なお辞儀で芹緒を迎える。


「先ほどは申し訳ございませんでした……芹緒様」


 そう小声で芹緒に謝罪した。


「もう気にしてないよ。さつきさんの明るさには救われているから、これからもよろしくね」


 芹緒はそう言ってぽんぽんとさつきの背中を叩く。肩を叩きたかったが届きにくいし不恰好だった。


「お待たせしました」


 まもなくしてさくらが手ぶらで2人の元に戻ってきた。


「荷物は家に送る手配をしました」


 そう伝えるさくらに頷くさつき。女3人で荷物を抱えたまま歩くのも大変だと思っていた芹緒も頷く。


「芹緒様と落ち合うまでまだ時間がありますね」


 さつきが腕時計を見ながらそう言う。

 本来ならさつきは美琴ちゃん下着ファッションショーを行おうと企んでいた。が、それは自身のはしゃぎすぎでおじゃんとなってしまった。

 そして芹緒が淡々と買い物をこなしてしまったため、まだ数時間は猶予がある。


「美琴様、まだ元気だと思いますのでウィンドーショッピングはいかがですか?」


 そうさつきが提案する。さくらもうんうんと頷き腰をかがめて芹緒に耳打ちする。


「以前の体でしたら大変でしたでしょうが、今のお嬢様のお身体なら一日中歩いても大丈夫です。芹緒様もまだお嬢様のお身体で歩き回ったりしていないので、ここは一つ、軽い運動だと思ってどうですか?」


