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エスター

 メイド長が自らの命を絶ってから、屋敷の雰囲気は様変わりしてしまった。

 メイドたちの横領が見つかり、男爵家の資産を減らし続けていたことが分かったからだ。


 ……と、アイミア・ハンターは言う。


 男爵家の資産の大半を使い込むほどの失態を部下が(あるいは本人が)したとなれば、それを苦に命を絶ってしまうのもおかしくはないだろう。何しろメイド長――前メイド長はワーカーホリックで、この男爵家の仕事に10年以上人生をささげてきたといっていい。


 エスターは表情に出さないまでも屋敷の女主人と、女家庭教師の対応に深い疑念を抱いていた。


 そもそも、メイドや使用人の小さな横領は今に始まったことではなく、貴族の屋敷では暗黙の了解となっている。表向きの建前どおりの扱いしか使用人に許さなければ、たちまち奉公人はいなくなってしまうだろう。

 当然そんな中でも、宝飾品の窃盗など、主人の許容範囲を超える行動はとがめられものだ。だが、エスターの知る限りここのメイドでそんな危ない橋を渡った者はいないはず。


(資産を使いつぶすほどの大掛かりな盗みの様子なんて、見たことなかったわ。それにいつだってあのメイド長が目を光らせてた)


 ベルが鳴った。アルマ様の部屋だ。

 アルマ様の世話をはじめて間もないから、エスターは一瞬反応が遅れた。周りのメイドたちの視線が突き刺さるのを感じて慌てて立ち上がる。


「い、いってきます」


 この時間に短く二度鳴るアルマ様のベルは、お茶とおやつと決まっている。エスターは下準備を済ませていた茶器に沸騰させたお湯をいれると、お盆にすべてを載せて向かった。


「失礼いたします、お茶をお持ちしました」

「ありがとう、エスター」


 アルマ様は優しく微笑んだ。小さな子供なのに、まるでもっと多くの経験をした大人の女性がするように。


「本日はリリエントエ特産のフレーバーティです。付け合わせにはバター控えめのクッキーをご用意しました」


 アルマ様は手元の本にしおりを挟むと、身を乗り出してクッキーの香りを楽しんだ。

 リリエントエは北の水はけのいい地域ではお茶、南の盆地では果物の生産が盛んにおこなわれている。フレーバーティーはまさにリリエントエを代表する一品と言えた。


「ん~、いいかおり。南部でとれた桃かしら。頭を使うと、とう分がいるのよね。おさとうもおねがい」

「かしこまりました」


(本当にかわいらしく、聡明なお方……)

 緊張感の漂う昨今の男爵家において、エスターの一番の心の安らぎは、この小さな女の子のおやつの時間に見せる幸せそうな表情だった。

 普通の子供ならもっといろんなわがままを言ったり、泣き笑ったりするものだが、この男爵家の一人娘は妙に聞き分けがよかった。


 午後のベルは紅茶、というのもそう、メイド長が不在になってからアルマ様が言い出したことだ。ベルを鳴らす回数も最低限で、時折新しい本を要求する以外は静かなものだった。

 まるでメイドたちの顔色を窺っているようなときさえある。それが両親による兄との待遇の差がなせるものではないかと思うと、エスターの胸は締め付けられた。


「あの、エスター」

「はい」

「そろそろ年末ね」

「はい」

「あの、この間話してた宝飾店のことだけど」

「! 商人をお呼びしましょうか?」


 アルマ様は二口ほどお茶を飲むと決心した様子でくっと顔を上げた。


「お店へ行って直接注文したいの」

「え、お店へ、ですか」


 エスターは動揺した。普通、貴族の買い物は商人を呼びつけて行うもの。アルマ様がこんな”わがままなお嬢様”のようなことをいうのが初めてだった。この方は物心ついたころから世間的な常識に照らしておかしな要求をしたことが一度もない。

 よく考えれば我儘を言わないほうがおかしいのだ。子供は大人と同じ感覚で生きているわけではない、まだまだ無知で、自分の要求が我儘なのか、求めて当然の権利なのかすらわからないはず。そんな中で、最低限の権利の主張しかしてこなかったアルマ様。


 聡明というよりむしろ、底知れないの方が正しいのか。

 少なくともアルマ様の初めての我儘には、自分に理解しえない深い理由があるに違いない、と思うエスターであった。


(そこまでおっしゃるなら、ハンター様に私から掛け合って、なんとか許可を取り付けなくては)

