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父親の話

 ウソがばれてしまっても平気な顔をしてアパートに帰れるほど、あたしは面の皮が厚くはなかった。だけど、高校生の身分ではホテルに泊まることもできない。


 どこへ行けばいいんだろうと考えて、思い浮かんだのは、昔からの友人の青葉あおばのところだった。学校での交友範囲が狭いあたしには、今から泊まりに行っていい? なんて気軽に言える友達がいない。それに、クラスメイトのほとんどは受験勉強で大変な時期だ。……そう考えるとつくづく、自分の置かれた状況の異常さを思い知ってしまう。


 あたしの急な頼みを、青葉はこころよく受け入れてくれた。


 二人でファミレスでご飯を食べてから、ひさしぶりに三ツ森(みつもり)家におじゃまする。


 青葉がお風呂に入っている間、あたしは青葉の部屋のベッドに腰かけて、数時間前のことを思い出していた。バイトしていたバーに、長谷川さんと榊原主任がやってきたことを。


 二人の様子からして、店に来たのは偶然ではなさそうだった。たぶん、あたしが夜の繁華街を歩いているところを誰かに見られて、それが長谷川さんに伝わったんだと思う。


 というか、そうであってほしい。

 そうじゃないと困る。


 もし店に来たのがあたしを探してたんじゃなくて、単なる偶然だったとしたら、長谷川さんと榊原主任が実はそういう関係ということになってしまう。


 ……何を考えてるんだろうあたし。ほかに心配することがいくらでもあるのに、真っ先に気になるのがそこって、自分でもちょっと引いてしまう。


 膝を抱えて顔をうずめていると、お風呂から出た青葉が戻ってきた。


「あーいい湯だったー、ん? 七海っちどしたん? 何かいいことでもあった?」


 青葉は湯上りで火照った顔で、あたしをのぞき込んでくる。


「え? 別に何も」


「そう? 会ったときはめちゃテンション低かったから心配してたんだよ」


「ん、ありがと、もう大丈夫」


「ホントに? なんか面倒なことになってない? あのおじさんに変なことされてない?」


 青葉は長谷川さんのことを〝おじさん〟と呼ぶ。それはもう、嫌がらせのように徹底的におじさんと呼び倒している。


「そんなんじゃないって」


 あたしはへらへら笑ながら答えつつ、内心では凹んでいた。本当に、そんなんじゃないのだ。もし青葉の言う〝変なこと〟をされてたら、むしろ逆にもっと浮かれていると思う。


 ベッドに腰かけてスマホを手に取った青葉に話しかける。こんなことを聞いて変に思われないかと不安だったけど、聞かずにはいられなかった。


「……ねえ、青葉」


「んー?」


「青葉はお父さんとうまくやれてる?」


「うぇ、何その質問」


 青葉はきょとんとする。まあ確かに突拍子とっぴょうしもないし、意味もよくわからない質問だったと思うけど。


「実は、お母さんがね、再婚するの」


「へー、おめでと」


「ありがと。……だからちょっと、気になって」


「七海っちのとこは特殊だもんなー」


 青葉は深刻にならないように軽い調子で話してくれる。そういう、気を使わない気づかいがすごく助かる。


「でも、親父ねぇ……、好きとか嫌いとか、あんまり気にしたことないかなー、親父を好きってならないっしょ、フツー。あ、男としてどうとか、そういう話じゃなくって」


「でも、嫌ったりもしないんでしょ」


「洗濯物が一緒なのは嫌だし、そういう意味じゃ嫌ってんのかなー、……嫌いっていうか、苦手?」


「得意っていう女子はあんまりいない気がするけど」


「ちょっと前にさ、うち、万引きで捕まったじゃん」


「うん」


「そのとき、結構マジ気味に怒られてさぁ……、どうしてこんなことをしたのかって、ひと晩じゅう問い詰められてさー」


 青葉は口調こそ変わらないけど、表情はもう辟易へきえきって感じで、そのときのことを思い出してうんざりしているのがよくわかった。


「なんかマジな顔で、腹を割って話し合おう。今までお前と向き合ってこなかった、とかなんとか、マジなこと言い始めて、それで」


「ひと晩じゅう、お説教?」


「んー、説教とは、ちょっと違くて。理由をいっぱい聞いてくんの」


「理由?」


「そ。なんで万引きしたのかとか、なんで友達とケンカしたのかとか、なんで髪の毛染めてスカートも短いのかとか、いろいろ。しかも親父、次の日は仕事なのに。もういい歳してるくせに、夜中までさ。うちは夏休みだったからよかったけど」


