似非ビジネスパーソン
あたしたちのクラス、3年4組はクレープの模擬店を開いている。
よくあるフルーツ系のトッピングだけじゃなく、野菜を巻いたり、ソーセージを巻いたりして、サンドイッチのように食べられる、いわゆるおかずクレープも用意して、そこそこ繁盛していた。
クラスメイトもそれなりに息を合わせて、いい雰囲気でやれていたと思う。クラスでは傍観者的立ち位置にいるあたしが言うのだから間違いない。
そんなところに大問題が持ち上がった。
クレープの生地が大量に余りそうなのだ。あと、トッピング用の冷凍フルーツも。
あれもこれもとフレーバーを増やしたのに合わせて、クレープ生地の発注も増やしたはいいけれど、トータルの販売数を考慮に入れていなかったらしい。
赤字になるのはもちろん嫌だけれど、そこを気にしている生徒はあまりいない。金額にすれば、一人当たり数百円くらいの損失でしかないのだから。
問題は、クラスの雰囲気が一気に悪くなってしまったことだ。
「誰がこんな数頼んだんだよ」
と責める男子がいれば、
「数は全員で決めたんだから、犯人探しみたいなことはやめようよ」
と場をなだめようとする女子がいる。
「今からでも、できる限り売っていこうぜ」
とみんなを励まそうとする男子がいれば、
「今現在の販売数と、在庫の数、ちゃんと見てから言って」
と現実的な批判をする女子がいる。
誰も彼もが腹に不満を抱えているけど、はっきり口に出すのだけはギリギリのところで止まっている状況だった。
優しさとか気づかいじゃない。これは保身だ。誰かを指して文句を言えば、それが自分に返ってくる。ケンカの口火を切るのは嫌だし、文化祭が終わったあとに遺恨を残すのも嫌。
だから何も言わないけれど、言わないからこそ不満は溜まっていく。教室にはピリピリした空気が満ちていた。接客業の空気じゃない。お客さんもそれを察して、さっきから教室で食べていく人の数が減っている。このままじゃ悪循環だ。
あたしは意を決して、長谷川さんからのアドバイスを実行に移すことにした。
「沖君ちょっと」
小声でクラスの中心人物に話しかけて、教室の外へ誘い出す。
「……何」
いま大変な状況なんだから用があったら早くしてくれ、というのがあからさまな態度だった。嫌な感じだけど、今は強い手札を持っているので心に余裕がある。
「大量の在庫を一掃できるかもしれないアイデアがあるんだけど」
沖君は目を丸くしてこちらを見た。
「どうするんだ」
「よそのクラスに協力してもらう」
「委託販売ってことか? 大して効果はないと思うけど」
沖君の返事は早かった。たぶん、すでに案のひとつとして考えていたんだろう。
実際、彼の言うとおり、委託販売の効果はうすいだろう。
例えば、中庭にある他のクラスの屋台で、うちのクレープを売ってもらえるようになったとする。そこでクレープを買ったお客さんは、わざわざ3階にある2年4組までクレープを買いには来ない。そういうことだ。購入する場所が変わるだけで、売り上げが増えるわけじゃない。
あたしは首を振って沖君の話を否定した。
「違うわ。あたしが提案するのは、もう一歩踏み込んだ協力関係の構築。こちらの損失を押し付けるんじゃなくて、相手もしっかり利益を上げられる、win=winの関係を目指しているから」
「意識高いな……」
はじめは話半分という感じで聞いていた沖君だけど、こちらのアイデアを明かしていくうちに、だんだん顔色が変わってくる。
「どう?」
「――いけるかもしれないな」
「じゃあみんなに説明よろしく」
「俺が?」
「アイデアは同じでも、みんなの食いつきが違うでしょ」
沖君の肩を押して教室へ戻ると、姿を消していたクラスの中心人物の帰還に、みんなの視線が集まる。
「ほら」と急かすと、沖君はまだ気乗りしていない様子だったけど、時間がないのはわかっているから、すぐに説明を始めてくれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
無事にみんなの同意を取り付けると、次は他のクラスとの交渉だ。
これは何人かで手分けして進める。ここでも重要なのは相手に話を聞いてもらえること。だから、交渉役は、相手のクラスに友達がいる人が適任だ。その友達が出し物を仕切っている中心メンバーならなおいい。トップ同士で話が早く進められるからだ。
「でも、よかったのか? 手柄を横取りしたみたいで申し訳ないんだが」
「成功してないからまだ手柄じゃないでしょ。みんな話は受け入れてくれたけど、これでコケたらブーイングよ」
「嫌なこと言うなよ……」
最初に目星をつけたクラスは2年2組。お昼に食べた大盛り焼きそばを出しているところだ。沖君の後輩がいるらしい。
模擬店に近づくと、さっそく彼の後輩らしき生徒が歩み寄ってきた。あたしと沖君を交互に見てから、ニヤリと笑う。
「沖先輩、文化祭デートっすか」
「違う。ちょっと話がある」
沖君はまったく動揺を見せずに、いきなり本題を切り出した。沖君だけでじゃなくてあたしも真顔だったからか、後輩君は気まずそうに軽く頭を下げる。
「話って、なんです?」
「店の調子はどうだ? 今年は売り上げトップ狙ってるんだろ」
「あ~、それがちょっと、最初は調子よかったんすけどね……」
後輩君は苦笑いをしつつ、ちらりと模擬店を振り返る。
「うちの焼きそばって量が多いじゃないですか。それでいて値段は控えめ。だからそこまで売り上げが伸びてないというか……、おまけにこのペースじゃ、途中で品切れになりそうなんですよ。使う材料も多いから。今はよくても、あとはもう落ちていくだけって感じで……」