 エスターはかわいらしい主人の前に膝をついて彼女を見上げた。


「アルマ様」

「?」

「今年中にお連れできるようにしますわ」

「むりを言ってごめんね、エスター。ありがとう」


 おやつ以外で久しぶりに屈託のない笑顔を見せた。エスターは彼女への「底知れない」という評価を頭から追い出すことにする。

 後継ぎとして息子が優遇されがちな社会とは言え、アルマ様は特に冷遇されてきた。新興の男爵家の無知ゆえか金銭的な問題かはわからないが、少なくともそのような扱いがこの子に子供らしからぬ雰囲気をまとわせているに違いない。


 その後、エスターはタイミングを見計らってアイミア・ハンターにエスターのことを話す。

 不思議に思ったのは、あれだけアルマ様に甘いアイミア・ハンターが妙に渋ったこと。最終的にエリオット様が一緒に出たいと奥様に話が行き、それなら、ということでようやく許可が下りた。


(アルマ様も大きくなったし、きっとハンター様が専任なら、それかご両親がもと気にかけてくださったらもう少し外出できるのに)




 ***




 宝飾店へ行く当日は、幸い小春日和であった。


「アルマ様、本当によろしいのでしょうか」

「エスター、もちろんよ。いつも私のへやにお茶を持ってきてもらう代わりに、外についてきてもらうだけ」

(ハンター様を差し置いて侍女のような仕事をするなんて……)


 エスターは妹をエスコートする小さな紳士を見届けてから、彼女なりの一張羅の裾を持ち上げ、二人の向かいに座った。

 エリオット様とアルマ様が一緒に出掛けるのはこれが初めてだ。


「アルマはあまりお願いをしないから、こうやって出かけられてうれしいなあ」

「私もお兄さまと出かけられてうれしいです。お兄さまは、なにか気になるお店はあるんですか?」

「う~ん、本を見たいけど、最近はあまり買いすぎないように言われてるからなあ」


 アルマ様もエリオット様もよく本を読むが、最近は本を買うことに慎重になっていた。特にアルマ様は男爵家の財政のことが分かってから、半分ほどの蔵書(といってもごく小さな棚1つ分くらいのものだが)を「いらないから処分して」と売りに行かせた。

 残念というか当然というべきか、本を売ったお金は男爵家の財布に戻り、エスターたちにできたことは食事の量を減らさないように取り計らうくらいだった。


「見るだけはだめですか?お兄さまの学院のきょうかしょを買ったお店なら、こんいにしているし、嫌なかおはしないと思うんです」

「うーん、見たら欲しくなっちゃうんだよなあ。でも、出てきて何もしないのも勿体ないから、見ようかな」

「ふふ、私はこのあいだハンター先生の本をゆずっていただいたばかりなので、その間はエスターと近くでししゅう糸をさがしにいきますね」


 エスターは視線に応えるように微笑んだ。


 ほどなくして馬車が止まり、御者の案内に従って広場の方へ歩いて出た。

 広場の立て看板に自然と視線が吸い寄せられる。貴族は定期的に発刊される新聞を読むが、ほとんどの民はこの立て看板でニュースを知る。

 新聞社に選ばれた敷地の権利者、あるいは店舗は立て看板料を新聞社に収める。その代わり、客が店の前に集まるという算段だ。


(隣のカルイン男爵家はずいぶん羽振りがいいようね。羨ましいわ……。ほんの最近同じ伯爵領から分割譲渡されたのに、こちらは特産品の作付け面積も小さいし、要地の条件も悪い。)

 昔からある部族同士の対立で済まず、現在にいたってもカルイン地方とリリエントエ地方の住民がお互いを敵視しがちな理由がそれだった。


 エリオット様のよく使う本屋は広場の一等地の目立つ場所に建っている。


「先に本屋からでいいの?アルマの行きたいお店は?」

「いいのいいの、終わったらいっしょにお茶をえらびに行きましょ、おくに通してもらって試飲するの」

「それはもちろん構わないけど…」

「ほらほらお兄さま」


 いつになく強引なアルマ様にエリオット様はたじろぎながらも流されるまま本屋へ向かった。それを確認したアルマ様はくるりと踵を返してエスターの前に仁王立ちになる。

 家の者の視線がないからかなんだか奔放にふるまうアルマ様にエスターは思わずぷす、と笑い声をはみ出させてしまう。


「エスター?」

「こほん、いえ。なんでしょう、アルマ様」


 アルマ様は不敵にほほ笑んだ。


「リリ・スター宝飾店へ行くわよ」

(あら、エリオット様には内緒なのね。プレゼントかしら)

「それならここからそう遠くはありませんね」

「ええ、だからえらんだの。いきましょう」

「はい、お供します」




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