終了条件
「ちょっといいかしら」
その日、夕食を食べ終えた直後のことだ。
古井河はひと声で僕たちの注目を集めると、おもむろに両肘をテーブルの上に置いた。両手の指を絡めて台座を作って、形の良いあごを乗せる。
「話があるの」
「それより先に洗い物を済ませてから」
七海は自分の食器を重ねて持って立ち上がる。
「え? あの、水渡さん? 先生けっこう、重要な話っぽい雰囲気出してたつもりなんだけど……」
「油汚れは時間が経つにつれて落ちにくくなるの。今ならまだ簡単に洗い流せるんだから」
「あ、そ、そう……、そうね、洗剤の使用量が少ないに越したことはないわ……」
古井河は引き下がった。
テーブルに乗せていた腕を下ろし、ふて腐れた顔でスマートフォンを操作していた。
そして、十数分後。
「センセ、お待たせ」
洗い物を終えた七海が戻ってくる。
古井河は、十数分前のやり取りなどなかったかのように、テーブルに両肘を置いた。
「話があるの」
「話?」
「ええ……、とても大切な話」
「センセ、なんでそんな勿体つけるの」
七海の身もふたもない質問に、古井河は一瞬だけ口元を引きつらせた。
しかし、すぐに平静をよそおい、厳かに告げる。
「……内容は、この三人ぐらしの、終了条件についてよ」
しん、とリビングが静まり返った。
期待どおりの反応に満足したのか、古井河はニヤリと口元を上げる。
「三人ぐらしの終了って……、あたしが卒業するまでじゃないの?」
「それはあくまで万事順調に行った場合よ。いい? 水渡さん。この三人ぐらしは、そもそも不安定なものだってこと、自覚しておいて」
古井河の忠告に、七海は不満げに口元を結ぶ。
相手の言葉があまりに正論すぎて、反論のひとつも返せずにいる女子高生に代わって、僕が話の先をうながす。
「で、古井河の言う条件というのは?」
「まず、親御さんの気が変わって、水渡さんが帰らなきゃならなくなった場合は除外しておいて」
「ああ、そうなったら本当に即終了だ」
「じゃあ、まず……」
古井河は僕と七海を順番に見やり、人差し指を立てる。
「一つ目。三人のうち誰かが、この生活を嫌になった場合」
僕はうなずきを返した。
僕たちは本音も建前もひとまとめにして、それぞれが、自分の願望のために、この生活を選んだのだ。仮に、願望を上回る嫌悪感が発生してしまうのなら、三人ぐらしという形をとっている意味がない。
「あたしはそんなことないと思うけど」
七海は相変わらず口をとがらせている。
古井河は僕と七海を順番に見やり、中指も立てた。ピースサインになる。
「二つ目。この生活のせいで、仕事に支障をきたすようになった場合」
僕はうなずきを返す。
仕事に支障をきたすということは、僕たち三人以外の他人に迷惑をかけるということだ。そうまでして、三人ぐらしを続けることなどできない。当然の条件といえた。
「あたしの場合は、バイトより学業を重視ですよね」
と七海。こちらに残った理由を考えれば当たり前ではあるが、きちんと自覚しているようで何よりである。
古井河は僕と七海を順番に見やり、最後に薬指を立てた。
「三つ目。三人のあいだで恋愛感情の表明があった場合」
僕はうなずきを返す。
三人のうち二人が恋人関係になってしまうと、残されたひとりが非常に気まずい思いをすることになる。それは一つ目の条件とも重複するものだ。常識的に考えて、余り者は部屋を出なければなるまい。そもそもこの三人ぐらし自体が非常識なのだが、だからといって常識を捨てていいわけではない。
「はい、センセ」
と七海が授業中のように右手を挙げた。
「恋愛感情の表明って、なんか回りくどい言い方だけど、要するにどういうこと?」
「告白したら負けということよ」
「じゃあ告らなければ何してもいいんだ」
「……いったい何をするつもりなのかしら?」
「うーふーふー」
七海はニマニマと笑いながら口元を隠す。
「……長谷川君?」
女教師古井河の矛先がこちらに向けられる。
「わかってるでしょうね」
古井河は三人ぐらしの当初から、僕が七海に対して間違いを起こさないようにと、たびたび警告をよこしてきた。
しかし、今回の警告は、今までになくシンプルで鋭かった。
「……ああ、今、思い出したんだけど」
居心地の悪さをごまかすために、強引に話を変えた。
「水渡さんは、学校に仲のいい友達がいるし、好きな相手もいるみたいだから、その点は大丈夫じゃないかな」
古井河の視線は鋭いままだ。
「本当に?」
「ああ、こちらに残りたい理由として、お母さんの前ではっきり言っていたよ。……どうしたの古井河、自分の見立てが間違っていたからって、おかしな顔をして」
古井河はなぜか近視の人みたいに目を細め、眉根を寄せた妙な顔で僕を見ている。
「失礼なやつだなあ。ねえ、水渡さん。……水渡さん?」
返事がないので振り向くと、七海も同じような顔でこちらを見ていた。




