クラスメイト
その日の放課後、クラスメイトがぽつぽつと席を立っていくなか、あたしは座ったままスマホの画面をにらんでいた。正確には、『さんにんぐらし』の、長谷川さんからのメッセージを。
今日は帰りが遅くなるから夕飯はいらない、という内容だ。
あたし(と先生)を同居人にしてからの長谷川さんは、外食なんてほとんどしていない。だから今日も、誰かの歓送迎会とか、会社での付き合いなんだろうな、くらいにしか思わなかった。そこに文句を言うつもりも、筋合いも、権利も、あたしにはない。束縛する女とか、面倒くさいと思われるに決まってるし。
でも、古井河先生まで同じことを言いだしたのなら話は別だ。
五限のあとの休み時間、あたしは先生に廊下で呼び止められた。
「水渡さん、ちょっといいかしら」
「なんですかセンセ」
「今日は帰りが遅くなるから、わたしのぶんの晩ご飯はいらないわ」
「――センセも?」
「どうしたの? そんなに目を丸くして」
「……いーえ、なんでもないです」
「そう?」
「なんの用事かは知りませんけど、どうぞゆっくり楽しんできてください!」
……思い出しただけでむかむかしてくる。あのわざとらしい口ぶり。こっちの反応を面白がるような口元。絶対わかって言っているやつだ。
長谷川さんと古井河先生が口裏を合わせているのは間違いない。
仕事が終わったあと、二人でどこへ行くつもりなんだろう。お高い洋食レストランでオシャレなディナーを楽しむのだろうか。そのあと、部屋はもう取ってあるんだ、とか言って見晴らしのいい部屋へ上がったりするんだろうか。今夜はお楽しみなんだろうか。
「おーい、水渡?」
「……何」
近づいてきた男子生徒に、あたしは内心、面倒くさいなぁ、とため息をついた。
沖大志。サッカー部の元エースで、クラスの中心グループを形成している男子だ。顔がよくて人づきあいも面倒見もいい人気者。授業が終わったらすぐ帰ってしまうあたしにも、文化祭の準備を一緒にやろうぜと、何度も声をかけてきていた。
沖君はあたしの前の席に座ると、背もたれに肘を置いた。
「めずらしいな、放課後になっても残ってるなんて」
「大丈夫、もう帰るから」
「そんなこと言わずに、模擬店の準備、手伝ってくれよ」
「人なら足りてるでしょ」
あたしは沖君の、いかにも頼みごとに慣れた感じのお願いを突っぱねながら、鞄を持って立ち上がる。しかし彼は教室を出てからもついてきた。
「バイトしてるんだっけ」
「そうよ」今日は休みだけど。「あと、家の用事もやってるし」
「へえ、それは初耳だな」
「言いふらすようなことじゃないし」
「すごいな、毎日早く帰って家事をしてるなんて」
「別に」
「俺なんて自慢じゃないけど部屋の掃除だって親に任せっきりだったし。……あ、部活引退してからは、さすがに自分でやってるけど」
「あたしは自分の部屋の掃除はしてないけど」
自分の部屋がないから、なんて自虐ができるほど、沖君との距離は近くない。
階段を下りても、足音はついてくる。
かなり速足で歩いたけれど、さすがに元運動部の足は振り切れなかった。1階まで下りて、昇降口の下駄箱でいちど立ち止まらないといけない。結局そこで並ばれてしまう。
「……いくら頼まれても、あたしは」
「水渡って、古井河先生と仲いいだろ」
前かがみになって上履きを取ろうとする、中途半端な格好で固まってしまった。
まず考えたのは、三人ぐらしがバレたのではないか、ということだった。あたしと古井河先生が一緒にあの部屋へ入るところを見られたのだろうか。どうしよう、どう答えたら疑われないだろうか。考えがまとまらない。
上履きを取って下駄箱へ入れて、代わりにローファーを床へ落とす。
「……別に、あの先生、誰にでもやさしいでしょ」
「まーそうなんだけどさ」
もしかしたら沖君は、長谷川さんのことも知っているかもしれない。
女子高生を部屋に住まわせている社会人男性。この一文だけで、長谷川さんが変な眼で見られてしまう。古井河先生も一緒だからやましいことはない、なんて言えない。教師と生徒が一緒に暮らしているのも、マトモではないのだから。先生の立場まで悪くしてしまう。
あたしは沖君を横目で見た。彼はさわやか面の口元をニヤリとつり上げて、意味深な笑いを浮かべている。お前の秘密を知っているぞ、言いふらされたくなければ言うことを聞けよ。そういう顔に見えた。
あたしはどんな扱いを受けるのだろう。
俺と付き合え、などと要求されるかもしれない。
