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三人ぐらし初日 グループライン『さんにんぐらし』

 グループライン『さんにんぐらし』に七海からのメッセージが届いたのは、その日の午後のことだった。



  みなとなみ:今日は帰りが遅くなりそうなので晩ご飯はいりません



 そこへ即座に古井河からのメッセージが連投される。



  ラブリバ:駄目よ。すごくいい肉を買ってるからちゃんと帰ってくるように


  ラブリバ:最初の晩餐ばんさんをやるわよ


  ラブリバ:水渡さんが帰ってくるまで、大人二人はお腹すかせて待ってるから


  ラブリバ:ずっとね


  ラブリバ:(目つきの悪い猫のスタンプ)



 なんというレスポンスの早さだろう。

 昨今では簡単な業務指示にメッセージアプリが用いられることも多いので、僕も着信があれば早めに目を通すようにしているが、数秒で既読どころか返信まで送ってくる古井河の反応速度はただごとではない。



  みなとなみ:そんなこと言われても



 SNS世代の七海も困惑していた。

 僕から特にコメントはないので、メッセージをひととおり確認してから、仕事に戻ろうとする。

 と、そのとき、今度は古井河からの電話着信があった。


「……はい、もしもし」


『長谷川君、さっきの見た?』


「ああ、最初の晩餐ってやつだね」


『実はあれ、嘘なの』


「嘘? どこからどこまで」


『肉なんて買ってないのよ。だからお願い、今お店なんでしょ。すぐにいい肉を買って写メ撮って送ってちょうだい。水渡さんが逃げられないように』


「別にいいじゃないか、遅くなるって連絡を入れている時点で、しっかりした子だと思うけれど」


『親御さんにきちんと面倒を見ますと宣言した手前、いい加減なことはできないの。門限は夜八時。これ以上は譲れないわ』


「まるで教育ママだ」


『教育者だけどママではないわ』


「そうだったね……」


『ちょっと今なんでかわいそうなトーンだったの』


 七海の母親には、三人ぐらしを始めた夜に、古井河の方から事情を伝えている。


 母親の返事は、例によってぼんやりとした真剣みの足りないもので、その反応の弱さには古井河も苛立っているようだった。七海の生活態度に厳しいのは、七海の母親に対する、当てつけめいた責任感もあるのかもしれない。


『とにかく、お金なら後で払うし、金に糸目はつけないから。一番いい肉を頼むわ』


「肉だけで大丈夫?」


『大丈夫よ、問題ない』



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 というわけで休憩時間を利用して肉を買った。

 高級和牛ステーキ用を三人前も購入するというのは今までにない経験だ。独身男性らしからぬ買い方を奇妙に思ったのか、レジの従業員に二度見されてしまった。


 休憩室に戻ると、メッセージアプリを起動し、ステーキ肉の画像付きメッセージを送る。



  長谷川誠治:買ったよ


  みなとなみ:買ったよってつまり今買ったってことですよね。


  みなとなみ:センセすでに買ってるみたいな書き方してなかった?


  ラブリバ:(口笛を吹いてしらばっくれる猫のスタンプ)


  長谷川誠治:買っていたよ


  ラブリバ:日本語って難しいわね


  みなとなみ:わかりました。ちゃんと帰ります


  みなとなみ:でも、あとでレシート見せてください


  みなとなみ:(目つきの悪い犬のスタンプ)


  ラブリバ:(身体全体で喜びを表す猫のスタンプ)