すばらしい。あたしは心の中でガッツポーズをした。
こちらが持っているものを欲している相手さえ見つけられたら、取引は成立したも同然だ。凹んでいる後輩君には悪いけど、彼のクラスは営業をかけるのに最適の相手だった。まさにベストパートナーね。ふふふ……。
「ねえ、焼きそば1つ売ってもらえる?」
「あ、はい、もちろん、ありがとうございます」
模擬店へ近づき、代金を払って焼きそばを受け取る。昼に食べたときも思ったけど、女子が食べることを拒絶しているかのような重さだ。
「ちょっとだけ、ここの机借りるね」
「え? えっと……」
後輩君が沖君に目配せする。
「ちょっとだけ、頼む」
「はあ……、わかりました」
沖君の先輩力は確かなものだった。
店頭を使う許しを得て、あたしはかばんからクレープの生地を取り出した。常温保存ができる密封式のタイプだ。火を使わないから安全だし、調理不要だから場所を取らないし、品質が人の腕に左右されないしと、いいことづくめの一品だ。
あたしはクレープ生地をテーブルに広げる。
焼きそばを箸でつかみ、生地の上に乗せた。
生地の形を整えて、クレープっぽく円錐形になるように巻いていく。
そして、キレイにできたそれを、頭からかぶりついた。
「ん、おいしい」
「えっと……」
後輩君はきょとんとしている。
まだピンと来ていない顔だ。
あたしは沖君に目で合図をする。
「お、おおー、焼きそばを、クレープ生地で包むとは、なんて斬新な発想だー」
ひどい棒読みにげんなりしたけど、今はこの大根が共演者なのだ。あたしは深夜のテレビ通販のテンションを思い起こしながら、精一杯の演技をする。
「でしょ、これなら手が汚れないし、歩きながら食べれるし、見た目だってカワイイし、いいことづくめだわ」
特に意味のない身振り手振りを交えつつ、クレープ焼きそばをぱくり。
「でも、この生地じゃ、ちょっとずつしか包めないぞ。まだ半分以上、焼きそばが残っているじゃないか」
沖君は肩をすくめ、トレーに入った焼きそばを指さす。
「それがいいのよ。あたしみたいな小食の女の子は、こんなにたくさん食べ切れないもの」
あたしは焼きそばのトレーを軽く指で弾いてみせる。
どうよ? と後輩君をチラ見すると、「なるほど……」みたいな表情になってきている、気がする。
もう演技もいろいろな意味で限界だし、そろそろ締めにかかろう。
あたしは店から見えないように、後ろ手で手招きをする。
近くを歩いていたギャルっぽい女子(エキストラ:三ツ森青葉)が反応して、店に近寄ってくる。
「あ、すいませーん、アタシもそのクレープ焼きそば? くださーい」
マニュアル外のお客さんの要求に、後輩君の顔が引きつった。
「えっと、これは売りものじゃないんで……」
「えー、そーなんだ、残念」
ギャルっぽい女子は去っていく。その背中を無念そうな表情で見つめる後輩君に、沖君が声をかけた。
「なあ、ここの客層って男子ばっかりだったんじゃないか?」
「あ、はい、そうっすね……、がっつり食えるがコンセプトだったんで……」
「最初から顧客を絞るのはリスクが大きいわ。せっかくいい場所に店を構えてるんだから、あらゆる客層にアピールできる品ぞろえをするべきよ。いつかと言わずに、そう、今からでも」
「そっちさえ良ければ、なんだが……」
沖君は後輩君に近づいて肩を組み、クレープ生地を目の前にチラつかせる。
「原価で譲ってやってもいいぜ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇
教室への帰りは、肩の荷が下りた気分だった。
「こんなに上手くいくとは思わなかったな」
「沖君の演技があんなに棒だとは思わなかったけど」
「騙してるみたいで抵抗があったんだよ」
「それは自分だけじゃなく、交渉に関わった全員を貶める発言だわ」
あたしは人差し指を立てて、沖君を指さした。
「彼らは自社製品をもっと売りたいと願っていた。あたしたちはそのソリューションをサジェストし、彼らはそれにアグリーした。コンセンサスも取れていた。きわめてフェアでクリーンな取引だった。何も問題ないでしょ」
「どうしたお前?」
沖君のあきれ顔に、あたしも少し冷静になる。
「……ちょっと似非ビジネスパーソンごっこに酔ってたみたい」
「ノリはアレだったけど、すごいな水渡は。こんなアイデアを思いつくなんて」
「そう?」
「俺を含めてクラスの連中は、たぶん根性で乗り切るとか、友達に助けてもらうとか、そういう方向でしか動けなかったと思う」
「昨日、この手の本を読んでただけだから。偶然よ」
「でも、水渡のおかげなのは事実だ。ホントに黙っといていいのか?」
あたしは適当な嘘でごまかそうとするが、沖君は納得が行かない様子だ。となると、次はこういう風に言うしかない。
「あたしからの餞別よ。これで沖君も自信がついて、心置きなくセンセをフォークダンスに誘えるでしょ」
「……ああ、そういうことか」
自分のための行いだったのだと、そういうことにしておけば、彼もこれ以上は追及してこない。
「そ、あたしのためでもあるんだから、教室ではクラスの危機を救ったヒーローとして、せいぜいドヤ顔しておけばいいのよ」
「水渡ってやっぱり、なんつーか、決定的に可愛げが足りないよな」
とても失礼な物言いだったけど、同級生に可愛げがどうとか言われても全く気にならない。あたしがそういう姿を見せる相手は、一人だけと決めているのだから。




