彼女の魔力を感じる部屋
* * *
しばらくして、俺はヴァーミリオンの隣にある部屋へと移動した。俺がウェインとして使っていた頃の、三年もの時を過ごしたあの部屋だ。
懐かしくもあり、だけどやっぱり居心地が悪くも感じ、俺はどうも複雑な気分で室内を見渡していた。
クラシック調の家具や本棚、壁に立て掛けられたレイピアもあの日から変わらずそこに置かれたままだ。そう長い期間離れていなかったこともあってか、俺がここにいた頃とまったく変わらない。
この部屋を今度は自分が好きなように使うって……。どんな因果なんだか。
執事さんは「すみません、無理だけはしないでください、なにか困ったことがありましたら後で私に教えてください、本当に申し訳ありません」と繰り返し、後ろ髪をひかれるような思いで部屋を後にしていったようだった。
ルナも俺と同じように、しばらくきょろきょろと室内を見渡していた。なにか物珍しいんだろうか、うーんと唸りながら一人難しい顔をしている。特に天井の辺りを見ているような気もするけど、もしや人間には見えない何かが彼女には見えているんだろうか。こうなると聞くのも嫌なんだけど。
「……どうしたんだ? なにか気になる物でもある?」
そう訊いてみると、ルナはなぜか首を傾げてみせた。それも不思議そうに、やっぱり天井のほうを見つめていて、口元を手で押さえながら考え込んでいる。
そんなふうにされると余計怖く感じるし、俺まで気になってしまう。
『……彼女の魔力を僅かに感じました。ですが、どこを探しても見当たりません。残り香程度、とでも言えばいいのでしょうか。なんだか気味が悪いですね』
ルナの言う「彼女」とは、おそらくアディの母親を指して言っているに違いない。
だけどどうしてこの部屋にその母親の魔力が、と考えようとして、俺はあることを思い出す。
色々あって頭の片隅に押し込まれていたけど、そういえばそんなこともあったんだと今更になって気づいてしまった。
以前ここで自分の体が動かなくなり、倒れてしまったことがあった。で、誰かに話しかけられた記憶があったんだ。
思い出す限りでも、それは女の人の声で。今なら合点がいくけど、おそらくあれはアディの母さんだったんじゃないだろうか。本当に今更、って感じだけどな。
「……俺がウェインの中にいた頃、この部屋で倒れたことがあったんだ。その時に頭に響いてきたんだ、俺のいるべき場所はここじゃないって。だからこっちへ来いって。今だからわかるけど、きっとあの時俺を呼び込もうとしていたのはアディの母さんだったんだな」
『そうなんですか? でもその頃というと、ヒロさんは彼女と面識があったのですか?』
「いや、あの人と直接会ったのはその後だ。俺がウェインから引き離される直前というか、うん、そのぐらい」
そう言うと、ルナはまた難しい顔をして考え込んでしまった。
確か顔を合わせたのは学園内でフォルトゥナ卿の話を聞いていた時だったと思う。不意に目が合って、そして不思議なことに視線が逸らせなくなって、動くことすらままならなくなって……。
『マナがないからといって貴方の気配を遠目から探し出し、魔力をこの屋敷まで送った? いいえ、人間にそんな真似ができるはずがありません。ヒロさん、それ以前にどこかで彼女と会ったりはしていないですか? 直接ではなくとも、傍を通り過ぎたことがあるだとか』
「うーん、どうだろう……。そんな記憶、ないけどなぁ」
『なら彼女の子供と顔を合わせる機会はありませんでしたか? 確か以前、どこかで会ったことのあるような口振りで話していらっしゃいましたよね? 貴方は会ったと認識していなくても、向こうに目をつけられていた可能性があります。どこか外に出掛けた時、すこしでも彼女の視界に入ることがあったり、実は影で見られていたり……』
外に出掛けた時。
言われて思い出すのは、あの日のことだけだ。引っかかるのは、ヴァーミリオンとシアンさんに連れられて、街を暴れて回る魔物を退治しに来た時。
