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ファーストフード

「うう……」


 白いフリルがふんだんにあしらわれた春らしいピンクのワンピースを纏った金髪の少女が、その小さな顔を綻ばせるでもなく赤らめるでもなく、ただ歳不相応に疲れを滲ませた表情で華奢な肩を落としつつフィッティングルームから、のそりのそりと出てくる。それとは対照的に色とりどりたくさんの衣類を抱えたさつきは喜色満面で心なしか肌がツヤツヤしている気すらする。


「……」


 芹緒は黙ったまま、フイッティングルームの近くで品定めをしながら待っていたさくらの前でくるりと身体を一回転させる。

 最初こそ恥ずかしさから抵抗していたが途中から諦めたのか黙ってその身を翻していた。

 そしてややふらついた足取りで回転を止めると感情が伺えない表情でさくらの顔を見つめた。


「……さつき、やりすぎでは? 美琴様がお疲れですよ」


 もう何回繰り返したか分からない動作を機械的にこなす芹緒を見てさすがにさくらも困ったように口をはさむ。


「大丈夫、これで『このお店』で買う分は終わりですから」


「『このお店』!?」


 さつきが何気ない一言に、芹緒はバネにはじかれたように身体をビクン!と跳ねさせ振り返って声を上げる。


「だってまだ一店舗目ですよ? 下着類もパジャマも買ってませんし、そもそも美琴様の好みのバニースーツなんかはさすがにここでは売ってませんし?」


「あれは例えだから。着ないから。さつきさんたちが言うと本当に実行されそうで怖いんだ……の」


 罰ゲーム、美琴になりきるということを思い出した芹緒が言葉を濁す。

 ワンピースはもう着慣れてしまった。

 女性ものの下着やブラも付けてしまった、しかも他人の、女性の目の前でだ。

 ここでだめ押しで女性の象徴(だと芹緒が思い込んでいる)のバニースーツなんて着たら本当に理性のタガが外れてしまう。もうどうにでもなってしまえと自暴自棄になってしまう。

 本来自分の身体ではないこの九条美琴という少女の身体で今まで鬱屈と心にしまい込んでいたあれやこれやが溢れ出てしまう。


 自分を解放するのは怖い。


 今までの人生で芹緒は他人の前で自分をさらけ出したことはない。

 お酒も付き合い程度にしか飲まないから自分の許容飲酒量は知らない。

 誰かと付き合ったこともないから裸をさらけ出したこともない。だから美琴と体が入れ替わって自分の醜い体をよりにもよって女子中学生に晒しているのは忸怩たる思いだ。美琴の若い女の子の身体を体験出来るからそれでチャラ、と喜べないのが芹緒である。


