俺も標的にされてるかも?
子供の腕からは血が流れ、歯が深くまで食い込んでいるようだ。
あれは痛いよな……。もしかしたらこのままじゃ腕を噛みちぎられる可能性だってあるわけだ。幼い子には酷な痛みだ。奴の力がわからない分、骨だって噛み砕かれる心配もある。そんなことになる前に、なんとかあのモンスターから子供を離さなければならない。
だが、どうやって離す? どうやったら離してくれる? せっかく捕まえた獲物を奴がみすみす見逃すはずがない。ならば、どうする。どうやって助ける。
ヒーローなら、どう救ってみせる?
「ウェイン、いつまでそんなところにいるんだよ! 早く逃げろって!」
先程までここにいた内の一人が、後ろから俺に向かって声を上げている。
馬鹿野郎、食われそうになっている子供を目の前にして、誰が見捨てるような真似をするかよ! ここで逃げたとして、この子が命を落とような事になれば一生のトラウマもんだぞ!
だけど俺は今、十歳の体だ。比呂の時のように動けるかと言えば、それは絶対にできない。腕力も、瞬発力も、比呂よりかなり劣っているに違いない。十七と十の差は大きい。
今の俺に出来る事といえば、なんだ? 俺にしか出来ないことって、なんだ?
「ウェイン!」
「あー……ちょっと待ってろってば! 俺だって今色々と考えてんの! ていうかそれよりもまず俺の名前を呼ぶ前に、早く大人を呼んでこいって言って……ん?」
子供があまりにもウェインの名前を叫ぶものだから、苛ついた俺は振り返り「あっちに行け」と手で追い払う。緊急事態だというのに、集中して取り組めないんだ。
だがそこで俺が目にしたのは、子供達の傍にある焚き火だ。
え、なんでこんなところに火があるの? 子供達だけで火遊び? あ、もしかして川で遊んで濡れた服をその火で乾かすためにつけているだとか? だとしても近くに大人がいないのに、火をつけっぱなしにしておくのも危ないんじゃないか?
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
それよりも目に入ったのは、焚き火で使う薪だ。中割されたサイズの薪がそこにはたくさん置かれている。
細長くてあまり頼りにはならないかもしれないが、あの長さと細さであれば俺が振り回すにはちょうどいい大きさかもしれない。
俺は急いで水の中から飛び出し、薪の置いてある場所へと向かい、走り出す。
すると子供を咥えたままのモンスターも、こちらの後を追うようにしてくっついてきた。
げぇ、マジかよ……! これ、俺も標的にされてるってことでいいのか!? あの子をもぐもぐした後は俺の番ってわけか! 随分腹ペコなモンスターさんだな! 俺なんか食べても美味しくないからな!
「わぁぁ……こっちに来るなよ、ウェイン!」
俺の後ろから迫り来るモンスターを目にして、子供達は焚き火から一斉に散らばって逃げていく。
さっきも思ったんだけど、やっぱり君達薄情じゃないか!? 誰か立ち向かおうとする勇敢な子が一人ぐらいいてくれてもいいと思うんだけど、みんな保守的だよなー! 兄ちゃん悲しいぞ! 自分が大切な子ばっかりだな、おい!
「悪い、俺、こっちに用があるんだわ!」
俺は薪を一本手に取ると、それを構えてモンスターと正面から対峙する。
小学生の頃に習った、剣道の中段の構えだ。基本中の基本の構えだけど、これならば攻撃にも防御にも、状況によって咄嗟に判断し、対応ができる。
俺が真正面を向いた事に驚いたのか、モンスターもぴたりと動きを止める。だけどもぐもぐと動かす口はそのままだ。
動きを止めるぐらいなら口も止めろよ。くちゃくちゃと行儀が悪い。まるでガムを食べてるようにも見える。
「ウェ、イ……」
「諦めずに待っていてくれよ! 俺も精一杯頑張ってみるからさ。絶対助けてやるからな……っ!」
顔を水と涙でぐちゃぐちゃにした、幼い子供と視線が交わる。こんな小さな子に、そんな悲痛な顔はさせたくない。子供は笑った顔が一番だ。
狙いを定めるように、剣先をモンスターの目、もとい口元に向け姿勢を正す。
上半身には無駄に力を入れずに、足のつま先は真っ直ぐに前を向き、相手を見据え、互いが互いの様子を窺うように睨み合う。
モンスターもいっちょまえに俺の動きを一挙一動気にしているのだろうか。何も考えずに無鉄砲に動き回ると思っていたが、一応考える頭を持っていたのか……。
もっと衝動的に尻尾を振り回したり、頭を振って前衛で暴れ回ったりするのかと思っていたら、最近のモンスターは頭を使うんだな。なるほど。
どこかのプログラムで作られたゲームの中のモンスターとは一味違うってわけか。ゲームであれば大体行動もワンパターンで、必ずなにかしら隙ができる作りになっていたりするんだけど、実際そうは上手くいかないってことだな。現実は厳しいよなぁ、無情にも。
痺れをきらしたモンスターが、咥えている子供のことなど構わず頭を大きく横に振り、俺の体を薙ぎ払うようにして先に攻撃を仕掛けてくる。
咄嗟の判断で後ろに飛び、その突撃を上手く躱す。
動きは豪快で力任せ、その分隙も大きいようだが油断はできないって感じだな。
つうかアレ、もし地面に頭を叩きつける攻撃なんて仕掛けてきたらまずいんじゃないか?
