七海の友人
年末をハワイで過ごす芸能人みたいな変装をした古井河先生に、副店長が声をかけていた。二言三言、注意されて、トボトボと店を出ていく先生の様子を眺めていると、同じように見送っていた榊原主任と目が合った。
『なんかウチの元担任がすみません』という気持ちを込めて軽く頭を下げると、『あんたの気にすることじゃないさ』って感じで、軽く首を振って応えてくれた。
先生は少しはしゃいでいると思う。
昨日きいたときは誤魔化されたけど、やっぱり、あたしの世話をするふりをして、副店長との距離を詰めようとしている気がする。
三十路だからって焦ってるんじゃないだろうか。先生なら副店長みたいな冴えない人じゃなくて、いくらでもいい相手を選べると思うんだけど。
「あれ、水渡さん」
学校がらみのことを考えていると、あたしのレジに高校のクラスメイトがやってきた。ジャージ姿にスポーツバッグを担いでいる。カゴの中身はスポーツドリンクとパンがいくつか。
「ここでバイトしてたんだ」
「これから部活?」
「うん、行くだけでへとへと」
「がんばってね」
「ん、ありがと」
短いやり取りを交わしている間にレジ打ちを終える。カードで支払いを終えた彼女は、最後に「じゃ、またね」と言って店を出ていった。
あたしが転校することを、あの子は知らない。
学校側に頼んで生徒には伏せてもらっている。元から別れを惜しむような親しい友人はいなかったし、学期末になって急に、あたしのために何かをしなければ、なんて気を遣わせるのも申し訳なかった。
それに、場のノリで送別会が開かれる流れになっても面倒だ。たいして親しくもないクラスメイトたちと、上辺だけの別れを惜しむ。そんな心にもないイベントをこなすのは嫌だった。
だから黙っていなくなるのだ。
JKは死なず、ただ消え去るのみ――なんて冗談が出てくるあたり、浮かれているのは先生だけじゃないのかもしれない。
ただ、こっちの出会いは予想外だった。
バイトの時間が終わって、裏へ引っ込もうと通路を歩いていたら、正面からお客さんがやってきた。あたしから見てもかなり短めのスカートと、きつめに脱色した髪の毛、他校の制服。
軽く会釈をしつつ通り過ぎようとしたら、
「七海っち、元気してる?」
そんな馴れ馴れしい呼び方に、悪寒を感じて立ち止まる。
「……青葉」
三ツ森青葉。中学時代の友人だった。
高校が別々になってからは疎遠になっていて、再会したのは、夏休みが始まってすぐのことだ。本当に偶然に、ショッピングモールでばったりと出会った。
始めはぎこちなかったけど、青葉の方からいろいろ話しかけてくれて、昔みたいな気安いノリが戻ってきて――だからうっかり、しゃべってしまった。
転校することや、向こうへ行きたくないこと、せめて夏休み中だけでもこちらに残りたいと思っていること。そんな弱みをこぼしてしまったのだ。
じゃあウチへ来たら?
青葉はそう言ってくれて、あたしもそれに甘えるつもりになっていた。
途中までは。
青葉の言う〝ウチ〟というのは彼女の家ではなかった。男友達の部屋――アパートの一室の、たまり場のようなところだったのだ。あたしは怖くなって、半ば逃げるようにして、彼女の誘いを振りほどいた。
そんな経緯があるから、この再会をとても気まずく思っているのに、青葉はあたしとは逆に、楽しそうな、ちょっとへらへらした笑顔のまま話しかけてくる。
「泊まるとこがないって言ってたけど、大丈夫? どこ泊まってんの? ネカフェ? もしかして知らないオッサンの部屋とか? ……なーんて優等生の七海っちがそんなわけないか」
「え――?」
おどろいて、思わず意味のないつぶやきがこぼれる。
青葉の話には違和感があった。
ううん、正確には、ずっと感じていた違和感の答えを、彼女の言葉の中に見つけて、その唐突さにびっくりしたのだ。
泊まる場所に困っているという話は、青葉にしかしていない。
なのにどうしてそれが古井河先生に――学校側に伝わっていたのか。
「うちの学校に密告ったの?」
「あー、その荒っぽい言葉とかいい感じ、中学の頃みたいで好きだよ」
「答えて」
「だぁって、昔の友達が危ない目に遭ってたらどうしようって、心配で心配で……」
青葉は目元をぬぐうわざとらしい仕草のあと、パッと顔を上げる。
「でも無事みたいでよかった」
「うん、あたしは大丈夫」
――だからもう関わらないで、と心の中で決別しながら、青葉の横を通り抜けようとする。
が、彼女のある動作が目について、足を止めた。
「ちょっと、青葉」
「ん? なーに?」
「そういうの、もう、やめよう?」
「そういうのって?」
「だから……」
「別にいいじゃん、こんなにたくさん並んでるんだし、一個くらい減ったって」
「そういう問題じゃ――」
こちらのセリフを押し止めるように、青葉が一歩踏み込んでくる。
「昔は七海っちもやってたくせに、ホント、学校が変わるとキャラも変わるの?」
青葉の面白がるような瞳から、あたしは目を逸らしてしまう。
悪いことをしているのは彼女の方で、あたしはそれを注意しているというのに、態度はまるで正反対だった。
罪悪感という重しが、あたしの背筋を曲げている。
それでも、せめて青葉より先に逃げ出さないように、この場で踏みとどまった。
ほんの数秒のにらみ合いが、とても長く感じる。
昼のピークタイムが終わった店内は、外の猛暑とも相まってお客さんはまばらで、あたしたちのいる通路には誰も入ってこない。店内放送のオルゴールアレンジされた流行歌がゆるやかに流れている――その音楽にかぶせるように、
「いらっしゃいませー」
と大きなあいさつの声が聞こえてきた。
副店長がお昼の休憩から帰ってきたのだ。午後一番はいつも店内をあいさつしながら巡回している。
部屋にいるときは未調律のギターみたいに張りのない声のくせに、お店であいさつをする声はすごく元気がいい。
これまであたしは、その落差を誇張されたコントのように感じていたけど、今は不覚にも、頼もしいと思ってしまう。
邪魔が入った、とばかりに青葉は肩をすくめて、カバンに入れようとしていたスナック菓子を棚へ戻した。
「また様子見に来るね、トモダチが心配だし」
軽薄に笑いながら遠ざかっていく青葉と入れ替わりで、副店長の呑気な声。
「いらっしゃいませー……、おや水渡さん、もう上がりの時間じゃなかったかな」
なんにも知らない平和な顔を見て、身体から力が抜けた。それであたしは自分が緊張していたことに気づく。
「ん? 水渡さん?」
副店長がまばたきをする。
あたしは、おかしな態度をしていただろうか。
目の前の相手がぎこちないときって、自分の側に理由があることも多い。あたしが違和感を感じさせる態度をしているから、向こうもおや? と首をかしげてしまうのだ。
すぐに笑顔を作って上目遣いをする。
斜め上の視線の先の、副店長の顔に狙いを定めて。
「副店長の顔を見たくて残ってたんです」
「小悪魔っぷりに磨きがかかっている……」
「センセと何を話してたのか、あとで教えてくださいね」
お先です、と片手を振って遠ざかる。
小悪魔らしく、自分の事情は見せないように。




