価値観の相違
「文化祭デートしてるんだ、へー」
三ツ森は七海に抱き着いたまま、ニヤニヤと笑っている。
僕はその笑顔の理由がわからないので、警戒しつつも、表面上は平静をよおそっていた。
彼女は七海の家庭の事情を知っている。七海が県外へ転校する予定だったことも知っているのだ。その予定は取り止めになって、今も伯鳴高校に通い続けているのだが――そうなった経緯について、三ツ森はどのくらい把握しているのか。
それがわからない以上、迂闊に話はできない。
こちらの状況は非常にデリケートである。なにしろ、女子高生とその担任と僕の3人で同居しているのだ。余計なことをしゃべって、情報を与えるのはまずい。
まずは二人のやり取りを見て、三ツ森がどこまで知っているのかを確認しよう。
「ちょっと青葉、デートじゃないって」
「そうなん?」
「ただ案内してるだけ。デートは文化祭が終わったあとの約束だから」
「すごいじゃん七海っち、そんなグイグイ行くキャラだっけ」
ようやく三ツ森は七海から離れた。
「ね、おじさん。七海っち、バイトは頑張ってる?」
「ん? ああ、今まで以上によくやっているよ」
これは事実である。レジ主任の榊原のお墨付きだ。
「そか。よかった」
ニッと口元を上げる三ツ森。
「青葉、そういう保護者みたいなのやめてよ」
「えー? だって心配だったし、居候とか、気ぃ使うんじゃないの?」
「居候?」
と僕は話に割り込んだ。
「そ、前に転校するって話したけど、あれがナシになって、今は親の友達の家に居候してるんだって」
三ツ森の話に相づちを打ちつつ、七海の様子をうかがう。
七海は僕と目を合わせて、小さくうなずいた。
なるほど、三ツ森にはそういう設定で話をしているらしい。事実とそれほど大きく離れていない、上手な嘘だ。話を合わせやすいところもプラスポイントである。
では、納得したところで昼食にしよう。
「私たちはこれからお昼なんだけど、三ツ森さんも一緒にどう?」
「えっ? おじさんのオゴり?」
「もちろん。焼きそばでよければだけど」
「じゃあお言葉に甘えて」
三ツ森は手を挙げて喜びを表現するが、隣の七海はというと、
「あたしひとりで買ってきますから」
と素っ気ない口調で言い残して、例の焼きそばの屋台へ向かっていった。
「七海っち、キゲン悪いね」
「そうかな」
「デートを邪魔しちゃったからっしょ」
「デートではないよ」
「おじさんが無神経にも邪魔者を誘うからっしょ」
「無神経ではないよ」
「あ、おじさんなのは否定しないんだ」
中庭の中央は長机を並べた即席のフードコートになっている。その一角の空席に三ツ森と向かい合って座った。七海を待っている間の話題は、やはり七海についてだった。
「でもホントよかった、七海っち、こっちに残れて」
「自分のことのようにうれしそうだね」
「だって友達のことだし……、それに」
三ツ森は僕の目を見てニマニマと笑う。
「それに?」
「聞いたよー、おじさん。七海っちの親に直談判しに行ったんだって?」
「ドライブのついでだよ」
「フツー、バイト先の女子高生にそこまで肩入れしなくない?」
「普通ではないという自覚はあるよ」
「それって七海っちが特別ってこと?」
踏み込んだ質問だった。表情の硬さと、声の静かさと、視線のゆるぎなさが、これは真剣な質問だと告げている。
「普通ではないから特別だ、というのは気が早いよ。私のやったことは、ほんの少しのおせっかいだった。向こうの親御さんがノーと言えば、そこで終わってしまうような、ささやかな一押しだ」
「でもその一押しは、七海っちの運命を変えたよ」
運命。大げさであるし、口に出した瞬間に軽くなってしまうたぐいの言葉だと思うが、三ツ森は彼女なりに、よく考えたうえで使ったのだろう。友達を飾り立てるのにふさわしい、特別な言葉として選んだのだろう。
しかし、運命をもたらしたのが僕だと思うと、途端にその言葉は軽薄なものに聞こえてしまう。
「水渡さんが私を好きだとか、そういう話かな」
「やっぱ知ってたんだ」
「気づかざるを得ないというかね……」
「ラッキーじゃん、JKに愛されてさ」
「そう思っているように見えるかい」
「……だったら、アタシを昼メシに誘ったりしないよなー」
僕が三ツ森に声をかけたのは、七海と二人きりになるのを避けるためだった。そんな姑息な計算を彼女は理解している。三ツ森青葉は、表向きの言動から受ける印象よりも、ずっと聡い子のようだ。
「年下はムリってこと?」
「そんなことは……、いや、そうでもないのか」
「はっきりしねーなー」
「誰だって大人になる」
「話が飛んだんですけど?」
「私が水渡さんを助けたことで、特別だと思われてしまったのだとしたら、そんなものは勘違いなんだよ。大人が子供を助けるのは、普通のことだからね」
三ツ森は目をしばたいて、黙り込んだ。
十秒ほどが過ぎて、首をかしげながら口を開く。
「……同じ状況なら、長谷川さんじゃなくても、七海っちを助けてたってこと?
