ファミレスガール(?)ズトーク
古井河先生は、まるで関係なさそうな話を始めた。
「大人になると告白しなくなるって話、知ってる?」
「……聞いたことはあるけど。でも、その代わりに、付き合おうか? くらいは聞くんじゃないの」
「そうそう。それって、どうしてだかわかる?」
「白黒はっきりさせるのが怖いからでしょ」
先生はあたしの言葉をどう感じたのか、苦笑いをして話を続ける。
「付き合うというのは、確認の段階なのよ。文字どおり、付けてみて、合うかどうか確かめる。レゴブロックをカチッとはめるくらいの感覚ね。知ってる? レゴブロック」
「知ってるけど」
けど、先生が何を言おうとしているのかわからない。
「それと比べて、好きだと告げるのは、とても強い結びつきを求めることだと思うの。別々の木を一本につなぎ合わせる接ぎ木のように。わかる? 接ぎ木って」
「わかるけど」
けど、先生が何を言おうとしているのかは、やっぱりよくわからない。
「レゴブロックは簡単に離れるけど、接ぎ木した木を離すことはできないのよ」
「……無理やり引っ張ったら?」
「それくらいじゃ離れないわよ。完全にくっついて、一本の木になってるんだから。切り離すには、刃物を使うしかない。皮が裂けて、血が流れるでしょうね」
先生は両手にナイフとフォークを持つと、鉄板に乗ったステーキに刃を入れた。切り口から赤身がのぞき、肉汁があふれ出る。
大人が告白しないのは、傷つきたくないから、と言いたいんだろうか。
そんなひねくれたことを考えていたら、ふと思い出した。
三人ぐらしを続けると決めたときに先生が挙げた、三つの終了条件のひとつ。
〝恋愛感情の表明があった場合〟――〝告白したら負けという意味よ〟
「あのルールって、先生が自分を守るために考えたの?」
先生はうっすらと笑った。
あたしがそれに気づくのを待っていた、そういう笑みだ。
「大人は告白しないから、告白をしなくても気持ちを伝えられるのよ」
先生の言い回しはだまし絵のようで、あたしは一瞬、意味がわからなかった。文字どおりの言葉の裏側に、本当の意図を隠しているみたいに――
「あっ――!」
あたしは思わず声を上げてしまった。
反射的にテーブルに手をついて腰を浮かせる。
「あたしはあのルール、一理あると思ってちゃんと守ってたのに、センセはそんな姑息なこと考えてたの?」
「……姑の息と書いて、姑息?」
ナイフとフォークを持つ手が空中で止まったけど、あたしは先生の顔を指さしながら、言葉を続ける。
「大人は告らなくても気持ちを伝えられるって、要するに、そっちに有利ってことじゃん」
先生は告白をしなくても好きだと伝えられる方法を知っているらしい。
だけどあたしは、そんなやり方なんて知らない。
そんなの不公平だ。
こちらだけアイテムを使えないマ〇オカートくらい不公平だ。
先生は気にした様子もなく、ひと口サイズに切ったステーキを口の中に放り込んだ。十秒くらい噛んでから飲み込んで、ちょっと硬いわね、なんて文句を言っている。
「やっぱり食べたいの?」
そう聞かれて、誤解を招きそうな絵面に気づく。
これじゃまるで、おなかを空かせたあたしが、先生に食べ物をねだっているみたいだ。
あたしはそっと席に座り直して、水を一気飲みした。
視線だけは緩めないでいると、先生は小さくため息をついた。
「大人に有利とは限らないわよ。こちらには立場ゆえの慎みというものを、みずからに課しているんだから」
あたしは先生のここ最近のだらしない私生活を思い出す。
「……あれで?」
先生はピクリと頬をひきつらせたけど、すぐに余裕ぶった笑みに戻る。
「水渡さん、ギャップ萌えって知ってる?」
「先生は、過ぎたるは及ばざるがごとし、って知ってるでしょ」
「……ギャップ萎えと言いたいの? もしかして、長谷川君から何か聞いた? 最近の古井河はちょっと……、みたいな話を」
