ナイショ話とやらかし
リビングに行こうとする芹緒の手を、つつじが引っ張った。
「?」
芹緒が振り向くと、つつじがもう片方の手で口に指を当てた。
こくり。
芹緒が頷くと続けてつつじは芹緒の自室を指差した。
そして小声で
「二人で相談したいことが……」
と耳打ちした。
誰も入れたくなかった自室ではあるが、すでにつつじは入っているしお世話にもなっている。
芹緒がドアを開けて入るとつつじを招き入れた。
芹緒の自室は狭い。
ドアからベッドまで辛うじて床が見えている位で他の場所には段ボール箱が文字通り山のように置いてある。
今は通路に面した窓が網戸状態で開いている。換気のためだろう。
芹緒はつつじと距離を取るため、ベッドに腰掛けた。
「すみません。ダイニングではまださくらが寝ていますのでもう少し寝かせて上げたいのです」
「それはそうですね」
本当にさくらは一晩中起きていたらしい。
時計を見ると最後にさくらの声を聞いてからまだ一時間も経っていなかった。
「それで……ですね」
つつじが辺りに視線をやりながら言い淀む。
「この部屋、ですよね」
芹緒がそう言うとつつじは頷いた。
「失礼ですがこの部屋はお嬢様の身体が寝るのに適していません。掃除をしたいのですが……」
「いえ、自分でやります」
「お嬢様の力ではそれは無理かと」
抵抗してみるが即答された。
「これは何が入ってるんですか?」
つつじがそばにある段ボール箱を撫でながら聞く。
「古い雑誌ですね。捨てられないんです」
「今すぐ読むものですか?」
「いいえ。自炊して電子データにしたいな、と思いつつ出来てないんです」
「自炊?」
「ええと、自分の手元にある本を裁断して、スキャナなどでPCに取り込んでデータ化、することですかね……」
「では自炊してしまっても良いですか?」
つつじからとんでもない提案が来た。
「それはありがたいですが、ご迷惑では……」
しどろもどろになりながら言うが
「本がデータ化されれば芹緒様は嬉しい。そしてこの部屋が掃除出来ればお嬢様の身体も嬉しい。WIN-WINです」
美琴の身体を持ち出されると弱い。
「分かりました、お願いします」
そう言って頭を下げる。
つつじは芹緒に近寄るとしゃがみ込んで芹緒の頭を上げさせた。
「芹緒様、この機会に良い暮らしを手に入れましょう」
「あはは……」
「本以外に場所取っている物はありますか? そちらも今すぐ必要でなければ貸倉庫にでも入れてしまいましょう。……これは?」
つつじが足元に落ちていた一枚のカードを拾って眺める。
「カードゲームですね。すみません整理出来てなくて」
「カードゲームだと足りないと困りますね。え? ちょっと多くないですか?」
つつじが落ちているカードを拾っていると、段ボール箱の中に山のように積まれているカードを見て目を丸くした。
「トランプとは違って、どんどん種類が増えていくカードゲームなんです」
「○戯王みたいなものですか? クラスの男子が遊んでいたような」
つつじは小学生時代の頃を思い出しながらカードを見回すと『Mag○c;the Gathe○ing』の文字が見えた。
「そうですね。今はコレクターですけど」
「コレクターだと確かに物が増えそうですね」
つつじが苦笑する。さすがにそれは倉庫というわけにもいかない。
「今日は芹緒様とお嬢様の服を買いに行きますので、帰ったらこの部屋の荷物の仕分けをしましょう」
「すみません、お願いします」
芹緒が頭を下げようとするとつつじがそれを手で止めた。
「頭を下げる必要はありません。笑顔で『ありがとう』、それでいいのですよ」
「笑顔……」
芹緒がなんとか笑顔を作ろうとするが、あまり様にならない。
「そろそろ朝ご飯の時間です。のんびり行きましょう」
そう言って芹緒の手を引いて立ち上がらせた。
「わっ!?」
大声を上げかけて慌てて口を手で押さえる。
ドアの向こうには口を尖らせたさつきがいた。
「つつじだけズルい。私も入りたい」