んで、七海っちは、長谷川さんじゃなくても、好きになってたってこと?」
「ああ」
ちゃんと名前覚えてるじゃないか。
「……おじさんってメンドクサイおじさんだったんだぁ」
三ツ森は顔をしかめる。戻ってしまった。
「アタシはわかんないなぁ、そういうの、運命の人なんて後づけっていうか、おじさんの言うように勘違いでもいいから、とりあえず合うか合わないか試してみたらって思うし」
「価値観の相違だ」
「ジェネレーションギャップじゃなくて?」
「なんでもかんでも歳のせいにされちゃ困るよ……、とは言えないか。年齢もその人の特徴だから、切り離すことなんてできない」
「やっぱりメンドクサイ……」
「なんの話をしてるんですか?」
大盛りの焼きそば3人前を抱えた七海が戻ってきた。
「運命とか、ジェネレーションギャップとか……」
「おじさんが若いころ見てたドラマの話してたの」
三ツ森はさらりと嘘をついた。実に用意がいい。彼女の位置からは七海が見えていたのだろう。
「ふーん」
「キムタクって昔から『ちょぉ、待てよ』って言ってたんだって、ウケるよねー」
「青葉のモノマネってほんと似てないよね」
それだけ聞いてどうでもよくなったのか、七海は焼きそばをテーブルに並べていく。大盛りを謳っていただけあって、パックからはみ出るほどに詰められている。輪ゴムを外すと勢いよくふたが開いて、湯気とソースの香りが広がった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「お邪魔虫はクールに去るので」
たわ言を抜かす三ツ森と別れて、校舎へと入っていく。最後に七海のクラスのクレープを食べて、本日は締めとする予定だった。
「話、弾んでましたね」
「世間話のレパートリーはそれなりにあるんだ」
「青葉って中学の頃、学校の先生ともだいたいケンカ腰だったのに」
「反抗期が終わっただけだろう」
「……なーんか、あたしに知られたくない話、してたんじゃないですか?」
二人きりになってから追及が厳しかったが、どうにか耐え忍んで、七海のクラスへとたどり着いた。
「帰ってから、きっちり聞かせてもらいますよ」
そう言って教室へ入っていく七海に、苦笑いで応じる。言い訳と口裏合わせが必要だなと考えていると、
「どうすんだよ? こんな余らせちゃって」
「今からでもがんばって焼けば……」
「それでさばける数じゃないってわかるだろ!」
七海が開けた生徒用の出入口から、切羽詰まったやり取りが聞こえてきた。その声のトーンだけで、だいたいの事情がわかってしまう。
教室に入らず、廊下で待機していると、すぐに難しい顔をした七海が出てきた。
「あ、長谷川さん……」
目が合うと、気まずそうに逸らすものの、またそっと見つめてくる。
「トラブル?」
「はい、その……、ちょっと相談に乗ってほしいんですけど」