 一方、そんな芹緒の欲望を解放させようとしているのがさつきとつつじだ。

 美琴と芹緒には入れ替わった体を思う存分堪能して満足してもらうことが美琴の入れ替わり能力の発動条件だと考えている。

 二人がこのままの身体でいることは二人にとっても好ましい状況になるとは考えにくい。

 美琴は青春時代をすっ飛ばして30歳近く年をとって中年男性になる。男性になりたかったとはいえこれはあんまりだろう。

 芹緒は若返りと念願の少女になれこそすれど、九条家の令嬢の身体である以上、いずれ男と結婚することになる。それは芹緒の本意ではあるまい。


「美琴様はこのお店で着た服でお好みのものはありましたか?」


 一番気楽なのはさくらだろう。

 彼女は美琴の護衛以上の役目はなく、無駄なことに頭を使うくらいなら周囲を守るのが優先だ。


「さつきさ……さつきはスカートばかり選んでくるんだけどズボンとかはないの?」


「キュロットスカートでしたら」


 芹緒の問いにすぐさまさつきが答える。

 見た目こそスカートだが普通のスカートに比べて防御力は段違いだ。


「キュロットスカートでお願い……」


 芹緒の言葉にさつきは笑顔で頷くと、大量に抱えていた衣類をさくらに手渡して店の奥に消えてしまった。


「戻すの手伝うよ?」


 さつきから大量の衣類を受け取ったさくらがその場に立ち尽くしているのを見て、芹緒はそう声をかける。が


「いえ、これは購入するものですので」


 と芹緒にとって明後日な返答が返ってきた。


「はい?」


「さつきがそう言ってましたよ、これは全部買いますと。それに全部お似合いでしたし恥じらう美琴様も可愛らしかったので私も賛成ですね」


 そう言うさくらの顔に芹緒をバカにした様子はなく、さも当然といった様子で笑顔を浮かべていた。


「そりゃこの身体なら何を着ても似合うとは僕も思いますけど」


「私ですよ」


 さくらの指摘に慌てて口を押さえる芹緒に笑みを零し見やりつつさくらは芹緒の言葉を訂正する。


「さつきが選んだものは以前でしたらお似合いにはならなかったと思います。美琴様は自分の容姿に自信をお持ちでしたしこの服はどちらかというと可愛いものですから」


 でも、とさくらは言葉を続ける。


「今の美琴様はまるで小動物のようにおどおどしていて見ていて保護欲をそそります。今の可愛らしい美琴様にならこれらの服はより一層美琴様の可愛らしさ、可憐さを引き立たせるでしょう」


「つまり……」


 げっそりした表情を浮かべる芹緒が確認する。


「12歳の女の子より30年近く年齢を重ねた中年男性のほうが可愛いと、そう言ってるの? 本気で?」


「はい。やはり恥じらう乙女は可愛らしいですね」


 芹緒の問いに断言を返し、それに対してぶつぶつと何かを言っている芹緒を無視して、さくらはそばを通りがかった店員に手に持った衣類を手渡す。店員はスマイルを浮かべながら嬉しそうに衣類を抱えてレジに向かっていく。

