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自覚

 待ち合わせ場所は、青葉の家からほど近い公園だった。


 喫茶店とかファミレスは「いちおー謹慎中キンシンチューだから」という理由で避けたのだ。


 おかげで暑くてしょうがない。日陰のベンチにいても風は生ぬるいし、セミの鳴き声はホントやかましいし。


「おはよー七海っち」


 十五分も遅れてきた青葉は、悪びれることなく笑いながらあたしの隣に座る。


「んで、なんの用?」


「謝りたくて。中学の頃、進学先をずっと黙ってたこと」


「今さらだよ」


 青葉の切り返しは早かった。その一言はあたしの心に鋭く入り込む。


 自分でも今さらだと思うし、しかもその理由は、長谷川さんに言われたとおり、あたしの心の中の引っ掛かりを解消したいがためのものだ。つまり、自分のために謝っている。


 人の気持ちにさとい青葉には、とっくに気づかれていて、そこをまたネチネチと突かれるかもしれない。そう思って身構えていたけど、聞かれたのはまるで違うことだった。


「あのおじさん……なんだっけ、店長になんか言われたの?」


「え? 店長って……」


 あたしは戸惑う。だってあたしに店長との接点はほとんどないのだ。だけどそれは青葉も同じはずだから……、たぶん、彼女の勘違いだ。


「ああ、長谷川さんは副店長だよ」


「ふーん、あのおじさん、長谷川さんっていうのか」


「長谷川さんがどうかしたの?」


「万引きで捕まったとき、ちょっとねー」


 青葉は数日前の、長谷川さんとのやり取りを話してくれた。

 万引きで捕まったときの話をしているのに、その横顔は心なしか楽しそうに見える。


「……そんなこと言ってたんだ、長谷川さん」


「ちょっとおかしいよねぇ、あの人」


「独特な視点から世界を見据える慧眼けいがんの持ち主なの」


「イミフ。あと、ニコニコしてたと思ったら急にキレるし」


「あたしのために、怒ってくれたんだ……」


「なんで喜んでるし」


 青葉はじっとこちらをのぞき込んでくる。


「まさかまさかと思うけど、七海っちまさかあのおじさん好きなん?」

「ふぇ? ……うん」


 自分でもつい数日前に自覚した――もしくは発生したその感情を、いきなり言い当てられて驚いたけど、あたしは素直にうなずいていた。


「そっかー、七海っちまさかのおじ専だったかー、そりゃ中学のとき男っ気なかったはずだわー」


「おじ専って……、ていうかあの頃はそもそも、異性として見られる男子がほぼ皆無だったし……」


「でも男どもは七海っち狙ってるやつ結構いたよ」


「え、マジで」


「マジで」


「うわぁ……」


 周囲からそういう目で見られていたのだと、今になって知らされても、あまりいい気分はしなかった。当時の自分が男子からの視線に無頓着むとんちゃくだったことに、軽い恐怖心を覚えてしまう。