  長谷川誠治:とてもいい肉だからお楽しみに



「……っと」


「長谷川」


 メッセージを送信するのと同時に、背後から榊原に声をかけられた。


「うぉっ……、ああ、どうしたの榊原主任」


「そりゃこっちのセリフだ。何やってんのさっきから。生のステーキ肉を撮ったり、ニヤニヤしながらメッセージ打ったりさ」


「変かな」


「控え目に言っても奇行だ。今さらインスタでも始めたの?」


「そういうんじゃないよ」


「あそ。ともかく、周りが不審がるからひかえてくれよ」


 興味なさげに榊原は言って、遠ざかっていく。大方ほかの従業員から『副店長が変』などと話を振られて、注意をしてくれたのだろう。


 ありがたいことだ。しっかりしなければと気を引き締める。


 自分の仕事は小売店勤務。接客業だ。

 表情には職業柄、気を使っている。


 お客様には笑顔で、というのは当たり前。副店長ともなれば、内部からの視線――すなわち、従業員からどう見られているのか、についても注意する必要がある。



『部下の顔色をうかがってどうする。上司が堂々とした背中を見せていれば、部下は自然とついてくるものだ。恐れられているくらいでちょうどいいんだ』


 かつて僕にそんな講釈こうしゃくを垂れた上司がいた。


 いつもしかめ面で不機嫌そうな男だった。彼のポリシーがそうさせているのか、それとも、部下のケアができない自らを正当化するために、そのポリシーが後付けされたのか。順番はわからないが、どちらにせよ、彼には人が寄り付かなかった。


 卓越たくえつした能力があれば、あるいは恐れつつもうやまわれたのかもしれない。だが、残念ながら能力は人並み、仏頂面だけは一流の彼は、ただただ遠ざけられていた。


 背中で語るなどおこがましい。単なるコミュニケーション不足だ。


 その結果どうなったか。


 問題が発生しても、それが上司に伝わらないから、放置され続けていつの間にか雪だるま式に問題が大きくなってしまう。


 従業員の能力差によって仕事量にかたよりができても、それを上司が正そうとしないから、だんだん不満がたまって、職場の雰囲気が悪くなる。


 従業員同士が協力をしなくなり、全体の作業効率が低下する。


 さらに職場の雰囲気が悪くなり、ミスが増え、その対処で残業が増える。


 ――そんな、お手本のような悪循環。


 それらのしわ寄せの多くを引き受ける羽目になったのが、当時、まだこの店へ異動して間もない平社員の僕だった。


 最初はどこに問題があるのかもわからず、右往左往しては空回りしていた。道を指し示してくれるはずの上司の背中は黙して語らず、僕は自力でなんとかするしかないと、諦め半分でもがいていた。


 当時からレジ主任だった榊原に、ガツンと叱責しっせきされたのはそんなときだ。


『ほかの従業員に教えをえ。いや、その前に鏡で自分の顔を確かめろ』


 トイレの鏡に映っていたのは疲れ切ってた男の顔だった。自分はいつの間にこんな余裕のない顔をするようになっていたのだろう、と強い危機感を覚えるほどの。


 表情を意識するようになった、それが大きなきっかけのひとつだ。


 時間はかかったものの、職場の雰囲気は改善されていった。

 一つ一つ問題を見つけて、優先順位をつけ、それを解決していく日々。

 いつしかその上司は僻地へきちへ飛ばされ、彼の肩書きは僕のものになっていた。



 人は必ずしも見かけではないが、赤の他人どうしが上手くやるためにも、接しやすい外面をかぶるのは大切なことだ。反面教師の元上司から学び、ぶっきらぼうな同僚から教わった、それが僕の社会人としてのポリシーだった。


 しかし、榊原に言われたように、長年かけて築いてきた外面が揺らいでいたのだとしたら。


 部屋に帰ると誰かがいるという生活に、僕は自分で思っている以上に浮かれているのかもしれない。

それぞれの登録名について


みなとなみ:七海のユーザネーム。自分のフルネームが回文になっていることのアピール。


ラブリバ:古井河のユーザネーム。好きな声優のニックネームと自分の名前をもじったもの(古井河→こいかわ→恋川→英語でラブ・リバー)。同好の士に気づいてもらえるのを待っている。


長谷川誠治:長谷川のユーザネーム。堂々たるフルネームでなんの面白みもない。

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