文化祭の朝
今朝の朝食は洋風にした。そちらの方が楽だからだ。
レタスをちぎって盛り付け、千切りにしたキャベツをその隣に、キュウリのスライスは上手く切れたものの、玉ねぎのスライスは少し厚くなってしまった。が、見なかったことにして、八等分にしたトマトを乗せていく。
やはり彼女のように手際よくはいかない。
散乱した野菜のくずをシンクへ寄せて落とした。
トースターに食パンをセットしてから、コンロに点火。フライパンに熱が通ったらベーコンを敷き詰める。焦げる音がしてきたら、かぶせるように卵を三つ、割り入れる。
水を少々入れてからふたをして、蒸し焼きにして待つことしばし。
「……あれぇ? 長谷川さん?」
ソファで眠っていた七海が目を覚ましたようだ。身体を起こしてまぶたをこすりながら、ぼんやりとした顔でこちらを見ている。
「ああ、おはよう水渡さん」
「何してるんですかぁ……」
「見てのとおり、朝食の準備だよ」
「あさごはん……、――はぁ!?」
七海はタオルケットをはねのけて立ち上がった。スマホを探しているのか、枕元のあたりをまさぐっている。が、見つからなかったのだろう、壁の時計を見上げて、
「あ、びっくりしたぁ……、まだぜんぜん早いじゃないですか」
「寝てていいよ。あと10分くらいなら大丈夫だろう」
「なんで長谷川さんが」
「なんでって、今日は文化祭じゃないか。二人とも忙しいだろうし、こういう日くらい代わるよ」
「……昨日はそんなこと言ってなかったのに」
「そうだったかな」
僕はしらばっくれつつふたを取る。湯気と熱気があふれだし、目玉焼きが姿を現す。白身にはつやがあり、黄身に型崩れはなし。ベーコンもいい焦げ色をしている。カリッとした歯ごたえが期待できそうだ。
七海はまだ半分寝ているような顔でこちらを見ていたが、
「じゃあ、あと10分だけ、ねてます……」
と舌足らずな口調で言いながら姿を消した。
その間にトーストも焼き上がる。料理を並べて朝食の準備を進めていると、今度は古井河がゾンビのようにノロノロとした動きで現れた。髪が長いうえにボリュームもある彼女は、全体的に頭部がもっさりとしている。
「おはよ……、長谷川君……、朝食、作ってくれてるのね……」
そのまま洗面所へと消えていく古井河。水音が聞こえ、止まり、ふたたび自分の部屋へ戻っていった。
しばらくすると、寝間着はそのままだが、顔や髪の毛だけはしゃんとした古井河がやってくる。テーブルに着く動作も生きた人間のそれだ。きちんと蘇生している。
「顔、見た?」
「え?」
「だから、さっきの、わたしの顔」
「眠そうにしてたね」
「あー……」
古井河はがくんとうなだれる。
「どうしたの急に」
「また見られた……、すっぴんを……、長谷川君がおかしな時間に起きてるから……」
「昨日話したじゃないか、朝食は僕が作るって」
「何かフォローないの」
「ハリもツヤもある瑞々しい肌だ」
「水渡さんと比べてどう?」
「それは12年後のあの子を持ってこないとフェアじゃない」
「なかなか上手い逃げ口上ね……」
古井河は残念そうに目を細める。それから、ふとリビングを見回して、
「……そういえば、水渡さんは?」
「そこのソファじゃないの?」
いつも七海が寝ているソファには、毛布があるだけで、肝心の中身はいなかった。他の心当たりといえばトイレくらいしかないが、それなら目の前を通っているはずで、さすがにそれを見落とすわけがない。
古井河はとつぜん立ち上がると、威圧的な速さで歩いていき、僕の部屋の戸を勢いよく引き開けた。いったい何ごとか。彼女に続いて、自分の部屋をうかがった。
そこにはベッドの上で布団に埋もれて、幸せそうに眠る七海の姿が。
「……どういうこと?」
「誤解だよ、順を追って説明するから」
「昨日の夜から?」
「そこまで遡らないよ」
僕はただひたすら静かに応じた。猛獣を刺激しないように細心の注意を払う飼育員のような気分である。
猛獣の檻の中にいるかのような緊張が高まるなか、猫があくびをしたような短い声を上げて、七海が目を覚ました。
「んー……、あ、センセ、おはようございます」
「おはよう、水渡さん。どうして長谷川君のベッドで眠っていたのか、説明してもらえるかしら」
「え?」
七海は何を聞かれているのかわからないといった様子で、目を丸くして周囲を見回していたが、やがて、ニヤリと口元を上げた。悪だくみを思いついた顔だった。
「そんなの、もちろん決まってるでしょ。男の人のベッドに、女の子がいる理由なんてぇ……」
「なるほど、寝ぼけて間違えたのね」
古井河はうなずいて回れ右をする。
話は終わった、という顔である。
「は、ちょ、センセ、何その反応! 全部わかってますって感じ!」
「早く朝食にしましょう。せっかく作ってくれたのに冷めちゃうわ」
「長谷川さんも何か言ってやってください、何かこう、意味深な言葉とか」
七海は古井河の背中を指さして無茶な頼みを振ってくる。
おそらく今の場合だと、小悪魔ぶってみせるよりも、恥じらいを見せた方が効果的だったのだろう。しかし、そんな危険な技を教えてしまえば、冗談で済まなくなる恐れがある。
「まだ寝ぼけているね、顔を洗ってきたら?」
食卓を囲むときはむすっとしていた七海だが、それも長くは続かない。トーストをかじり、サラダを咀嚼し、目玉焼きを黄身から先に箸でつまむ。さらに、食べるごとに、各メニューの問題点を挙げていった。
「サラダの玉ねぎ、ちょっと辛いです。水に晒してないですよね」
「ドレッシングで相殺しよう」
「キャベツも千切りっていうより六百切りくらいの幅だし」
「なかなか難しいね」
「……目玉焼きは、よくできてました」
「お褒めに与り光栄の至り」
後片付けや洗い物はすべて僕が引き受けることにしたが、七海にしてはめずらしく、文句ひとつ言わなかった。こちらに家事を任せることに、少しずつ抵抗がなくなってきているのだろうか。そうだとしたら、いい傾向である。
二人を見送って、洗い物を終わらせたところで、ふっと眠気が襲ってくる。
ここ数日の無理がたたったのだろう。文化祭を見に行くためにシフトを調整し、残業も増やしていた。おまけに昨夜は、持ち帰った仕事と明け方近くまで格闘していたのだ。もう無理ができる年齢ではないのだと、改めて思い知る。
それでも、女性たちの前で格好をつけるのは、悪い気分ではなかった。
スマホの目覚ましを10分おきに3つ設定してから、ベッドに倒れ込む。




