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祭りのあとの子供たち

 文化祭の終了を告げる放送が流れると、3年4組の教室に歓声がわき起こった。


 クレープ生地や冷凍フルーツのが大量に売れ残ってしまう窮地――通称クレープ危機は無事に回避することができた。

 ただ普通に作って売って終わりました、というのではなくて、ピンチを見事に乗り切ったのだから、イベントに感じる達成感が違う。


 誰も彼もが笑顔だった。飛び上がって喜びを表現する女子たちや、ハイタッチをかわす男子たち。涙ぐんでいる子や、それを慰めているうちにもらい泣きをする子もいる。


 なかでも沖君の周りには多くの生徒が集まっていた。


「よくやった沖、お前がナンバーワンだ」

「沖君、ありがとー。助かったよー」

「さすが元キャプテン、リーダーシップを発揮したな」


 などなど賞賛の嵐だ。クレープ危機回避の立役者として当然の扱いだと思うけど、本人はそれらに苦笑いで応じていた。


『手柄を横取りするみたいで申し訳ない』

 沖君はまだそう思っているんだろう。


 実際、クレープ危機を回避できたのは、長谷川さんのアイデアのおかげだ。でも、それは自分だけが知っていればいい。喜びにはしゃぎまわっているクラスメイトたちを眺めながら、あたしは満足感でいっぱいだった。アパートに帰ったら、お礼と称して長谷川さんにいろいろ世話を焼いてあげよう。


「ごめんなさい、遅くなったわ」


 やがて、我らが担任の古井河先生がやってきた。文化祭はお祭りであると同時に学校行事でもある。形だけでもHRをやって締めないといけない。


「みんなずいぶんはしゃいでいるけど……、お店は上手くいったみたいね」

「それがそうでもなかったんですよー」


 クラスのリーダー格の女子が言った。芝居がかった、落ち込んだ声。「そうそう」「大変だったんだぜ」「まさに危機的状況だった……」と周りの生徒も深刻ぶって、腕組みをしてうなずいたりしている。


「いったい……、何が起こったというの?」


 と古井河先生もそのノリにつきあって真面目な顔を作る。


「実は材料がいっぱい余っちゃって」

「でも、よその模擬店で使ってもらって、ぜんぶ使い切れたんですよ」

「……どういうこと?」


 大ざっぱな説明に先生は首をかしげていたけど、より詳しく話を聞いていくと、なるほどね、と納得して教室を見回した。


「すごいじゃない! そういう工夫の仕方、先生は好きよ」


 好き、というセリフに反応して沖君の肩がびくんとなった。すごい、恋する乙女みたいな敏感さだ。


「これ考えたの、沖なんですよ」

 お調子者の男子がニヤニヤしながら沖君の肩を叩く。

「つまり愛ちゃん先生は沖が好きってことですよね」


「バッ、おま……、馬鹿なこと言うなって」


 沖君はお調子者男子の肩を叩き返す。なんという明るいノリだろう。


「そうねえ、もちろん好きよ。みんな大切なわたしの教え子なんだから……」


 古井河先生は聖母のような穏やかな表情で、両腕を広げて高らかに宣言する。しかし、教え子たちは大昔の学園ドラマのように駆け寄ったりはしない。


 先生はそっと腕を下ろした。


「――さて、後夜祭があるけど、ひとまずここで解散です。打ち上げをする子たちは、常識の範囲内で楽しむように。羽目を外さないよう、お酒を飲まず、夜遅くならないようにね。家に帰るまでが文化祭です。今日は一日お疲れ様! それじゃあ、解散!」




 後夜祭の話題で盛り上がっている教室から抜け出して、あたしは廊下で電話をかける。少し遅いなと感じる8コール目でつながった。


『……はい、もしもし』

「あ、長谷川さん」

『水渡さん、どうしたんだい?』

「結果報告をと思って」

『ああ、どうだった?』

「おかげさまで材料はほとんど使い切れて、みんな喜んでました」

『それはよかった』

「この人のおかげです、って長谷川さんを壇上に招きたいくらいなんですけど」

『大げさだなあ』


 電話口で苦笑する気配がした。私は大したことはしていない、君たちが行動した成果だよ――そんな風に謙遜するセリフが聞こえてきそうだった。


 でも、長谷川さんのおかげで、みんな笑ってたんですよ。飛び上がるくらいはしゃいで、泣いてる子もいて。もしあのアドバイスがなかったら、ぜんぜん違う空気になってたはずです。卒業して何年か経ってから、3年の文化祭を思い出すときの気持ちが違います。長谷川さんはみんなの思い出を守ったんですよ。だから、ちっとも大げさじゃないです。


 ――やっぱり大げさかもしれない。

 あたしは瞬時に浮かんだセリフを引っ込めた。


「もう帰ってます?」

『いや、今はちょっと、店にいるんだ』


 少し口ごもる長谷川さん。電話口からは店内放送の呼び出しが遠めに聞こえた。


「あ、そうなんですか」

『急ぎの仕事があったのを忘れていてね』

「そうなんですか」

『何か用があったの?』

「あ、いえ、大した用事じゃないんで、大丈夫です」

『そう。私も帰りは遅くなりそうだから、こちらのことは気にしないで。後夜祭とか打ち上げとか、あるんだろう?』


 あたしは別にそんなのどうでもいいですけど、という拗ねたセリフは、ぎりぎり口の中で押しとどめた。


「――わかりました。夕食の準備はいらないんですね」

『ああ。水渡さんは楽しんできなさい。といっても、羽目を外しすぎて、あまり遅くならないようにね』

「センセと同じようなこと言って……」

『え? 古井河がどうしたって?』

「なんでもないです。長谷川さんもあんまり社畜しすぎないでくださいね」


 通話を切って、ため息ひとつ。

 長谷川さんがまだ学校の近くにいたら、あたしは何を言おうとしてたんだろう。


 後夜祭でフォークダンスがあるんですよ、って?