 言われてみれば確かに身体が入れ替わってから芹緒はこの身体で歩き回ったり運動した記憶がない。

 性別はともかく若い身体なら元気が溢れているだろうことは想像にかたくない。


「わかった。色々見てみようか」


「はい!」


 さつきは嬉しそうに言うと芹緒の手を握って歩き出そうとする。「一人で歩けるって!」美琴の年であっても手をつなぐのは恥ずかしいだろう。そう思って丁重に手を離す。


「はーい」


 先ほどのがこたえたのかさつきはそれ以上は何もせず、その代わり芹緒にぴったりと寄り添った。


「これくらいは許してくださいねお嬢様♪」


「女同士ですしそれくらい普通ですよ」


「わかったよ」


 さつきはともかくさくらにそう言われては仕方がない。

 腕を組まんばかりに寄り添うさつきに促されながら芹緒は歩き始めた。その後ろを音もなくさくらはついていく。






「あっ……」

 小一時間、女性下着専門店から何の目的もなくレディスファッション売り場を眺め歩いた三人は下のフロアに移動した。

 芹緒が小さく声を上げたのはその時だった。


「どうしましたか?」


 声に気付いたさつきが辺りを見渡すが彼女には特に目に留まるようなものは見当たらなかった。


「ううん、なんでもないよ」


 芹緒はそう言ってかぶりを振るとさつきの手を引っ張って歩き出そうとする。


「んー? あ!」


 急に手を握ってさつきを連れて行こうとする芹緒。

 さっきまで手をつなぐことなんてなかったのに。

 芹緒の性格を考えれば答えは一つ。


「こっちですね」


「あっ」


 芹緒の手を握り返すと逆のほうに歩く。芹緒は少し抵抗したが観念したのか黙って着いて来る。


「わぁ、ここにグッズ売り場があるんですね!」


 先ほどは気付かなかったが芹緒の引っ張る方向とは逆側、つまり引き離そうとした方向にはおもちゃやグッズといったアニメショップのようなお店があった。


「お嬢様、何か欲しいものがあるんですか?」


 腰をかがめてさつきが尋ねるが芹緒は顔を背ける。だが耳が赤くなっていて恥ずかしがっていることがわかった。


「お金は気にしないでくださいね。ちゃんといただいてますので欲しいもの買っちゃいましょう!」


 そして手を握ったままずんずんとお店へと入っていくさつきと芹緒。

 さくらは店の様子を一瞥すると外で待つことにした。

 人も多いが店そのものが狭すぎて迷惑になる。

 それに……。


「……」


 芹緒にとっては数日ぶりの来店だった。

 自殺しようとしていてもトレカの趣味は辞められなかった。

 今日が新弾の発売日だと思い出して声を上げてしまったのだ。

 トレカの趣味はまだつつじしか知らないはずだ。

 いつもの店内は美琴の視点ではとても新鮮だった。

 雑多な品揃えだがよく見れば低いところには小さい子向けの品揃えがされている。横には熱心に品定めをしている小さい子。

 だが芹緒の欲しいものはここではない、ここではないが……芹緒は『欲しいもの買っちゃいましょう!』と言われて『はい!』と喜んで言えるような性格ではない。

 それに高いのだ、トレカというものは。

 一パック買うくらいならシングルカード、カードを指定して買ったほうが安上がりだ。

 ただ芹緒は新弾が出た時はボックス買いをしていた。パックがまとめて入ったボックスをいくつか。

 そうなれば金額は跳ね上がる。

 そもそも説明すら面倒だ。

 だが何も買わなければさつきも引き下がらないだろうし、かといって無駄なものを買うわけにもいかない。

 しばらく考えていた芹緒は結局シングルカードを買うことにした。

 パックはくじみたいなものだし、みんなに説明がし辛い。

 絵がキレイでゲームでも有用なカードを買えば丸く収まると考えたのだ。


「すみません」


 芹緒は店員に話しかける。話しかけられた店員は「はい」と返事をして芹緒の顔を二度見したあと慌てて「何でしょうか?」と尋ねてきた。


「あそこの~というカードを下さい」


「は、はい!」


 店員は少し浮ついた様子で、だがすぐに芹緒の欲しいカードを展示棚から取り出してきた。


「どうぞご確認ください」


 芹緒が確認している間、近くにいた男性客たちがまるで異物を見るかのような視線で芹緒たちを見る。


「問題ないです」


 芹緒はそんな視線を気にせず店員にそう応えるとさつきの腕を引っ張った。


「さつき支払いお願いね。私はさくらのところ行くから」


「はい」


 とてとてと店を出て行く芹緒。

 レジでさつきはこう声をかけられた。


「あんな可愛らしいお嬢さんもこのゲームをなさるんですね」


「ええ」


 さつきは笑顔でそう応える。正直さつきは知らないカードゲームだが、芹緒が好きなものなのだろう。


「これはどうやって遊ぶんですか?」


「これは基本的に二人で対戦するものでして、初心者キットもあります。これをお買い上げいただければすぐに遊べますよ。この店でも初心者講習会も開いてますのでよろしければ」


「ありがとうございます。では初心者キットもいただけますか。あと……最近発売したばかりの商品ってありますか?」


「はい、これが今日発売の新弾ですね」


「なるほど。ではそれも……」





「お待たせしました!」


「え、さつきさん!? 」


 店から出てきたさつきを見て芹緒は素っ頓狂な声を上げてしまい、慌てて口を手で押さえる。

 さつきは大きな袋に入った荷物を二つ両手にぶら下げていた。


「さくらぁ」


「何をどうしたらこうなるんですか」


 さつきの荷物を受け取りながらさくらは不思議そうに尋ねる。一足先に戻ってきた芹緒からは買ったのはカード一枚と聞いていたからだ。


「今日発売の新弾があってね。きっとお嬢様はこっちが欲しかったんじゃないかって思って」


 ニコニコ笑顔でそうのたまうさくら。


「うわあ……」


 思わずへたり込みそうになる芹緒。それを脇に手を入れて立ち上がらせるさつき。


「どうして……」


「だってさっきお嬢様悩んでたでしょ? ということは何か遠慮してたんだろうなって。さっきの『あっ』と合わせれば簡単ですよ。欲しかったのはこれですよね」


「うん……ごめんなさい……」


 芹緒はそう言って謝ろうとするがさつきは腰をかがめて芹緒と視線を交わす。


「ありがとうでいいんですよ。謝罪よりも喜んでくれたほうが嬉しいです」


「あ、ありがとう……」


 芹緒は顔を赤らめはにかみながらもそうさつきにお礼を述べた。


「!?」


 その芹緒のあまりの可愛さにさつきは思わず芹緒に抱きつく。


「さ、さつき、さつきさん!?」


「かぁわいいぃぃぃぃ!!」


 またしても人目をはばからないさつきの愛情表現に周囲の人々は何事かと注目する。

 抱きしめられた芹緒は「は、はなして、はなしてください!」と声を出すことしか出来ない。


「ふぅ」


 さくらは一つため息をつくと芹緒からさつきをひっぺがし、二人を連れて歩き出すのだった。

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オタク心理のケアが行き届いてるぅ
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