 いきなり現れた大量買いのお客様に店員たちも期待を込めた目で美琴たちを眺めていた。





 時計の針が正午を指そうとする頃、二つのグループに別れていたメンバーが再び揃った。


「美琴ちゃんどんな服を買ったの?」


 手ぶらな三人、美琴とさつきとさくらを見てそう美琴は尋ねる。


「芹緒様、それは家に帰ってからのお楽しみですよ。美琴様ファッションショーが今夜開催されますのでそれまでお楽しみにしていて下さいな」


 嬉しそうにまたもや芹緒が聞いてもいないことを宣言するさつき。

 芹緒は二人の顔を見上げるが笑顔のさつきと困ったようなさくらの顔しか見えない。


「芹緒様の衣類は寸法を計りましたのであとは芹緒様のオーダー次第ですね」


 つつじはそう言って報告を終える。


「下着以外はね。数日以内には届くと思う。ただ僕はファッションショーはしないのであしからず」


 おどけたように言う美琴の冗談に笑みを浮かべるさつきとつつじ。さくらは肩をすくめるのみ。

 芹緒はリアクションを返す気力も湧かなかった。


「まだ美琴ちゃんの買い物が残ってるんだよね?」


「はい。まだ下着やパジャマを買えておりませんので」


「もう許して!?」


「美琴ちゃんも成長期だし、以前計ったのは去年の身体測定とかそのくらいじゃない?」


「いえ、先月ドレスのために寸法を……いえ、そうですね、成長期ですものね」


 つつじが一瞬素に戻って白状しかけたが取り繕って美琴の言葉に同意する。

 芹緒の悲痛な叫びは彼女たちには聞こえない。

 芹緒に味方はいない。少なくとも美琴を可愛がることに関して彼女たちの結束は強固だった。

 芹緒は何も言わなかったさくらに縋るような視線を送るが、それに気付いたさくらは申しわけなさそうに首を横に振るだけだった。





「お昼はあそこに行ってみたいな」


 そう言って美琴が指差したのは、どこにでもあるチェーン店のハンバーガー店だった。


「ああいうお店に入ったことないから!」


 美琴が演技を忘れ年相応の子どものように目を輝かせて言う。

 そういえば、と芹緒は思い出す。美琴と会ったあの夜、美琴は初めて肉まんを食べたとか言っていた。

 芹緒のような庶民にとっては意識せずともいつもそばにある店が、美琴のようなお嬢様にとっては逆に遠い存在であるのが少しおかしかった。

 とはいえ、決定権は芹緒にはない。

 芹緒に許された決定権といえば美琴本人から許された本人の身体を楽しむくらいだ。意味は分からないし理解もしたくないが。


「行きましょうか」


 予想に反してつつじが美琴の言葉を受けてそう言う。

 芹緒の体でファーストフード店は問題ないということか。


「私は……?」


 芹緒が小さく声を上げる。

 芹緒の場合、食べるのは美琴の身体だ。今までこういった店を忌避していた理由は分からないため一応聞いてみる。


「普段食べ慣れているのでしたら問題ないでしょう。むしろ食べ慣れている分、どう味覚が変化しているか楽しんでみては?」


「美琴様がこういったものを食べ慣れていないのは単純に学校の送り迎えが車なので寄り道が出来ないからなんです。お休みの日もあまり自由はありませんでしたし」


 つつじの言葉をさつきが補足する。


「ずっと習い事や家庭教師に囲まれて、さらに能力の練習。スマホもガチガチに監視やロックされていたし。学校だってさくらがずっと付き添ってるからね……」


 美琴が悪夢を思い出したかのように言って肩を落とす。

 つつじ、さつき、さくらの三人は三者三様明後日の方を向く。

 これは三人が決めた訳ではなく、父親(雇い主)の教育方針だったため彼女たちに非はない。


「能力が発動したから許嫁はなくなったし、この体になって色々自由を満喫しているから今は大丈夫だよ」


 芹緒の顔を見た美琴がそう言って笑う。


「二ヶ月間、能力訓練以外は私たちどっちも自由だから、束の間の休息を楽しもうね」


 と美琴は芹緒の肩をぽんぽんと叩く。


「じゃ行こうか」





「お疲れ様です」


 呼び出し機を持って浮かれて前を歩く美琴の背後の芹緒に労いの言葉をかけるつつじ。

 芹緒と美琴の二人は三人が座っていた席を見つけると椅子に座る。


「芹緒様、どうでしたか?」


 いくらお昼時で周囲が騒がしいとはいえ、『初めてのファーストフード店はどうでしたか?』とは聞けない。

 まあ隣にいた親子ほどの年齢差がある少女がほとんどの注文をしていたので受け付けた店員の目には奇妙に写ったことだろう。


「自分たちでメニューを頼みに行くというのがまず新鮮。座ってウェイター呼んでメニュー表で頼むんじゃないんだね」


「そういうファーストフード店もありますよ。ここは違うだけです」


 芹緒はそう言う。このくらいで新鮮なら券売機を見たらどうなるのだろうか?


「ご一緒にポテトはいかがですか? って言われたから頼んできたよ。シェフおすすめなのかな?」


「ただのセールストークです」


 呼び出し機がピコピコ音を鳴らす。

 手の中でそれを弄んでいた美琴は慌ててそれを手の中に包み隠そうとする。音の止め方が分からないようなので芹緒は横から手を伸ばして呼び出し機を美琴の手から取るとスイッチを押して音を止める。


「あーびっくりした」


「いきなり鳴ると、ね」


 苦笑しながら立ち上がろうとする芹緒を美琴が手で制す。


「取りに行けばいいんだよね? それくらいなら僕一人で大丈夫だよ」


 落ち着きを取り戻した美琴がそう言って立ち上がる。


「~♪」


 嬉しそうに巨体を揺らしながら美琴がカウンターへ進む。

 その一挙手一投足を固唾を飲んで見守る四人。

 結局彼女たちは美琴が二つのトレーをテーブルに置くまで黙って美琴の動きに注目していた。


「いや、これくらい誰でも出来るでしょ」


 トレーを置き席についた美琴がジト目で芹緒たちをねめつける。


「普段美琴さ……芹緒様はそういったことをされていなかったので」


「普段と違う体の動かし方だとやっぱり心配するというか」


 つつじと芹緒の言葉にはあ、と美琴は大きな溜め息をこぼす。


「この体バランス感覚はいいんだよ。ね?」


 そう言って芹緒に視線を投げかける。


「まあ、どうしても身軽じゃないし転んだりしたら大惨事確定だし誰も助けてくれないからね」


 芹緒が何気なく放った言葉に、さつきはテーブル越しに芹緒の頭を撫でながら言った。


「今はそうじゃないですし、明るくいきましょう!」


「ナイフとフォークは」


「そのままかじりついて下さい」


「ああ、私も久々に食べましたね」


「期間限定間に合って良かったです!」


 楽しそうに会話をしながら食べる四人。黙々と食べる芹緒。一緒に過ごすようになってまだ二日。近くに他人がいることに慣れても会話の輪に入っていけそうにない。芹緒が返すのはリアクションだけだ。