「大変だったね」


「そーなの、大変だったのさ」


 青葉ベッドに倒れ込み、両腕をぐっと伸ばす。壁が腕に当たって、いてっ、と声を上げている。


「でも、いいお父さんじゃん」


「そお? メンドクサイだけだって」


 だるそうに言いながらも、その表情はちょっと楽しそうだ。


 青葉とは家族の話をほとんどしたことがない。話好きの青葉がその手のネタをいっさい振ってこなかったのは、あたしの家庭の事情を知っているからだろう。あたしの父親は青葉のところみたいに真っ当な大人じゃない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



『――実の父親の声を忘れちまったのか?』


 古井河先生の誕生日の夜。

 あの電話のせいで思い出してしまった。

 父の声を、じゃない。父の存在をだ。あたしはこんな男の血を引いているんだという失望を久しぶりに感じて、身体から力が抜けた。


「なんの用」


『冷たいじゃないか七海、久しぶりに話をしてるってのに』


 あたしは話どころか父に名前を呼ばれるだけでうんざりだった。自分の名前の価値が濁っていくみたいな気がした。


「……用がないなら切るけど」


『おいおい、待て待て反抗期かぁ? 話があるって言ってるだろうが』


 声を荒げてすごまれる。身内や目下の人間に対してすぐに態度が大きくなるところは相変わらずだ。……なんだ、あたし、ちゃんと父のことを覚えてたのか。


 ともかく、晩秋のベランダは寒いので、さっさと本題に入ってほしい。こっちはうんざりしているのに、父の声だけが陽気で、会話のテンポやノリがかみ合わない。お酒を飲んでいるのかもしれなかった。


『あー……、ちっちゃいころの七海はなぁ』


 こちらが黙っていると、いきなりあたしの小さかった頃の話が始まった。そういうのを語るときは、父とあたしの両方ともが、いい思い出だと思っていないと意味がない。一方的になつかしさを押しけられても白けるだけだ。もしかして、情に訴えるつもりだったのだろうか。


 情にうったえて、警戒心をほぐして、……それで、本題はなんなのだろう?


 嫌な予感はどんどん強くなっていく。


『実はちょっと困っててな。洋美のやつはいつの間にか他所ヨソへ行っちまってるし、七海しか頼れるやつがいないんだよ』


「……お金の話?」


 そう聞きながらも、なかば確信していた。


 父はお金にだらしのない人間だった。行きつけの店や、知り合いからちょっとずつ借金をしていて、それを返すのはいつもお母さんだった。あたしの財布からお金がなくなることもよくあったけど、あの人は覚えているだろうか。


『そんなモロに言うなよ、ちょっとだけ後払いで飲み食いしただけで、そういうことができるのは、俺が信用されてるからなわけだ』


「つまり、借金を肩代わりしろっていうんでしょ」


『あー、ところで話は変わるが、お前いま、赤の他人のとこで暮らしてるんだな』


 本当に何の脈絡みゃくらくもなくその話を持ち出してくる。

 なんで知っているのだろう。いきなり連絡してきたと思ったら、そんな話をするなんて。


 ――違う。逆だ。


 あたしの今の生活を――三人ぐらしを知ったから、連絡してきたんだって。


 長谷川さんと一緒に出掛ける機会は何回もあった。その様子は、周りからは歳の離れた恋人か、兄弟か、あるいは親子のように見えただろう。


 赤の他人なら気にせずスルーしている組み合わせでも、あたしを知る人が見たら違和感を感じるはずだ。金はないけど暇はある父が見つけたら、あとをけようと考えてもおかしくない。


「それが、何」


 問い返す声は明らかに弱っていた。

 自覚があるくらいだから、父が気づかないはずがない。

 案の定、電話の向こうの声は強気になっていた。


『自分の娘がいい歳したおっさんと同居してるなんざ、実の父としては見過ごせんよなぁ。しかも女の先生まで一緒だろ? 世間が知ったらどう思うか……』


 そんな風に、正義感に見せかけた悪意をチラつかせてくる。


「あたしに、どうしろって言うの」


 そう答えるしかなかった。

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