俺としては振りが大きい方が相手にしやすいんだが、あの調子で子供の体が地面に強く叩きつけられでもしたら、確実に骨が粉砕し、最悪の場合死を招く恐れがある。奴が馬鹿な真似をする前に、仕留めなければいけないということだ。時間との戦いでもあるわけだな。
俺は考える。どこに自分の一手を与えなければいけないのか、モンスターを見つめながら素早く頭を回転させる。
「ウェイン、逃げろって! 死ぬぞ! お前みたいな病弱なガキがどうにかできるわけがないんだ!」
ガヤがわーわーと騒いでいる。でも今は騒いでいる暇なんてないんだ。
口を動かしながら手も動かせって話で。早く君達は助けを呼んできてください、お願いしますから。
そういえば、と俺はこの状況で考える。ウェインはどうして死んでしまったんだろう。その辺りのこと、みんなに詳しく聞けなかったな。
父さんや母さんは俺は体が弱いみたいなことを言っていたけど、今の子供の言葉からするに、ウェインは相当病弱だったのではないだろうか。よくよく見てみると腕も身体も細いし、肌は色白で、どう見ても健康的ではない。
俺が向こうで溺れた時、頭の中に幼い子供の声が響いてきたことを思い出す。
か細い声で、家族にごめんなさいと謝り続けていた、あの時の声。
今思えば、もしかしたらあれは死にゆくウェインの懺悔だったのではないかと考えてしまう。
俺は彼に問いかけたのだ。なにか困っていることがあるのか? 困っていることがあるなら、兄ちゃんが助けてやろうかって。
ウェインは困っていたんだよな。さっきも母さんと姉さんが医者に診せるには金がかかるみたいな事を言ってたし。
ウェイン自身も、きっと家の金銭事情に気づいていたんだ。そして、自分が家族に迷惑をかけていることにも、幼心ながらに感じていた。だからずっとあんな風に、申し訳なく謝っていたんだ。
それで、俺に頼ってきたんだよな? ウェインと同じように死にゆく俺との波長がどこかで偶然上手いこと重なって、引き込まれて、そして比呂はこっちの世界で生まれ変わったんだ。ウェインとして、この体で。
そう考えれば、なにか納得できるような気もする。
ウェインがどう生きたかったのか、どうしたかったのか、それは父さん達に聞いてみなければわからないことだけれど、そういった理由で俺が呼ばれたならば、俺はウェインがやりたかった事を代わりにしてやりたいと思う。
ウェインもきっと、この体の中で、外の世界を見ていると思うから。感じていると思うから。
――――だったら。
モンスターが俺に向かい、突撃してくる。
勢いをつけて突っ込んできているところを見ると、このままでは腕を噛まれている子供の体が危ない。ならやはりここで仕留めるしかないんだ、と体が自然に動いていく。
モンスターが突き進んでくるところへ、俺は無謀にも真正面から踏み込んでいく。
そして握っていた薪の先を、歯が食い込んでいる子供の腕の横に僅かに空いた隙間から上手く突っ込み、上顎を抉るようにして押し込んだ。どうだ、これは痛いだろう。俺だったら命の危険を感じ、急いで身を引くところだ。
思惑通り、モンスターが一瞬怯んだのを確認し、俺は子供の体を横に抱え、二人分の体重を一気に薪に乗せる。
今は折れずに耐えてくれよ……っ! もう少しだけ、頑張ってくれ!
