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敵を知り

 その日の放課後から、あたしは文化祭の準備に参加することになった。

 といっても、その時間の何割かは、沖君との話し合いで占められている。


 買い出しの名目で学校の外に出たとき、昨日の夜に先生から聞いた話を伝えた。


「そうか……」


 隣を歩く沖君は猫背になって落ち込んでしまった。表情に張りがなくなって、目は虚ろ。それでも思い出したように、


「いや、助かった。ありがとう」


 と下手くそな苦笑いで礼を言う。


「誰もいないんだから、強がる必要ないよ」

「水渡がいるじゃないか」


 沖君はびっくりするくらい自然にキザなセリフを吐いた。普通の男子がこの手のセリフを話すときは、もう少し照れがあって、キョドってしまうものなのに。沖君にはそれがなかった。


「そういうノリ、いいから」

「あ、そう?」

「胸焼けしそう」

「わかった、じゃあ止めとく」


 沖君は気を悪くした様子もなく、あっさりとうなずいた。どうやらキザなセリフだという自覚はあるらしい。


「いま付き合ってる相手がいないってわかっただけでも良かったんじゃない」

「だな。それにしても、こんな重めの話を聞き出せるなんて、やっぱり先生と仲いいだろ」


 この前はうやむやになっていた疑問を蒸し返してくる沖君。だけどあたしも言い訳を準備する時間はあった。


「夏休みに家庭の事情でいろいろあって、センセに相談に乗ってもらったから」


 こう言い張れば他人は踏み込みにくいし、それに何より、嘘はついていないので、こちらも堂々としていられる。ベストに近い言い訳だと思う。


「そうか……」


 沖君も、それなら仕方ないよな、と流す感じでうなずいた。


「古井河先生って、すごく親身になってくれるよな」

「まあ……、他の教師よりは、そうかも」

「だよな!?」


 沖君の声が大きくなって、目が見開かれた。昨日のこいつの狂態を思い出す。


「俺、元サッカー部だったんだけどさ、春先に部がゴタついて、チームがバラバラになりかけたときがあって。どうやってまとめりゃいいのか悩んでいたら、先生が声をかけてくれたんだ」


 沖君は深く静かに、そして熱っぽく語り出してしまった。


 話はちょっとまとまりがなくて、早口で、わかりにくかった。それでも、とにかく古井河先生のアドバイスに従ったおかげでサッカー部が団結を取り戻したこと、そして、それをきっかけに沖君は先生を好きになったのだということは理解できた。それくらいしかわからなかった。


 自分を助けてくれた人に好意を持つ、その気持ちはとてもよくわかる。

 あたしと同じとは言わないけど、近い性質の好意を抱えているのだ。


 それなら、信用できるかもしれない。


「付き合ってる人はいないって言ってたけど、狙ってるっぽい相手はいるよ」


 沖君の足が止まった。


「それって1年3組の担任の岸本?」

「違う」

「じゃあ2年2組の担任の後藤?」

「それも違う」

「まさかサッカー部の顧問の大谷か?」

「違う。ていうかどうしてその先生たちが出てくるの」


 沖君が一向に動き出さないから、あたしも立ち止まって振り返る。


「先生がそいつらとちょっと距離が近い感じで話してるのを見たことがある」


 仮にも教師をそいつら呼ばわりするクラスの人気者。


「沖君ってストーカーなの?」


「そうじゃない。たぶん無意識下の取捨選択ってやつだよ。興味のある情報は自然と目に留まりやすくなる。カラーバス効果とか、カクテルパーティ効果とか聞いたことない?」


「沖君は物知りね。でも、自分の変態性の言い訳に専門用語を使いだしたらそろそろ末期だと思う」


「水渡は言葉もきついんだな」

「言葉()って何」

「いや……」

「とにかく、うちの学校の教師陣は関係ないから」


 あたしは歩き出しながら、沖君が絶対に無視できない誘い文句を言った。


「その相手のところへ案内してあげる」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 スーパーマーケットにとっては忙しい夕方の時間帯、長谷川さんは大きな声であいさつをしつつ、店内をキビキビと歩き回っていた。並びが乱れた商品を見つけたら、ていねいに、だけど素早く整えていく。その合間にお客さんに呼びかけられると、笑顔をいっそう明るくして、やわらかい物腰で対応している。うん、今日も格好いい。


「あいつがそうなのか」


 沖君は鋭い目つきでつぶやく。ふだん教室で見せているようなさわやかさは消えてしまっていた。


「なんか、普通の人だな。古井河先生の相手っていうから、もっとこう、ITベンチャーの社長とか、やり手の人だと思ってたけど」

「やり手のイメージが貧困」

「……。やっぱり、敵を知らないとな」


 そんなことをつぶやいて、沖君は物陰から出た。


「ちょっとどうするの」

「どうせだから買い出しもここで済ませておこうと思ってさ」


 沖君は買い出し商品を書いたメモ用紙をひらひらとさせながら、長谷川さんへ向かって歩いていく。あたしは長谷川さんに見つからないよう姿を隠して、別の通路から回り込んだ。


