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ノスタルジィを感じながら

 久しぶりに訪れた母校は活気にあふれていた。


 ベニヤ板で作られたゲートをくぐり、人でごった返す中庭を歩いていく。色あざやかな模擬店の看板、今ひとつ羞恥心を捨てきれない呼び込みの声、そして高校生の象徴たる制服姿の若者たち。

 個々の催しにはさほど興味はないのだが、いい歳をした大人にとってはこの雰囲気こそがアトラクションである。自分にもこんな時代があったのだと、精神をタイムスリップさせるのに、ラベンダーの香りをかぐ必要すらない。


「長谷川さーん」


 昇降口の前に立つ女子生徒が手を振って僕を呼んでいる。七海だ。

 これから行くと連絡を入れたら、あたしが案内してあげます、と返事があった。


「お待たせ」

「ぜんぜん待ってませんよ」

「でもいいのかい?」

「何がですか?」


 七海は首をかしげる。言葉が足りなかったか。


「学校に好きな人がいるって言ってたじゃないか。その彼と一緒に回らなくていいの?」

「そんなこと言いましたっけ」


 七海は再び、こんどは反対方向に首をかしげる。


「ほら、洋美さんに直談判しに行ったときに……」

「ああ! あたしをさらってドライブに連れていってくれたときですね!」

「言葉選びに気をつけなさい」

「気をつけてますよ、チョー恣意的しいてきですよ」


 七海は声を出して笑う。文化祭の騒々しい空気に当てられたのだろうか。本人がいいというなら、これ以上しつこく確認することもない。


「じゃあ、お言葉に甘えて案内を頼もうかな」

「はい、どういう店がいいですか?」

「文化系の展示」

「ほとんど人がいないやつですよ」

「だからいいんじゃないか。写真や絵画の展示なら静かだろうし」

「確かに……、ゆっくりできていいかもしれませんね」

「ああ、でも、水渡さんが行きたいところでいいんだよ。無理に合わせなくても」

「いま興味が出てきました。行きましょう」


 七海はそう言って、さっさと進んでいく。

 向かう先は第二校舎。少子化のあおりを受けて空き教室が増えたせいで、今は文化部棟として使われているらしい。


 歩いていてふと、前を行く七海の背中が気になった。彼女の服装は長袖のTシャツにジャージなのだが、そのシャツは前後に『3年4組らぶらぶクレープ』というこっ恥ずかしいプリントがされているのだ。


「そのシャツはどうしたの」

「ああ、これですか」


 七海は首をひねって背中を見ながら苦笑いをする。


「クラスの団結力をアップさせるおそろいシャツですよ」

「まあそれ自体はよくあるやつだね」

「らぶらぶ、はセンセから取ったんです」

「古井河から? ……ああ、古井こいと愛か」


 クラスの出し物のネーミングに担任の本名を絡めるというのは、僕が学生だった頃にはあまり聞いたことがない。今はめずらしくもないのだろうか。ともかく、古井河が生徒に慕われているのだとわかり、少しうれしくなった。悲劇的なダサさもまた味があっていい。




 たどり着いた第二校舎はいかにも『取り壊し検討中』という感じの外観をしていた。コンクリートの外壁は積年の汚れで黒ずみ、窓枠も錆びついている。

 履物を替えて校舎に上がり、人どおりの少ない廊下を歩いていく。正門前の騒々しさが嘘のように静かで、スリッパの足音がよく響いた。


「懐かしいなぁ」

「長谷川さんの頃ってここで授業してたんですか?」

「それもあるけど……、あっちのいかにも文化祭っていう空気よりも、こっちの静けさのほうが学校って感じがしてね。授業中、というか」

「あっちは非日常ですもんね」


 しゃべりながら階段を上がる。その段差の不親切な高さや、手すりのプラスチック樹脂の不愛想な手触りにさえ、なつかしさを感じてしまう。年を取ったという体感はあっても、大人になったという実感は今ひとつだ。


「どうしたんですか?」


 隣で七海が上目遣いに尋ねてくる。


「どうって?」

「笑ってますけど」

「……ああ、いま思い出したんだけど、古井河はむかし文芸部だったんだよ」

「なんですか、二人の美しい思い出の話ですか」

「文芸部は毎年、文化祭に合わせて部誌を発行している」

「……あ、もしかして」


 七海がいたずらっぽく笑う。こちらの企みを理解してくれた顔だ。


「部誌のバックナンバーがあったら、センセのポエムが見れるかもしれませんね」

「さあ、学術的好奇心を満たしに行こうか」


 うすら笑いを浮かべたアラサーとJKが文芸部に迫る。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 写真部や美術部の展示が思いのほか興味深かったせいか、第二校舎を出る頃には正午を回っていた。


「そろそろお昼にしませんか」

「どこかおすすめの店はある?」

「どこも似たり寄ったりだと思いますよ」

「中庭に並んでいる店から適当に選べばいいか」


 そんな風に昼食のあてについて話していると、看板を掲げた男子生徒が声をかけてきた。


「そういうことなら2年2組の焼きそばはいかがっすか!? これ割引券っす! がっつり食べれて味もよし、肉も野菜もたっぷりの大盛り特濃ソース焼きそば、よろしくお願いしまっす!」


「ど、どーも……」


 威勢のいい声に押されて、七海は差し出された割引券を受け取った。


「ありがとうございまっす!」


 威勢のいいお辞儀をして、男子生徒は去っていった。僕たちがやってきた第二校舎の方へと向かうようだ。


「びっくりした、あたし大きな声を出す人って苦手なんですよ……」

「まあ、せっかくだし焼きそばにしようか」

「……ですね」

 割引券をかざしながら、節約家の七海は残念そうにつぶやく。

「20円引きかぁ……」


「こんな辺鄙へんぴなところまで営業をかけるなんて、かなり気合が入ってるね」

「ああいうことやってるのは、クラス対抗の売り上げ競争に命かけてる組だと思いますよ」

「そういう非公式なイベント、今もまだやってるのか」

「むしろアングラな雰囲気がある方が盛り上がってるくらいです」


 七海の言葉には若干の呆れが混じっていて、売り上げ競争以外にも非公式イベントが存在していることをうかがわせた。


「じゃあ、ミスコンなんかも?」

「バカバカしいですよね」

「手厳しいなぁ」


 確かにバカバカしいイベントかもしれないが、馬鹿をやることで得られる一体感もある。それまでほとんど交流のなかったクラスメイトとも、どの子がかわいいと思うか? なんて声をひそめて語り合ったら、意外と話が弾んでしまうものだ。


 もっとも、イベントが終わったあとで仲良くなれるのかというと、それはまた別の話である。長く続く友人はもちろん大切だが、すれ違いざまにハイタッチを交わしてそれきりという風な距離感の知人も、それはそれで悪くない。


 大した思い出などなかったはずの高校生活だが、それでも次から次へと当時の記憶がよみがえってくる。母校訪問というのは、同窓会よりもはるかにノスタルジィを刺激するものだと実感していると、


「おーい七海っちー」


 横合いから間延びした声が聞こえ、女の子が七海に駆け寄ってきた。


「久しぶりー、元気してた?」


 彼女は七海に抱き着くと、その肩越しにこちらを向いて、不審者を見るように目を細めた。


「……と、おじさん?」


 七海の中学時代の友人である、三ツ森青葉だった。

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