「……お値段考えたらこんなものかな?」


 美琴はハンバーガーを一口、口を開けてかじりついてじっくり咀嚼するとそう感想を述べた。つつじは黙って頷き、さつきは困ったような笑顔を浮かべる。


「美琴ちゃんはどう?」


 そのまま横を向いて芹緒に味の感想を聞く美琴。

 一人黙って小さな口でハンバーガーを咀嚼していた芹緒は美琴に声をかけられると顔を上げ、


「普段より味がバラバラというか材料の味が分かるというか……」


 首を傾げながらそう言った。


「やっぱり味覚が違いますか。女性は味覚が鋭いと言われてましたけど、事実なんですね」


 つつじが納得したように頷く。

 今まで芹緒が美琴の身体になってから取ってきた食事はどれも九条家の仕出しだ。ジュースやコーヒーは昨日飲めども芹緒が普段口にしているものを食べたのはこれが初めて。

 芹緒はようやく女性の味の感じ方を体験していた。


「野菜スティックとかそういうのも美味しく感じるのかな」


「さすがにそれは個人差がありますね」


 芹緒の言葉にポテトを摘まんでいたさつきが口を挟む。


「少なくとも私は野菜スティックよりお肉が好きです。牛丼とかもいいですね~」


『野菜スティック』のくだりでうんうんと頷いていた美琴だったが、『牛丼』はピンと来なかったらしい。


「牛丼は丼に盛ったご飯の上に薄く切った牛肉や玉ねぎなどを甘辛く煮たものをよそう料理ですね。これもファーストフードの一種でしょうか」


 ナゲットを摘まむ手を止め、さくらがそう説明する。


「聞くだけだと簡単に出来そうだね?」


「通販で牛丼の具だけを販売してますのでそれを使えばお手軽ですね。温めるだけですから」


「へー」


「芹緒様、気が早いですよ」


 牛丼の話を聞いて気もそぞろになる美琴につつじの声が飛ぶ。


「食べるもの全部美味しいからいくらでも入っちゃうよ、ね?」


 そんな美琴の言葉に芹緒は曖昧に頷く。芹緒的にその言葉は同意出来るが、とどのつまり自制出来ないことの自白でしかない。だから


美琴の身体(こっち)では頑張ります……」


 と小さな声で謝ると小さな口でハンバーガーにかじりついた。





「それではまた夕方に」


 つつじがそう言うと五人は再び午前と同じ二つのグループに分かれた。


「美琴様の可愛い下着を選ばないとですね」


「いやもう勘弁して……」


「可愛い下着でテンション上げちゃいましょう!」


 そう言って芹緒の手を取りモールへ進むさつき。諦観したような芹緒。


「それでは失礼します、またのちほど」


 さくらはそう言うと二人のあとを追いかけていった。


「先ほどの件ですが」


 三人の姿が見えなくなるまでそこに立ち止まっていたつつじが口を開く。


「予約が取れました。今日は診察、問題なければ明日施術とのことです」


「ありがとう」


 そう言うと美琴は大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。


「お嬢様、無理をしているのであれば……」


 そんな美琴の様子を見てつつじが心配そうにそっと美琴の耳元で囁く。

 その言葉に美琴は肩をすくめてふるふると笑顔で首を横に振る。


「無理はしてないよ。私のため、芹緒さんのためなんだから。芹緒さんは私の身体で楽しそうにしてるし私もこの体を早く楽しみたいもの」


 周りの女性に振り回される芹緒の困惑を『楽しそう』と軽く流して美琴は言う。


「今は男の人に変な視線を向けられないってだけだから、せめて女の子をナンパ出来るようにはならないとね?」


「さすがにその肉体年齢でナンパは厳しいものがあるかと思いますが……」


「とりあえずの目標は芹緒さんにこの体へ愛着持ってもらうことかな」


「それはそうですね」


 美琴の言葉につつじは同意する。

 芹緒が元の体に愛着を持つようになればお互い元の体に戻ったとき、芹緒が再び自殺を試みるという最悪の展開を避けられるだろう。

 だが美琴の思惑はつつじのそれとは違っていた。


(えっちするならお互い同士しかないんだよね)


 芹緒も見知らぬ男に抱かれるのは嫌に違いない。

 美琴だって自分の身体が見知らぬ男に抱かれるのは嫌だ。抱かれるなら体をお互いを知り尽くした芹緒がいい。

 そもそもえっちなことをしなければいいのだが、お嬢様とはいえ美琴だって多感な思春期。普通の人生では体験出来ないであろう異性の体でのえっちにどうしようもなく心奪われていた。

 美琴の突飛な発想は言葉にされることはなく、ただ美琴の心に仕舞われているのだった。


 やがて二人はタクシーを捕まえると走り去っていった。

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施術…何する気だろうw
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