そう言うさつきの目を塞ぎながらつつじがさつきをリビングに引っ張っていく。
「ありがとう、つつじさん」
「ええ」
お礼を言う芹緒に返事をするつつじ。目を覆い隠されながらもさつきは二人の雰囲気に何かを感じたのか、
「芹緒様とつつじの仲が親密になってる!? どうして!? はっ、ナニカしたんでしょ、つつじ!」
「黙りなさい。さくらを起こしてしまうでしょう」
さつきの目だけではなく口も押さえるつつじ。
芹緒は苦笑しながら自室に鍵をかけた。
「おはようございます、芹緒殿」
すでにさくらは目を覚ましていた。
「まだ寝てても……」
芹緒が言うが
「お気遣いなく。問題ありません。足りなければ車の中で眠らせてもらいますので」
そう言って笑顔で微笑んだ。
ダイニングの布団を片付ける三人。
その間芹緒は椅子に座っていて下さいと言われ、所在なげに三人を見ているだけだった。
「美琴さんは?」
「お嬢様は朝は強くも弱くもないので、そろそろ起きられる頃だとは思いますが……。あ」
そう話していると襖が開いて美琴が顔を出した。ただ
「おはよー……」
明らかに眠そうだ。
「やっぱり眠れなかった?」
そう芹緒が聞くと
「寝苦しくて……何回か目が覚めちゃいました」
と答えた。
「お嬢様にしては珍しいですね」
「昨日は特に体を動かしてらしたのに」
三人が口々に話し合う中、さーっと芹緒の顔が青くなった。
「何か気付いたことがありましたか?」
芹緒の様子がおかしい事にいち早く気付いたさくらがそう問うと、芹緒は震える声で
「実は僕、睡眠時無呼吸症候群の診断を受けてて……」
そこまで言うのがやっとだった。
「睡眠時無呼吸症候群。つまりあれですね。寝ている間に呼吸が止まると」
「はい……」
問うつつじの声に小さく肯定する芹緒。
「何か治療はされていたのでは?」
「はい……」
「持ってきて下さい」
「はい……」
つつじの声はいつも通りだ。だが芹緒はびくびくしながら自室に入っていった。
「ああ、CPAPですね」
さつきが思い出したように言う。
「シーパップ?というのは?」
さくらが尋ねる。
「睡眠時無呼吸症候群の治療法の一種です。睡眠時無呼吸症候群は文字通り、寝ている間呼吸がなくなること。その症状として寝不足や疲労、そしてひどいとそのまま亡くなるケースもあります」
「なるほど……ふあぁぁ。芹緒さんが忘れてたの納得ですね」
CPAPは気道に空気を送り続け、気道を確保する。
あくまでも対処療法であり、睡眠時無呼吸症候群を根治するにはダイエット等で体の状態を良くしつつ、CPAPを併用するというのが一般的だ。
芹緒は自殺しようとしていた。
だから睡眠時無呼吸症候群も根本的には治療する気がなかったのだろう。
CPAP用の機器をレンタルしておけば、周囲にはそれ以上何も言われまい。
「つつじ、さつき、さくら。分かってると思うけど」
美琴が三人を見回す。
「お嬢様が今目を覚まされているのですから。特に何もありません」
「昨日はドタバタしてたもの。芹緒様も気が回らなかったんでしょう」
「……悪意がないのに責めては、せっかく芹緒殿と話が出来るようになったのに逆戻りしてしまいますから」
三人はそう言う。
「ありがとう。罰ゲームは私が考えておきます」
やや時間がかかって芹緒が自室からCPAPを持ってきた。
とすぐに土下座した。
「美琴さんごめん!!!」
「んもう!」
美琴は芹緒のところに行くと脇に手を通しひょいと芹緒を持ち上げた。
「うわっ!?」
「気にしないで! 忘れることなんてよくあることなんですから! 問題ありません。OK?」
「で、でも危うく……」
「おーけー?」
「お、おーけー……」
「それでも気にするのなら楽しい罰ゲームを考えます。それでどうですか?」
「そのほうが助かるかな……」
と、顔を背けながら芹緒は言ってしまった。
美琴の目が怪しく光る。
だがそれに気付いたのは三人のメイドたちだけだった。