彼がやたらとあたしに付きまとうのも、それが目的だったのだろうか。
自慢するわけではないけれど、あたしの容姿は悪くない。目つきはちょっとキツめで男受けするタイプじゃないけど――不慣れな小悪魔ぶってみても長谷川さんを落とせないのは、きっとそのせいだ――十人中八人くらいからは、綺麗という印象を持たれる外見だと思っている。
「でも最近は特に先生、水渡と距離が近くなってると思うんだよなー」
「知らない」
「いい意味で雑っていうかさ」
「沖君がそう思ってるだけでしょ」
「2学期が始まってからだ」
あたしの前に回り込んで、帰り道をふさがれる。
「1学期と2学期を比較して、うちのクラスの生徒と古井河先生の距離感って、みんなだいたい変わってないんだ。先生は生徒の個性に合わせて、分け隔てなく接してる」
「だったらいいじゃない」
右端を通ろうとすると、沖君も右へ寄った。
「そのなかで、水渡だけが、2学期になって急に先生と親しくなってるんだよ。明らかに近くなった。さっきの休み時間も廊下で何か言い合いしてただろ」
あれも見られていたなんて、目ざとい男。
「……あれは、むしろ険悪だったと思うけど」
「でも先生の方は子供の我がままを見守ってるみたいな、余裕の顔だったぜ」
「高三にもなったら、先生とケンカ腰になったりしないし」
左端を通ろうとすると、沖君も左へ寄った。
「確かに、そういうのは嫌いな相手じゃなくて、わがままを押し付けられる相手としかやらない」
「具体的にどういう相手?」
「そうだな……、友達とか?」
「恋人じゃないのね」
「そりゃ……、恋人には格好つけたいだろ」
「ふーん、男子はそういう考えなんだ」
「女子は違うのか?」
「あたしは……」
長谷川さんを思い浮かべて、それをすぐに振り払う。
「あたしのことはどうでもいいでしょ」
「そうだな、で、古井河先生とはどうなんだよ。変化のきっかけがあるとしたら、時期的に夏休みくらいしか考えられない。何かあったんじゃないのか?」
沖君はしつこくあたしたちの関係を問い詰めてくる。しかも精度が高いのがやっかいだ。
「……ここじゃ話しづらいから」
まだ生徒の多い昇降口で立ち話をしていたら、それだけで目立ってしまう。あたしは靴を履いて外に出て、校庭の隅へと移動した。
「夏休みに先生とは会わないでしょ、あたしは夏期講習も受けてないし」
「……それは学校での話だろ。学校の外ならどうだ?」
この話の振り方からして、沖君はやはり何かをつかんでいる。だけど、その情報が確実ではないから、あたしに言わせようとしているのだ。そうに違いない。
「外で偶然、先生と顔を合わせることがあったとしても、それだけで仲良くなるわけないじゃない」
「家族ぐるみの付き合いならどうだ?」
――それはわたしたちの三人ぐらしのことを言っているのだろうか。
あの奇妙な同居は確かに家族と言えないこともないけれど、
「……やっぱり、そうなんだな」
あたしの沈黙をイエスと受け取ったのか、沖君はじりじりと近づいてくる。校庭の端へ移動したのが災いして、あたしは追い詰められていた。
校舎の壁と敷地を囲む塀で、逃げ道が制限されている。それに、あたしが全力で走ったところで、沖君からは逃げられないだろう。
「……結婚、するんだろ」
沖君が空っぽの声で言った。
「――は?」
「先生はもうすぐ結婚する予定で、その相手が水渡の親族だったんだ」
思わぬ方向から飛んできた、まったく新しい妄想を、あたしは上手く受け止められなかった。
「何を言ってるの」
「お互いの親族を交えた顔合わせが夏休みにあって、その場で教師と教え子がばったり――そういうことなんだろ」
「違う」
「……本当に?」
「うん」
「…………本当に?」
沖君の目には涙がたまっていた。うわ……。
「嘘ついてどうするのよ」
「じゃ、じゃあ……、先生は結婚するわけじゃないんだな」
「少なくともあたしは知らない。ぜんぶ沖君の妄想よ」
そう言ってやると、沖君は気が抜けたのか、ふらりとその場にしゃがみ込んだ。
「……そうか、よかった……。三十路手前で焦って入籍しようとする先生はいなかったんだな……」
このイケメン、何を言ってるんだろう……。美容院でカットしてもらったに違いないサラサラの頭頂部を見下ろしながら、あたしはひたすらに戸惑っていた。
「ねえ沖君、まさかとは思うけど」
そして、ある予感を抱き、それをそのまま口にする。
「古井河先生のこと、好きなの?」




