最近同居人たちの様子がおかしいのだが
文化祭の次の朝。
朝食の準備ができたというのに、まだ古井河先生は起きてこない。
「……いい歳して、ホントだらしない」
あたしは先生の部屋の戸をにらみつける。
「まあまあ」
長谷川さんは朝のニュース番組を眺めつつ、苦笑いを浮かべている。
「歳をとると朝が早くなるって聞いたんですけど」
「それ面と向かって言わないようにね」
「ちょっと叩きこしてきます」
「まあ、そっとしておいてあげなよ」
長谷川さんはそう言いながら、あたしの席の椅子を引いてくれた。
「今日は振り替え休日なんだろう? 古井河もしばらく忙しかっただろうし、歳をとると疲れが抜けにくいんだよ」
「それもけっこう危ない発言ですよね……」
あたしが席につくと、そろって「いただきます」とあいさつしてから食べ始める。二人きりで朝ご飯というのはちょっとレアだし、新婚さんの朝という感じがしてこそばゆい。
昨日の夜は酔っぱらって寝ちゃってたくせに、まだ起きてこない先生のだらしなさには呆れるけど、お邪魔虫がいないと考えれば、あたしにとっては悪くないのかもしれない。
みそ汁をすすり、ご飯を食べつつ、あたしは長谷川さんの手元を見ている。お箸がていねいに動いて焼き魚を切り分け、そっと口元に運んでいく。それを見届けたら、目が合わないように視線を下げる。あたしの料理が長谷川さんのエネルギーになっている。役に立っていると実感できるこの時間は好きだ。
「ん……、おはよ……」
ようやくお目覚めの古井河先生は、洗面所から戻ってくると、まだ眠そうな目をこすりながら席についた。髪の毛がいつも以上にもっさりしているし、動作もノロノロしていて、本当に疲れが取れていないみたい。
それでも、食べているうちにだんだん目が覚めてきて、姿勢がきちんとしてくる。納豆をかき混ぜるときも手首のスナップが利いていた。
「長谷川君、たまには食べてみない?」
先生はそう言って、納豆のトレーを長谷川さんに近づける。納豆嫌いの長谷川さんは反射的に顔をしかめた。
「ちょっとセンセ、何やって――」
「じゃあ、少しだけ」
「えっ?」
あたしの予想に反して、納豆のトレーに箸を伸ばす長谷川さん。器用につかんだ納豆が、空中で細い糸をたなびかせる。
「すごいな、こんなに糸を引くのか……」
「そんなことも知らずに納豆を売ってたの?」
「日々勉強だね」
挑発的に笑う古井河先生と、素直にうなずく長谷川さん。なんだろう、このやり取り。年甲斐もなくはしゃいでいる、と呆れるのは簡単だけど、それだけじゃなくて、なんていうか、この……、なんだろ。
「あたしの納豆もどうですか」
つい、わけのわからないセリフを発していた。
長谷川さんは納豆を飲み込んでから、顔のパーツが真ん中に寄ったみたいな表情で首を振った。
「いや、もういいよ」
「……そうですか」
トレーを引っ込める。
あたしの納豆が食べれないんですか、とはさすがに言わなかったけど、後を引くような小さな不満は、なかなか消えなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の夕方。
長谷川さんはまだ仕事中で、部屋にいるのはあたしと古井河先生の二人だけだ。
先生は部屋の掃除と洗濯物の回収、それから服を畳んでノルマ終了。今は部屋着でソファに座って、ちまちまスマホをつついている。かすかに勇ましい音楽が聞こえてくるので、たぶんゲームをやってるんだろう。
その姿に軽い違和感を覚えつつ、あたしは夕食の準備に取り掛かった。今日のペース配分は自分でもほれぼれするくらい完璧で、ちょうど長谷川さんが帰ってくるころには、すべての献立がきれいにそろっていた。
ちょっとでも料理をした人ならわかってくれると思うけど、別々の料理の完成する時間をぴったりそろえるのって、けっこう難しいのだ。
「お帰りなさい長谷川さん、すぐに食べれますよ」