 よかったら一緒に踊りませんか、って?


 断られても気まずくならないないように冗談めかして?

 それとも、告白の代わりみたいに真剣な声で?


「……まずいなぁ」


 声に出してつぶやく。

 ここ最近、気持ちが突っ走りがちだ。ブレーキが馬鹿になっている感じがする。これじゃお母さんのことを笑えない。


 荷物を取りに教室へ戻ったら、クラスの子に声を掛けられた。


「水渡さんって料理得意なの?」

「え、っと……、親が遅いから、家ではよく作ってるけど」


 あまり話したことのない相手だったのと、なんの前振りもない話題だったせいで、思わず本当のことをしゃべってしまう。


「どうりで、クレープ作るときの手際がいいなーってみんな言ってたんだよ」

「そう、ありがとう」

「ねえねえ、水渡さんも打ち上げ行くでしょ?」


 別の子が話しかけてくる。そのまま帰るつもりだったけど、夕食を作る相手がいないのだからどうしよう、という迷いもあって、返事をためらっていると、


「前から水渡さんと絡みたいと思ってたんだよね」

「でも、いつも帰るの早いし」

「こういうときくらい、いいでしょ?」


 と次から次に声がかかる。善意の誘いを断る気力もなく、あたしは流されるままにうなずいてしまった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 打ち上げはボウリングだった。うちだけではなく、よそのクラスもいくつか来ているようで、レーンのあちこちに伯鳴の生徒の姿がある。


 あたしは誘ってくれた子たちのグループに混ざることになった。ボウリングは初めてではないけど、こういう、いかにも高校生の寄り道、という雰囲気には少し戸惑ってしまう。みんなボウリングそっちのけで、おしゃべりに花を咲かせていた。


 あたしと絡みたいというのは社交辞令ではなかったらしく、たくさん質問をされた。趣味や特技、好きなアイドル、将来の夢とか、そういう話。おかげで浮くことはなかったけど、慣れない状況に少し疲れてしまった。


 トイレに行くと断って席を離れて、ぶらぶら歩いていると、沖君を見つけた。


 彼は同じレーンの人たちと楽しそうに騒いでいた。ストライクを決めた友達とハイタッチをしたり、ガーターを出した友達をからかったり。だけど、その合間に、ふと遠い目をすることがあった。


 やっぱり、先生への誘いは断られたらしい。それなのにきちんと打ち上げに参加して、みんなとはしゃいで、沖大志という外面をキープしている。


 大したものだと感心しながら、沖君たちのレーンを通り過ぎ――、背中に声を掛けられた。


「水渡、ちょっと話しようぜ」


 他の生徒に聞かれたくない内容なのは間違いないので、ダーツやビリヤードのある階へ移動した。ここも静かとは言えないけど、ボウリングやゲーセンよりはましだ。


「フラれた」


 沖君は壁にもたれたまま、ずるずるとしゃがんでいく。


「率直ね」


 あたしは沖君ふられたおとこを見下ろしながら言う。


「でも、気持ちを伝えるのって勇気がいると思うし、よくやったんじゃないの」

「結果が出ないとなぁ……」

「いけると思ってたの?」

「そりゃ厳しいってわかってたけど、ワンチャンあるとも思ってたんだよ……」

「じゃあ、卒業してからまた挑戦すれば?」


 先生の愚痴を思い出して、そう聞いてみた。卒業後にもう一度告白してきた生徒はいなかったらしいが、沖君はどうなのだろうか。


「……いや、それは無理だ」


 ああ、やっぱり彼もその程度だったのか、と顔には出さずに落胆する。


「教師と生徒の関係では付き合えないって言われたんじゃないの?」

「そうだよ、水渡のリサーチどおりだ」

「だったら」

「でも、それだけじゃなかった」

「え?」

「続きというか、追加というか、駄目押しというか……」

「何を言ってるの?」


 沖君はセットされた髪の毛をくしゃくしゃときむしったあと、弱々しい笑顔を作った。


「好きな人がいるから、って言われたんだよ」


 あたしはそれを知っている。誰なのかも知っている。

 だけど、初めて聞いたみたいに驚いている。


「ほんのちょっと前までは、いかにも先生って感じのキリッとした顔で、大人が子供に言い聞かせるみたいにしゃべってたのに……、そのときだけは、女子みたいに照れくさそうにしてさ……、あんな顔されたら、もう無理だろ」


 しゃべり終えた沖君は、何かをこらえるような顔をしていた。痛みをこらえているようにも、笑いをこらえているようにも見えた。その両方かもしれない。


 どちらにしても、沖君は穏やかだった。終わったものを振り返っているのだから、当たり前かもしれないけれど。


 あたしはとても穏やかではいられない。

 人伝ひとづてに聞いた告白なのに、まるで宣戦布告だった。

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