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核心を晒す

「さ、答えて」


 古井河の目を見て、これはうやむやにできない質問だと理解する。


「チャンスだと思ったんだ」


 反射的に口にした言葉は、なかなか誤解を招きそうな単語だった。


「チャンス? 不運に見舞われたわたしと、若さゆえの過ちで飛び出した水渡さんをセットにして、そんな風に考えるのね」


 案の定、古井河は目を細めて皮肉げな物言いをする。

 だが、気にせず話をつづけた。


「僕たちもそろそろいい歳だ。社会に出て仕事を続けて、まあ、それなりの稼ぎと職場での信用を得られるようになったと思う」


 女性に年齢の話は禁物だとわかっているが、共感のために、ここはあえて言葉にした。


「だけど、プライベートはどうだろうかと、ふと省みることがあるんだ。部屋と職場を往復するだけの、同じ毎日の繰り返し。せっかくの休日だって、ろくに外出することなくいつの間にか終わっている」


 こちらの愚痴のようなつぶやきに、古井河は口を挟まなかった。


「……このワンパターンな生活は今だけじゃなくて、これから先も続くのかって、漠然とした不安に襲われることがある」


 古井河が小さくうなずいたのを確かに見た。


「問題は、自分の今の年齢に、まだそれほど危機感を感じてないことなんだ。変化がほしいと思いながらも、具体的に動こうとしなかった。空から降ってくる何かを受け止めるために、手を差し出しているだけで、自分から探しには行かなかった」


 だけど何の因果いんがか、そのチャンスは巡ってきた。

 一人ではなく、二人同時に、というのが重要なのだ。


「困っている人を見捨てたくないという正義感は確かにあるよ。その一方で、せいぜい知人ていどの関係の相手にそこまで立ち入るのは、客観的に見て踏み込みすぎだ。


 善意で手を差し伸べても、見え見えの下心だと思われるのはプライドが許さない。かといって、下心を完全否定できるような聖人君子じゃなくて――むしろ相手が女性じゃなかったらこんな申し出はしていないと確信できる、俗物ぞくぶつの自覚があるから始末が悪い」


 口の動きはなめらかだった。

 こんなに本心を吐き出したのは久しぶりだ。もしかしたら初めてかもしれない。


 正面に座る元同級生は、驚きに目を丸くしてこちらを見ていた。唇がかすかに開いて、白い歯がのぞいている。


「だから、古井河と水渡さんがそろって途方に暮れていたあの夜は、僕の善意と世間体と下心とプライドの、すべてを満足させてくれるベストなシチュエーションだったんだよ。不謹慎にも、挽回ばんかいするチャンスだと思った」


「――挽回? 何を?」


 そう問われて口元が引きつる。

 しまった、余計なひと言だった。


「何よ、今さら恥ずかしがらないで、正直に言って」


「……ぃしゅんを」


「え?」


「十年以上前に過ぎ去ったはずの冴えない青春を、だよ」


 冷房が効いているはずの店内で、顔の周りだけがひどく暑い。


「……ぷっ」


 こちらの話を真顔で受け止め続けていた古井河が、唐突に噴き出した。


「あははははは……!」


「ちょ、そこで笑う?」


「ごめんなさい、でも、だって……、青春って、アラサーのくせに、青春って……」


 古井河はうつむいて口元を押さえ、プルプルと肩を震わせている。正直に言えと要求してきたくせに、そして自分だってアラサーのくせに、あんまりな反応である。結局、落ち着くまでに丸々一分ほどかかった。


「漠然な不安がどうとか、婚活サイトのうたい文句みたいなことを言い出したときにはどうしようかと思ったけど……、うん、いい本音が聞けてよかったわ」


 古井河は愉悦の表情で何度もうなずいているが、こっちは大切な何かが砕け散ってしまった気分だ。


「……それで、古井河先生には納得していただけたのかな」


「悔しいけど、すごく、わかる」


「本当に?」


「ええ、青春を挽回したいっていう気持ちは、特に」


「見え見えのフォローはいいよ」


「そんなことないわ」


「古井河は青春を謳歌おうかしていたじゃないか。僕とは違って」


「そう? わたしったら、そんな風に見えてた?」


「ああ」


 と僕はうなずいた。


 いつもクラスの中心で笑っていて、周囲には友人が絶えることなく、男子も女子も分け隔てなく接し、教師からの信頼も厚い――そんな生徒だった古井河愛佳に、青春を挽回したいなどと言い出されては、僕のような人間は立つ瀬がない。


 いったいどういうつもりなのか。


 視線で問いかけると、古井河は薄くほほえんで窓の外を向いた。透き通るような横顔に、ひときわ映える艶ぼくろ。


「遠くからだと、細部ははっきりわからないから、そう見えてしまうのも仕方ないのかもね」


「どういう意味だい」


「でも、わたしの近くにいた人たちも、長谷川君と同じくらいの認識だったから、距離はあんまり関係ないのかも」


 古井河の言葉には具体性が乏しくて、何についてどういう意味のことを言っているのかよくわからなかった。


 問い詰める語気が荒くなる。


「だからどういう――」


 そこで古井河は顔の向きを正面に戻した。浮世離れしているような不安定感はなくなって、いつもの余裕ある表情に戻っていた。


「意味深なことを言って煙に巻いてみただけよ。中身はないから、気にしないで」


「そう言われてもね……」


 この違和感はきっと明確なサインだ。何のかはわからないが。

 しかし、古井河はそれ以上探らせてくれない。


「それより長谷川君、休憩中なんでしょ。そろそろ注文しないと時間なくなるわよ」


 僕の時間を気にしてというよりも、話をはぐらかすために、古井河は手をあげて従業員を呼び寄せる。

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