「いつもありがとう」
と感謝の言葉を欠かさない長谷川さん。夫婦円満の秘訣はコミュニケーションから、みたいな話を夕方の情報番組でやっていたのを思い出す。
「……古井河も、そろそろスマホやめたら」
「ちょっと待って、今まさにガチャを引いているところなの」
先生は手のひらをこちらへ向けて、スマホ画面に見入っている。スマホゲームのことは詳しくないけど、ガチャというのがゲームのキャラクターが当たる宝くじみたいなものだってことは知っている。
抽選の結果がよくないのか、先生の顔色がどんどん曇っていく。
「長谷川君、こっち側持ってて」
何を思ったのか、先生は自分のスマホを長谷川さんに差し出した。
「え? これでいいのかい?」
長谷川さんが反対側を指でつまむ。一つのスマホを二人で引っ張り合っているみたいな状況で、画面がピカピカと明滅している。遠目にもなんだかシュールな絵面だった。
「これになんの意味があるのか聞いてもいいかな」
「狙ってるキャラが長谷川君にちょっと似てるのよ」
「説明をもうひと声……」
「召喚の際にはキャラに縁のある触媒が必要なの」
「それはゲームの設定なんじゃ」
「強い思いは伝わるのよ――って来た! ほら来た! よーし!」
古井河先生は両腕を突き上げて、スマホを高々と掲げた。
あたしと長谷川さんは置いてけぼりだ。アラサー女性らしからぬ落ち着きのない行動に、ただただ呆気に取られている。
「センセ、それにいったいいくらつぎ込んだんですか」
「それじゃないわ、レオンハルト様よ」
先生はスマホを印籠みたいにこっちに向けた。長谷川さんとは似ても似つかない金髪の美丈夫が、画面のなかで白い歯を光らせている。
「でも、電子データですよね」
「……レオンハルト様は確かに虚構の存在なのかもしれない。だけど、現実に、彼はたくさんの才能の結晶なの」
「現実に?」と長谷川さんが首をかしげる。
「才能の結晶」とあたしはつぶやく。
古井河先生は得意げに口元を上げた。
「そうよ。一流のシナリオライターさんが設定を考えて、一流のイラストレーターさんがビジュアルを起こして、一流の声優さんが声を当てている。それら一流の仕事の結晶が、このレオンハルト様なの。〇万円くらい安いものよ。むしろそれくらい払わないと申し訳ないわ」
なんてことない、という風に肩をすくめる先生だけど、顔がちょっとひきつっていた。強がりもここまでくれば大したものだと思う。理論武装といえば聞こえはいいけど、ようは自分をだますための屁理屈でしかない。
「廃課金の鑑ですね」
「さっそくレオンハルト様のレベル上げをしないと」
あたしの嫌味も堪えていない様子で、先生はゲームを続けようとする。
そこにとうとう長谷川さんが口をはさんだ。
「まず食事だよ。せっかくの料理が冷めてしまうじゃないか」
「……はぁい」
スマホを奪い取られて、先生は口をとがらせながらテーブルに着く。そんなふてくされた態度に苦笑いを浮かべながら、長谷川さんも席に座った。
こんなことは初めてだ。古井河先生がリビングでゲームをやっていたのも、それを長谷川さんが注意したのも、あと朝食のとき、長谷川さんが納豆をほんのちょっとだけとはいえ口にしたのも。自分の箸でかき混ぜたカップを差し出すのって、同じグラスで回し飲みするみたいな気安い感じがする。なんだったの、あれ。
「――あ」
それは、意識して出した声ではなかったと思う。タンスの角に小指をぶつけたら「あ痛っ」て言っちゃうみたいな、反射的なつぶやきだった。
「どうしたの?」
「……いえ、なんでもないです」
そう答えるしかなかった。
あたしがぶつかった何かは、形のないものだったから。
自分でもその正体がなんなのか、よくわからないまま、だけど何かがぶつかった――あるいは、ぶつけられた――というショックは確かにあった。
その証拠に、心はじんじんと痺れたままだ。