ウェインの中にいる頃は外出なんてしたことはなかったけど、唯一俺が外に出たのはあの一回限りだ。
インパクトが強すぎて忘れたくても忘れられない出来事だった。
ヴァーミリオンが描き出した魔法陣を使って街へ瞬間移動し、二人に置いていかれたことがあった。
つい物珍しさにきょろきょろと辺りを見渡していると、褐色肌をした少年がこっちを覗いていることに気がついた。あの少年がアディだ。それは本人にも確認しているから間違いない。
アディがスライムに襲われた時、俺が咄嗟に庇って、代わりに呑み込まれたこともあった。
そうだ、会っていた。直接ではないけれどもしかしたらその時、実はどこかにアディの母さんの姿もあったのかもしれない。俺が気づいていないだけで、本当はどこかに潜んで見ていたのかもしれないんだ。
あの中の、どこかで。
そして俺の存在を見つけたアディの母さんは周囲の人達に気づかれないよう、上手く目印をつけたのかもしれない。これは憶測でしかないけど、それこそ本人にしかわからないような、特殊な何かを。
俺の力が弱まる時、一人になったところを見計らって、あの時点でウェインの中から俺自身を引きずり出そうとしたことを考えると、恐ろしくて顔が引き攣りそうになった。自分が気づいていないだけで、向こうにはすでに見つけられていたなんて。
ヴァーミリオンが声をかけてくれたから俺は無事でいられたんだ。いつもあいつが近くにいてくれたから。
そういえば意識を無くした時、傍にヴァーミリオンの姿はなかった。今だからわかることだけど、もしかしたらあの人は最初からそこを狙っていたのかもしれない。俺が一人になる時を。
ヴァーミリオンがいるのに安易に話しかけたり術を発動させれば、奴にはすぐにバレてしまうだろうから。あいつはそういうところ、妙に鋭いからな。
ぬけぬけと向こうの術中に自分から首を突っ込んでいってしまったんだと、俺は頭を抱えた。
「情けない。本当に、情けない。警戒心というものが無さすぎだろう、俺。もう少し周囲に気を配っていれば、今よりマシな展開でも迎えていたんじゃないだろうか……」
『なにか心当たりでも?』
心当たりなんてもんじゃない。それはもう確信的なものだ。
俺はルナに向かって、弱々しく頷いてみせた。
「三年前から目星はつけられていたのかもしれない。俺の憶測ではあるけれど、確実に会ってる。でもそれはあの人じゃなくて、アディにだけど」
『なるほど。ではやはり見つけられていたのですね。上手く後をつけられていたのでしょう、炎の少年も気づかない程の微量な魔力で』
「全っ然気づかなかったし、気づけなかった。ルナの話で、ようやく思い出したぐらいだし」
『それは仕方ありません。ヒロさんはまだその時、自分の身に起こっている出来事を理解していなかったのでしょうし、悔やむことはありませんよ』
ルナがフォローをしてくれるも、俺は沈んだままだった。それに気づくことのできる鋭さも持ち合わせていないなんて色んな意味で弱すぎて、自分にガッカリだ。
『ヒロさんが部屋にいない間、私も色々と考えていました。で、これから少しずつ行動を起こしていこうと思ったのですが。考えを聞いてくれますか?』
「行動、というと? どういうこと?」
『いちいち過去を振り返り、落ち込んでいる暇はありません。そんなことに時間を費やしていたらキリがありませんから。ヒロさんは進んでいるんです、今だってそう。逆に、やり返してやるつもりでしょう?』
ルナはにこりと微笑んだ。いや、にやりと言ったほうが正しいのか。
アディの母さんがやろうとしていることを止めるだけのつもりだったんだけど、やり返すつもりまでは考えていなかった。
ルナは意外にも好戦的なんだなぁ、と苦笑してしまう。
「やり返すって言っても、止めることで精一杯でそこまで出来るかな……。アディもいるし、逆に返り討ちされちゃいそうだな」