「あのー、すいません」

「はい、いかがなされましたか」


 二人の声が聞こえてきて、あたしは足を止めた。顔を出しただけで見つかってしまいそうな距離だったので、その場で聞き耳を立てる。


「こういうのって置いてますか」

「はい、ございます。ご案内いたしましょうか」

「あ、いや、あとこっちのこれは……」

「んー、申し訳ございません、当店では取り扱っていない商品ですね」

「じゃあ、こういうのは」

「同じ商品ではないのですが、類似の品で価格もお買い得なものがございます。ご覧になられますか」

「あ、ええと、あと、すいません、これは」

「こちらは……、お客様、失礼ですが、文化祭でお使いになるのですか?」

「そうですけど」

「もし、まとまった量をご購入されるのでしたら、当店よりも、業務用の、飲食店の経営者向けのスーパーがありますので、そちらの方がお安くなりますよ」

「えっ、と、そうなんですか」


 長谷川さんはそこからも、具体的にいくらほど安くなるのかを説明したり、別のスーパーの場所を教えたりと手厚い接客をしていた。

 あたしは途中から、沖君に腹を立てていた。こんな忙しい時間帯に副店長の長谷川さんを何分も引き止めて、なんて邪魔な客だろう、と完全に店側の思考でイラついていた。


「さっきの、なんだったの」


 店の外で合流した沖君に問い詰める。


「ちょっと様子見をしただけだ」

「あんなつまらないことばっかり質問して、長谷川さんの手を煩わせるなんて」

「いや、客として普通だろ、あれくらい」

「普通じゃない、ややウザい寄りだった」

「え、そう?」

「そういうのに対応するのも仕事のうちだけど。で、どう思ったの」

「どうって」

「敵としては」


 沖君は少し考えてから、サッカーで例えた。


「ボールを回してるのはこっちなんだけど、守りが堅くて攻め込めない、みたいな……」

「さっきのやり取りは確かにそんな感じだったかも」

「でも、別の店を紹介するとか、商売として駄目だろ。オウンゴールじゃないのか」

「あれは、沖君はこの店の客じゃない、っていう判断だったのよ」

「なんだそれ」


 声のトーンを下げて不機嫌になる沖君。あたしも上手い言い方が浮かばないけれど、どう説明したものかと言葉を探す。


「うーん……、沖君が普通に買い物をしに来ただけだったら、たぶん長谷川さんは店にない商品でも、それに近いものをすすめたと思う。でも、今回は文化祭用のまとめ買いだってわかる買い方だったから、損になったらいけないって考えてくれたんじゃないかな。ほら、一応、クラスを代表して来てるわけだし」


 沖君はハッと目を丸くした。

 あたしは続ける。


「間違って無駄に高い買い物をしちゃったら、クラスに迷惑がかかるし」


 それに、恥をかくことにもなる。

 ――そこまでは言わなかったけど、たぶん沖君も気づいただろう。


 隣を歩く沖君は、視線を落として、相変わらずむすっとした顔つきだったけど、それはさっきまでの誰かを責めるような不機嫌さじゃなくて、自分の中で抱え込むような不機嫌さだった。


 その後、あたしたちは長谷川さんに教わった業務用スーパーへ向かい、いくつかの商品を予約で購入した。うちの店で買った場合と比べてみて、その差額に沖君はまた顔をしかめていた。




 学校までの帰り道に、ふと聞かれた。


「ところで、あの人と古井河先生ってどういう関係なんだ」

「同窓生だって」

「……ああ、よかった。婚活パーティで知り合ったとかじゃないんだな」

「センセってそんなに婚期で焦ってるイメージあるの?」

「あと、水渡との関係は?」

「バイト先の上司」

「そうか、あそこでバイトしてるのか」


 沖君は納得したという風にうなずく。


「あと、あたしの好きな人」


 そう付け加えると、しばらく返事はなくて、二人の足音だけがぱたぱたと沈黙を埋める。


「……枯れ専?」

「うるさい熟れ専」

「古井河先生はそういうんじゃねえから」

「長谷川さんだって枯れてないし」


 にらみ合って、ほんのちょっとの沈黙のあと、沖君が「あっ」と口を開けた。


「もしかして」

「何」

「水渡がいろいろ協力してくれるのって、俺と先生がくっつけば、水渡にとって都合がいいからだったんだな。利害の一致ってやつ」

「今さら気づいたの? ていうか、今まではどうしてだって思ってたの」

「いやぁ、そりゃあ、なあ?」


 沖君は気まずそうに目を逸らす。その態度でなんとなく察した。この男、あたしに好意を寄せられているとでも思っていたらしい。すごい自信だ。そういう経験が豊富だから、自然とそういう考え方になるのかもしれない。

 その上で平然としていたんだから、なかなかいい性格をしている。


「でも、わかったでしょ。あたしは沖君のことなんとも思ってないから、気にしなくていい」

「アッハイ……」

「こんなに協力してるんだから、がんばってよ。せめてセンセに爪痕くらい残して」

「散る前提かよ……」


 沖君はため息と同時に肩を落として、すぐに顔を上げる。大げさな仕草だ。


「でも、そろそろアクションを起こそうとは思ってるんだ」

「もしかして、後夜祭の?」

「ああ、伝説のキャンプファイヤー」


 そこでフォークダンスのパートナーに告白すれば、どんな不釣り合いな相手とでも結ばれる。いつからか、伯鳴高校の文化祭にはそんな伝説があるのだ。


 やる気のなかにほんの少し苦味が混じった表情を横目に、少し気分が沈んだ。

 散る前提、と沖君は言った。

 否定こそしなかったけど、昨日の先生の言葉を聞くかぎり、フラれる可能性は極めて高い。


 それでも、うらやましいと思ってしまうのだ。

 あたしは彼のように、想いを告げることは許されないから。

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