追跡調査
「あいつ、他にもバイトしてるぞ」
「――は?」
全くの予想外の情報に、仕事用の外面が吹き飛んでしまった。榊原の言っていることが理解できない。
「水渡さんは、受験勉強に専念するために、アルバイトを辞めたんだけど……」
「あたしは見たんだよ。あいつが建物の中へ入っていくのを」
「それだけじゃバイトかどうかわからないじゃないか」
たとえばそこは予備校かもしれないし、個人経営の塾かもしれないし、ただ寄り道をしただけかもしれない。望みの薄い可能性に縋ってみたが、
「いや、普通に弁当屋だったから」
あっさり否定する材料を潰されて、それ以上の反論が出てこない。
「……そうか」
「まあ、水渡がどういうつもりかはわからないが――」
「頼みがある」
僕は榊原の言葉をさえぎって、彼女の目を見据えた。
榊原は逆にこちらを睨みつけてくる。
「断る」
「ちょ、こっちの話も聞かずに……」
「どうせあいつを見た場所まで案内しろとか言うんだろ」
「まあそうなんだけど」
「あたしらはまだ仕事があるだろうが、キリキリ働け副店長」
僕がローキックを食らって悶えているうちに、榊原は立ち去ってしまう。
その日、七海がアパートに帰ってきたのは午後10時30分ごろだった。大学受験に対応した予備校ならば、一般的な帰宅時間と言えるだろう。
七海の態度はいつもと変わりなかった。嘘をついている後ろめたさなどは感じられない。ただ、少し疲れている様子ではあった。冷めた食事を温め直してテーブルに並べてやると、「ありがとうございます」とくすぐったそうに笑っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、出勤・登校する二人を見送ってから、榊原に電話をかけた。
『……あたしは今日休みなんだがどういうつもりだ』
不機嫌を隠そうともしない、低い声が返ってきた。
僕は慄きつつも尋ねる。
「夕方ごろから時間取れる?」
『何をするんだ』
「水渡さんを尾行する」
『あの女教師に付き合ってもらえばいいだろ』
「それはできない」
『なんで』
「教師だからだよ。水渡さんが問題行動を取っていたら、古井河は立場上、それを学校に報告しないといけない。だから連れていくことはできない」
それに万が一の場合、古井河は七海をかばうだろう。教師は生徒に平等に接しなければならない。一人の生徒に肩入れしてはけないのだ。三人ぐらしなどしておいて今さらな話ではあるが、これ以上、教師としての立場を危うくするようなことに、古井河を巻き込みたくはなかった。
「頼むよ」
電話の向こうで沈黙している榊原に向かって短く言いながら、見えるはずもないのに頭を下げる。数秒後、『仕方ないな』とうんざりした声が返ってきた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
七海のアルバイト先は、市内でチェーン展開している弁当屋だった。
行き先を突き止めると、店を監視できる位置に車を停めた。張り込みである。
「水渡のやつ、なんでこっちで働いてるんだ? 時給はうちとそう変わらないだろ」
助手席の榊原が、腕組みをしながらつぶやいた。
「さあ……」
としか答えようがない。僕にもまったく理由がわからないのだ。七海の考えが理解できなくて、昨日は仕事が手につかなかったし、夜も寝付けなかった。そして今日は強引に半日の有休を取ってまで、こんな刑事の真似事をしている。
「長谷川、お前本当に、あの子に手ぇ出してないんだろうな」
「どうして」
「人間関係の悩みは、バイトが辞める一番の理由だ」
「僕たちは一応、同じ部屋に住んでるんだよ」
「だからせめて働く場所くらい別々にしたいと思ったんじゃないのか」
榊原の切り返しはとても鋭く、〝そうは思いたくない〟ポイントを容赦なく抉ってくる。だけど黙っているのも癪なので、申し訳ていどに付け加える。
「……あ、水渡さんには手を出してないからね」
「冗談だろ」
「いや本当に」
未成年といかがわしい行為には及んでいないという、身の潔白を証明するために抗弁していたのだが、榊原の不信はまったくの逆方向だったらしい。
「女子高生からあんなストレートに好意を向けられて、何もしてないなんて、お前まさか、もう使い物に……」
榊原はさっきまでの攻撃的な視線から一転、痩せ細った子犬を見るような、憐れみの視線を向けてくる。
「いや、全然元気だよ」
どこがとは言わないが。
「そうかよ」
榊原は鼻で笑いながらシートにふんぞり返る。
最近の彼女は今までにも増して僕への当たりが厳しい。親友を振った男なのだから、こういう扱いも当然なのかもしれないが。
「……今日は、付き合わせて悪かったね」
「どうしたいきなり」
「同行を頼んだのは、ちょっと無神経だったかもしれない」
「美月のこと気にしてるのか」
あっさり言い当てられてしまい、僕は苦笑いを返す。
「……まあ、ね」
「あいつを選んでおけば、こんな面倒なことにはなってなかったのにな」
「そういうのができないんだよ、僕は」
「だろうな。まあ、そうやって、ときどき思い出したように気に病んどけよ」
ものすごいセリフを吐かれてしまったが、榊原の言葉責めはそれが最後だった。沈黙を埋めるためにカーステレオでラジオを流し、コンビニで買ってきたパンとコーヒーを口にしながら張り込みを続けた。
七海がアルバイトを終えて店から出てきたのは、午後7時過ぎだった。
「意外と早かったな」
「そうだね」
時間的には、これから予備校へ行くという可能性もないわけではない。それならまだ、ぎりぎりのところで、七海を信じることができるのだが。
僕たちは車を降りて七海のあとを追う。弁当屋で着替えたのか、服装が地味な私服に替わっていた。
サラリーマンの集団や、女子高生のグループなどの間をぬって、七海は繁華街を足早に歩いていく。狭い路地に入るたびに、賑わいから遠ざかっていく。
だんだん、嫌な予感が漂ってきた。
「こっちの方向に予備校なんてあったか?」
「いや……」
この街の予備校をすべて把握してるわけではないので、はっきりしたことは言えない。ただ、今向かっているのは、受験生にはあまり関わりのない区画だ。どちらかというと社会人が――それも二次会の場所を探す、ほろ酔いの社会人の方が多いような場所である。
やがて、七海は道の真ん中で立ち止まった。
数秒ほど雑居ビルを見上げてから、その中へ入っていく。
そのビルはお世辞にも綺麗とは言えない建物だった。壁面には古ぼけた電飾の看板が並んでいる。どれも個人経営のバーのようだ。
「いかがわしい店じゃあなさそうだが」
榊原がつぶやく。僕もその点は少しだけ安心していた。
最悪の想像だけは外れてくれたらしい。
だからといって、未成年でしかも高校生の女の子が、お酒を提供する飲食店に出入りしている状況を放置できるわけもない。
「とりあえず場所は特定できたし、水渡を問い詰める材料はそろったな」
「そんな悠長なことはしてられないよ」
七海を追って雑居ビルへ踏み込んだ。
「マジかお前」
呆れたような声のあとで、足音がついてくる。




