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保護者の心配


 夕食を終えて洗い物も済ませると、おのおの寝るまでは自由に過ごす時間帯である。ただし、風呂に入る順番だけはいつの間にか固定されていた。


 七海が風呂場に消えると、湯上りの火照った身体を冷ましていた古井河が手招きをする。僕は呼ばれるがままにテーブルへ。向かいの席に腰を下ろすと、彼女はさっそく口を開いた。


「さっきのあれ、どういうつもりなの」

「なんのことかな」

「水渡さんと二人して、キッチンでいちゃいちゃしてたでしょ」


 古井河は人差し指でテーブルをトントンと叩きながら言った。苛立っているときの彼女は、全体的に動作がせわしなくなる。


「夕食を作ろうとしたけど、何もさせてもらえなかったんだよ」

「だから所在なさげに鍋をかき回してたの?」

「不甲斐ないとは思ってるよ」

「どうして急にそんなことを?」


 古井河は足を組み直して聞いてくる。少し落ち着いてくれたようだ。


「今、高校は文化祭の準備期間だろう。それなのに、水渡さんはずいぶん帰りが早い。受験勉強をするわけじゃなく、ただ家事をするために、まっすぐ帰ってきている」


 その説明だけで古井河はこちらの考えを察してくれた。


「長谷川君は、あの子が高校生活を満喫できるように、夕食の準備を代わってあげようとしたのね」

「ああ」

「あのね、長谷川君。そういうの、なんていうか知ってる?」

「え? ……クッキングパパ?」

「マッチポンプよ」


 古井河はテーブルの下で僕のすねを蹴った。


「劇的に助けられて、膨れ上がった水渡さんのこい――敬意とか謝意を、今さら押さえ込もうとするなんて、自作自演以外の何ものでもないでしょ」


「そのようなつもりは全くありませんが、こちらの意図とは違う印象を与えてしまったのであれば、慎んでお詫び申し上げます」


 僕は頭を下げた。

 たしかに古井河の言うとおりである。

 七海を住まわせる対価として、家事を肩代わりしてもらう。それはあくまで、彼女の母親である洋美さんを納得させるための方便だった。

 ところが七海は、僕の思っていた以上に、家事を任されているという立場にプライドを持っているようなのだ。


「それで、どうやって説得するの?」


 七海には家事よりも、残り少ない高校生活を優先して、楽しんでほしいと思っている。その一方で、高校生活は楽しいものである、という価値観の押し付けになってしまわないかと心配もしていた。

 だから、知りたいのは彼女の本心だ。

 本当は文化祭に興味があるのに、僕たちに遠慮して言い出せないでいるのだとしたら、保護者としてはつらいところだ。


 ――そういう話をすると、古井河はくすくすと笑った。


「長谷川君にとって、あの子はあくまで保護する対象なのね」

「おかしいかな」

「いいえ?」


 そう言いつつも古井河は笑い続けている。口元の艶ぼくろがかすかに動いた。


「担任としての意見を言わせてもらえば、家事の手伝いも、それによって恩を返すのも、あとからできることなんだから、今しかできない文化祭を優先してほしいんだけど」

「水渡さんのクラスでの様子は?」

「とっつきにくい美少女、という感じね」

「浮いている?」

「大丈夫よ。〝独り〟は悪いことでも弱いことでもない――そういう価値観がクラスに浸透しているから」


 こともなげに古井河は言う。その考え方は、世間一般に受け入れられつつあるものではあるが、それ以上に、クラス担任としての教育成果でもあるのだろう。


「ただ、非協力的なのはあまり好ましくないんじゃないかな」

「イベントが絡むと、確かにねぇ」

「水渡さんが素直に話を聞いてくれるかどうか」

「あの子、なかなか頑固なところがあるものね」


 七海には今までにも何度か、家事はよりも学校を優先していいと伝えているのだが、それに対する彼女の言い分はこうだ。


『授業は真面目に受けてます。放課後はあたしが好きに使う権利がありますよね』


「ここはやっぱり、相手を変える前に、こちらが変わらないと」

「料理以外に何かあるの?」

「ほかの家事にも手を出して、水渡さんの負担を減らすというのはどうだろう」

「他の家事って」

「まあ、掃除くらいしか思い浮かばないんだけど」


 洗濯については、物理的にも心理的にも非常にデリケートな問題なのでノータッチである。

 こちらの提案をどう受け取ったのか、古井河は足を組み直して目を逸らした。


「古井河?」

「……掃除は、ほら、みんなプライベートな空間もあるし、あまり踏み込まない方がいいんじゃないかしら」

「どうしたんだい、急に消極的になって」

「そ、そんなことないわよ。えーと……、そう! たまには外に目を向けてみるのもいいんじゃないかしら。外に」


 激しく目を泳がせつつ、あわてた声で奇妙な提案をしてくる。


「外?」

「水渡さんにおいとまを与えるのよ」

「それを彼女が受け取ってくれないのが問題なのに?」

「逆よ。外へ出るのは、わたしたち」


 古井河は何かを取り繕うように姿勢を正すと、ゆったりとした動作で頬杖をついた。すでに先ほどの焦りは消えている。見事な外面のコントロール。


 上目遣いの挑発的な視線をこちらに向けて、古井河は言った。


「明日の夜はデートをしましょう」

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