「でもさ、七海っち転校するじゃん」

「うん……」

「じゃどうすんの、思いの丈を伝えちゃう系? 『最後に思い出をください』とか言っちゃう系?」


 ドラマか何かの声真似だろうか、青葉の言い方がおかしくて、あたしはつい吹き出してしまった。そのあと、ふっと寂しさが押し寄せてくる。


 あたしは夏休みが終わってもこの街に残りたい。それが難しいのは自覚しているけど、改めて最後と言われてしまうと、ちょっと途方に暮れてしまう。


「どうしようかな……」


 なんてつぶやきつつも、この気持ちを伝えられないのはわかっている。はっきり言葉にした瞬間に、あたしはあの部屋にいられなくなってしまう。


 仮に同居してなかったとしても、今はまだ動けない。

 なにしろ現状、あたしは異性とすら認識されていないのだ。


 例えば、長谷川さんは、自分のベッドにあたしを寝かせていることを、ぜんぜん意識していない。

勇気をふり絞って、匂いが落ち着かないって言ってみても、加齢臭のことだと勘違いしてショックを受けちゃうし。鈍感系って直面すると本当にキツい。


 意中の相手が暖簾のれんに腕押し状態というだけでもつらいのに、古井河先生という強大な敵がひかえている現実が、さらにあたしを焦らせる。


 二つの意味で勝ち目のない戦いを挑んで、一回戦敗退するくらいなら、遠くから様子を見た方がいい。そして二人の距離が近づきそうなときは、さりげなく邪魔をしてやるのだ。


「恋、しちゃってるねぇ」


 くすくすと青葉が笑っている。

 それはここ最近の、敵意が混じった刺すような笑いではなく、後輩を見守る先輩のような、温かい笑みだった。少なくとも、あたしはそう感じた。


「あ……、青葉はもう、あたしのこと、怒ってないの?」


「んー、まあ、もう過ぎたことだし? それに、捕まったときにあのおじさんと話してたら、なんか気が抜けちゃったっていうか、イラついてたのがバカらしくなったっていうか」


「やっぱりイラついてたんだ……」


「だーかーらー、今は違うし。ていうか七海っちはどーなの」


 あたしは、怒ってなんていない。

 最初から青葉への怒りなんてないのだ。

 ただ怖かっただけ。


 自分が青葉にどう思われているのかを考えると怖かった。それは青葉に敵意を向けられる怖さだけじゃなくて、青葉との記憶が、昔の罪とセットだったからかもしれない。


 罪の方はなくならないけど、青葉の気持ちは分かったから、今はもう大丈夫。


「あたしは、大丈夫」


「そっか、よかったぁ。でも……」


「でも?」


「やっと七海っちと恋バナできると思ってたけど、うちとはもう、会わない方がいいね」


 その突き放すような言い方に、ドキリとする。


「ほら、七海っちも知ってのとおり、うちのオトモダチは物騒ブッソーだから」


 青葉はスマホの画面をこちらへ向けた。メッセージアプリには、男からのメッセージがずらずらと並んでいる。謹慎なんてどうでもいいから遊ぼうぜ、という内容だった。青葉を捕まえたやつに仕返ししようぜ、と冗談交じりで書いている者もいた。


 長谷川さんが心配していたのを思い出す。

 青葉に危険性はないとしても、その周りの人間となると話が別だと、もしかしたら、長谷川さんはそこまで見越していたのかもしれない。


「コージなんか明らかに七海っちを狙ってたし」


「コージ?」


「ほら、この前さ、うちがその、七海っちを部屋へ案内したでしょ? そのときいた男連中のひとり。中学の頃から七海っちのこと気に入ってたみたいで、ああいう気が強くてお利口そーな女が好きなんだ、とか言ってたから」


 気が強くてお利口そうな女。

 怖気おぞけのする品評だ。

 屈服させるのが楽しみだ、という意味にしか取れなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 後ろ髪を引かれるような気持ちで青葉と別れた。


 青葉にどう思われているのか? という、ひとつの〝怖い〟は大丈夫になったけれど、それでも、怖いことはまただくさんある。


 三人での暮らしが終わることを考えたら怖いし、

 長谷川さんと古井河先生がくっつくことを考えても怖いし、

 自分の気持ちが長谷川さんに受け入れられなかったらと考えるのも怖い。


 だけど、不安だらけのあの場所が、あたしにとっていちばん安らげるのも事実で。


 アパートへ帰りつくと、帰り道のふわふわした気分を押しとどめて深呼吸。

 合鍵で扉を開ける。


 玄関には古井河先生の靴があったけれど、ただいま、と声をかけても返事がない。

 また自分の部屋でゲームに熱中しているのだろうか。深く考えずにリビングに入ると、先生は部屋の真ん中に立っていた。

 その足元には、宿泊用のボストンバッグも。


 あいさつに反応がなかったのは、ちょうど電話中だったせいだ。こちらに背を向け、耳元にスマホを当てて、通話を続けている。


「うん、そう……、大丈夫だから。トラブルって言っても大したことないの。でも、連絡が遅れたのは悪かったと思ってる。うん、うん……、わかってる、今日中に帰るわ」

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