怯んだモンスターの口は、少し力を入れるとすぐに大きく隙間を開けた。俺はそこを狙って、薪に体重を乗せたまま子供の噛まれた腕を歯から抜くようにして下げ、そのまま後ろへ引き抜く。
よし、上手く抜けた。
俺にアクロバティックな動きが出来るかどうか、体重も軽い分成功するか否か、ウェインの体では不安が大きすぎたが、どうやら失敗せずに上手くいったようだ。
薪も限界を迎え、先をモンスターの口に突っ込んだまま真ん中からばきりと折れ、俺とその子の体は背中から地面に落ちた。
ありがとう、薪。よくこの瞬間まで折れずに耐えてくれたな。お前のおかげでこの子を助けることができたよ、本当にありがとう、と心の中で礼を伝える。
「……よし、イメージ通り! おい、君……大丈夫か!? 皆のいるところまで走れるか?」
「ウェイン……うぅ……」
「いま泣くのは勘弁後免ってな! 無事逃げ切ることができたら、たくさん泣いてくれて構わないから! ほら、行くぞ!」
俺は地面に崩れ、泣き出してしまった子の腕を掴み、その場に立ち上がるよう強く引っ張り上げる。
まさか足まで怪我をしていて、それが原因で歩けなくなっているんじゃないだろうな、と不安が過ぎるが、よろよろと歩き出すところを見るとそうではないようだ。
きっと、怖かったんだよな。そりゃそうだ、もしかしたらこの子はあのまま喰われていたかもしれないんだ。恐怖で足が竦んでも仕方の無い状況だった。泣きたくもなるよな、こんなんじゃ。
励ますように、その子の背中を軽く叩いてやった。
でも君を背負って走れる程、俺は力も体力もないんだ。ごめんな……。比呂だったら簡単に出来たことも、十歳の体ではどう考えても無理なんだとすぐに判断した。
体力をつけるためにトレーニングをすれば、ウェインの体でももう少し無理をすることができるのかもしれないけど、今はどうしたって不可能だ。人間の体はそう優しくできていないし、不可能を可能にできるほど、俺は強い奴じゃない。
そうだ、トレーニング。筋力をつければ、もしかしたら今よりは良くなるのかもしれない。
だってまだ十歳。これからこの子の体は成長して大きくなっていくのだから、決して出来ないことではないと思う。閃いたとばかりに俺は前を向く。
うん、そうしよう。ウェインはもっと強くなろう。病弱だったこの体でいきなり動くのはまずいから、まずは集落の中を端から端までウォーキングすることから始めよう。
これは良いアイディアだ、と瞳がきらりと輝く。
兎にも角にも、この場から早いとこ離れなければ話にもならないわけで。モンスターが動きを取り戻す前に、大人達のいる集落にまで戻らなければいけない。
ていうか、ここモンスターがよく現れるところなの? それなのに子供達はあの川で気にすることなく遊んだり、みんな風呂代わりに使ったり、トイレにしてるのか? 危機管理無さすぎだろ……。用を足している途中にあんな目に遭ったらどうしたらいいんだよ。咄嗟に逃げれるか? 俺だったら逃げられないよ。
「大丈夫か、ウェイン!」
さっき逃げた子の一人が、俺達のところに戻ってくる。後ろに数人の大人を引き連れて。
冷たい子なのかと思ったけれど、一応戻ってきてくれるぐらいの情はあるんだな。しかもいつの間にか助けまで呼びに行ってくれて。ぴーぴー嘆いているだけじゃなく、やればできるんじゃないかと感心する。
俺はといえば、頼りになる大人達の姿を目にした途端、体の力が一気に抜けていった。腰が抜けそうになった。
「助けることができたのか、あいつを……」
「運良くなんとか出来たって感じさ。でもモンスターを仕留める事ができたわけじゃないから、いつまた追ってくるかわからない。早く逃げないと」
「あの村で一番弱っちいウェインが、一人でモンスター相手に戦えるなんて……」
そう言われて、どぎーん、と嫌に心臓が跳ね上がる。
そっか、俺ってばあそこで一番弱い子だったのか。まぁ、病弱だったからどうしてもそうなっちゃうんだろうけど。
俺はつい乾いた笑みを零してしまった。
でもこれからは少しずつ強くなっていこうな、ウェインも、俺も。目指すは村一番の弱っちい子からの脱出だ。
怪我をしている子供を背負い、鼻の下に髭を生やすおじさんが俺に声をかけてきた。
「お前は怪我はないのか」
「あぁ、平気だよ。そっちの子のほうが心配だから、早く手当てしてやってほしいな」
「心配するな、あの子はすぐに医者に診てもらおう。……それよりもお前は、ウェインか?」
おじさんが眉間に皺を寄せながら、俺を見下ろしてくる。
その妙に訝しむような目は、三日前に死んだはずの子供が何故ここにいるんだって顔をしている。中身は子供っていう程子供でもないから、嫌でもおじさんの心境を察してしまう。なんとも気まずいものだ。
「そうだよ。一回死んだけど、戻ってきたんだ」
「……そうか。今日、葬儀があったと聞いていたから俺はてっきり、もう。悪いことを聞いてしまったな、すまん」
「大体の人は俺のことを見るとそう思っちゃうよな。うん、大丈夫。その辺りはわかってるよ。俺も自分でビックリしてるんだから」
だよな、誰も三日前に亡くなった人が生き返るだなんて思わないよな。
実際は姉さんのように、気味悪がっている人も中にはいるかもしれないんだ。さっきの子供達も驚いたはずだよな。