「ちょ、そこまで言ってないし、あと危ないし怖いから、ナイフとフォーク持ったまま近づかないで」
いつの間にかテーブルの上に身を乗り出していた先生は、中腰のままピタリと動きを止めると、大人しく席に座り直した。ランプの魔人が小さくちぢんでランプの中に戻っていくみたいだった。
「……わたしのことはいいのよ。それよりも」
先生の声はちょっと震えていた。
「水渡さんは、自分の気持ちは伝わっていないと思っているの?」
「え? だって長谷川さん、そういうところ、なんか鈍いし」
「そうね……、それは否定しないわ」
先生はもう一度、さっきより深いため息をついた。
思いどおりに行かないわ、っていう疲労感のあるため息だ。
先生と長谷川さんの距離は、確かに近くなったと思う。
だけど決して、告白をしたみたいに、劇的に変化したわけじゃない。
「あ、もしかして」
「何よ」
「センセも手ごたえがなくて凹んでるのかなって」
「長谷川君はね、とても強い自制心を持っているのよ」
棒読みだし、口元が引きつってるし、ステーキにナイフを入れようとしているけどぜんぜん切れていない。
「だからわたしに魅力がないわけじゃないのよ」
「センセは長谷川さんのどこが好きなの?」
ぽろりと、疑問が口をついた。
たぶん今まではっきり聞いたことはなかったと思う。
長谷川さんと古井河先生は、高校の同級生で。
今年の夏にたまたま再会して。
でもそれは単なるきっかけに過ぎないはずだ。
先生は昔の思い出に目がくらんでるわけじゃなくて、今は長谷川さんをひとりの男性として改めて認識して、それで好きになったのだと思うから。あたしと同じように。
そこには歳や立場の違いはないはずだから。
あたしは、その理由を知りたかった。
「信用できるところよ。あと、誠実なところ」
先生はナイフとフォークを置いた。視線は少し下げて、テーブルの上を眺めている。
「最初のきっかけは、やっぱり気が合ったから。懐かしさもあった。でも、それだけじゃ、友達止まりなわけ」
「なんでそこを超えたの?」
「それはもちろん、この生活のおかげね。しばらく三人ぐらしを続けて、この人は一緒になった相手をちゃんと守ってくれるって、そう信じられるようになった」
たぶん無意識に先生は笑っていた。
うっすらと口元が上がり、目尻が下がる、やわらかなほほ笑み。
それを見て唐突に、沖君の言葉がよみがえった。
『――ほんのちょっと前までは、いかにも先生って感じのキリッとした顔で、大人が子供に言い聞かせるみたいにしゃべってたのに……、そのときだけは、女子みたいに照れくさそうにしてさ……、あんな顔されたら、もう無理だろ』
あたしは理解した。納得した。思い知った。
ああ、これが沖君を諦めさせた顔なんだ、と。
もちろんあたしは古井河愛佳に恋焦がれる男子生徒ではないから、何かを諦めたりはしないけど。その代わりに、やっぱり手ごわいなぁ、って危機感を新たにする。
「そういう水渡さんは?」
「え? あたし?」
返事をしようと息を吸い込んだら、お腹の辺りのさみしさに気づく。
それまで忘れていた空腹感。
胃の中が空っぽになってるのを感じる。
「あの、……その前に、あたしもやっぱり、何か頼んでもいい?」
「帰ってから何か作るんじゃなかったの?」
「そのつもりだったけど、やっぱり今日は長谷川さんに、ひもじい思いをしてもらおうかなって。その方があたしの――毎日料理を作ってくれる人への好感度もアップするはずだし」
先生は声を出して笑った。
「そうね、長谷川君はもう少し、自分がどれだけ恵まれているのか、思い知った方がいいわ」
あたしはなるべく価格を見ないようにして、好きなものを注文する。
さらに食後のスイーツまで頼んだりして、夜遅くまで話を続けた。
学校の帰りに他愛のない話で盛り上がる、友達同士みたいに。




