【143】ミル・ドッグ
窓から見上げた空は、雲一つない澄み渡るような快晴だ。
射し込む日の光は、新たに婚姻を結ぶ二人を祝福しているかのよう。
バートル家の侍女たちも笑顔で動き回り、忙しなく私の世話を焼いてくれる。
微笑んでお礼を述べる私。
今日というこの日は、全てが幸福という名の色で染まっている。まるで幸せだと思わなくては、許されないかのように……。
けれど、私の心はこの幸福な世界と反するように深く沈んでいた。
今日だけではない。
あの日。
お兄様がお亡くなりになったと聞かされた、あの日からずっとだ。
……少し詩的過ぎただろうか?
要するに私は落ち込んでいるのである。
それも、とんでもないレベルでど凹みしている。
今も気を抜くと泣いちゃうまである。
だって、お兄様は私にとっての最愛の方だったから。
実の兄弟だとか、そんな事はどうでもよくなるくらい、私はお兄様の事が好きだったのだ。
いや、だったなんて過去形じゃなく、今でも私はお兄様の事が大好きで。でも、お兄様はもう……やばい、涙出そう。
天を仰ぐようにして、私はグッと涙を堪えた。
今日は涙を流すわけにはいかない。何故なら、本日は私とバートル家の長男、モイガンとの結婚式なのだから。
望まない結婚。
けれど、二位階級の貴族から階級無しの家が指名されてしまっては、断る事は難しかった。
今までは、お父様やお母様を困らせている事がわかっていても、お兄様と添い遂げる為に必死に抵抗していたのだけど、あの訃報を聞いて私は抵抗する気力を失くしてしまった。
何故、階級無しの家の娘を嫁に欲しがるのかわからないけど、家としては破格の申し入れなのは間違いない。
これ以上、お父様やお母様に迷惑をかける事も出来ず、私は申し入れを受ける事にした。
それでも、憂鬱な事には変わりない。
侍女たちに気が付かれないようにして、私は溢れそうな涙をそっと拭った。
十時の鐘が鳴り響くのを合図に、私とモイガンの式は始まった。
バートル家がベネディル教徒という事で、挙式はザッハトルテにあるベネディル教会で行われることとなった。
ドッグ家はベネディル教徒ではなかったが、相手の強い意向もあって特に断る理由もなかった為、それに従っている。
ただ、ここふた月の間は、何度か礼拝に参加させられたのが面倒だった。教徒でない者は教会で式をあげる事が出来ない為、私たちが新たにベネディル教徒となる態度を示す必要があったのだ。
嫌だというわけではないが、なんだか全て言いなりだなと思うと、少し惨めな気持ちになってくる。
お兄様だったら、どのように対応したのだろう?
ふとした瞬間に、またお兄様の事を思い返して悲しい気持ちになった。
けれど、嘆いていても仕方ない。
私は全てを諦めて、現状を受け入れてしまったのだから。
悲しげに目を伏せた私を、お父様が優しく気遣ってくれる。そして、そのまま手を引かれ、参列者の間を歩いて行く。
神父の前に立つモイガンの隣へ先導されて、私は溜息を吐きたくなったのをグッと堪えた。
私の心情など気にする様子もなく、モイガンが満面の笑みを浮かべていた。
―――あーあ、いよいよ結婚するのかあ。
晴れない気持ちの中、私はモイガンにぎこちない笑顔を返す。そんな私にモイガンが何か囁いていたが、耳には届かなかった。
神父が聖書を読み上げて式の始まりを告げると、先程までざわついていた声がシンと静まり返った。
ところが、静まり返った途端にその声が再び騒がしくなった。
顔を顰めながら神父がわざとらしく咳払いをする。だけど、ざわざわと囁く声は一層大きなものへと変わっていった。
先程まで満面の笑みを浮かべていたモイガンも、これには少し不愉快そうな顔付きに変わる。
なんだろう。
私がそう思っていた時だった。
時計塔の鐘が大きく鳴り響いたのだ。
危険を知らせる鐘の音。なにかあったのだろうか?
同時に突然教会の扉が、勢いよく開け放たれた。
「た、大変です! 大型のモンスターが街へ向かって接近しています!」
「なにっ! どういう事だ!」
モイガンが怒気を孕んだ声でそう言うと、ドドドドと地響きが鳴って、外からは悲鳴のような声が聞こえて来た。
その場にいた誰もが緊張で強張り、ざわつきはより一層大きなものへと変わった。
そして。
地響きは次第に大きくなり、肌で振動を感じられるようになるとガリガリ削るような音を立ててからその音を止めた。
シンと静まり返る聖堂内。
そこに居た誰もが一言も喋らず、ただ一点を見つめていた。
開け放たれた扉の前に姿を現した、硬そうな鱗を纏った黒い何か。
こんな事が有り得るのだろうか?
緊急時の鐘の音は鳴ったばかりである。なのに、その元凶だと思われる大型のモンスターは、直後に教会へと辿り着いていた。
ーーー怖い。
だけど、どうしてだろう?
驚きと恐怖で声もあげられないくせに、私の心は久しく忘れていた昂りを感じていた。
読んでくださりありがとうございます。
落としどころを定めておかないと、物語がいつまでも終わらない事に気が付いた。
……当たり前か。
なのでこの物語も日々思いつきで書いていたけれど、終わりの部分だけは決める事にした。
なお、そこまで辿り着くのにどのくらいかかるかは不明な模様。




