紅い瞳を持つ子供
そう言いかけて、口を噤んだ。
また、ドアの向こうに人の気配を感じたからだ。
あの男でも、先程玄関にいた女達のものでもない。
だが普通の人間よりは、遥かに大きな気配だと思った。
ルナは急いでヒロの影に隠れた。見えるはずがないとわかっていても、つい身を隠してしまった。
怖い、というわけではない。でも隠れなければいけないと本能的に感じ取ったのだ。
『 ……っ』
控えめにだがノブが回され、ぎぃ、とドアが開いた。
ルナはシーツを握りしめた。
なぜこうも自分は緊張しているのだろう。普通の人間には見えないはずなのに。恐れる必要もないはずなのに。いつも通りふわふわと、その辺りを漂っていても気づかれるわけがないのに。
だとしても、この不思議な気配は何だろう。
「……」
隙間から顔を覗かせたのは、赤い髪の少年だった。
先程ルナのことを上の階から見つめていた、あの紅い瞳を持つ子供だ。
ルナはぎくりと体を強ばらせた。
まさか追ってきたのではないだろうかと、一瞬驚いてしまったのだ。
少年は廊下、室内に誰もいないことを確認すると、そのまま中に忍び込んできた。
見つかるとまずいことでもあるのだろうか。足音を立てぬよう、こそこそと彼はヒロの元へやって来た。
その紅い瞳はルナの姿を捉えていないことから、おそらく目的は別にあるようだ。
なにをしにやって来たのだろう。
黒い髪をしたヒロの物珍しさに、興味本位で覗きに来たのだろうか。まさかとは思うが、子供のほうが差別意識が酷く、ヒロを攻撃しに来たわけではあるまい。
「……原因は、これか」
子供はじろじろとヒロの体を上から下まで見下ろすと、ぽつりと言葉を漏らした。
「この屋敷の人間は、なぜこうもお人好しが多いのか……。また、変わった奴を連れてきて」
その吐き出されたものに、ルナははっとした。子供だからと油断していたが、本当に敵意を持った者だったのかと判断が遅れてしまったからだ。
魔術を展開させるべきか、と咄嗟に睨むも、その拍子に子供と視線がぶつかってしまった。
息を呑む。
やはり精霊の姿が見えているのかと、怯んでしまう。
この少年も、普通ではない?
「悪いモノがここに入ってきたのかと思った。だから俺はそれを確かめるために訪れたまでだ。この屋敷に危害を与えるものならば排除しなければならない。それが俺の、この屋敷に住む者へ出来る唯一の配慮だからだ」
少年はそう言うと、ヒロの怪我へ手を当てた。
まだ幼いはずなのに、放つ言葉は随分大人びていると感じた。取り繕っているわけではない。まるでそうでなければいけないと、己の中で決めているような立ち振る舞いだった。そうしなければ崖下に崩れていってしまうような、儚さと危うさが織り交じっているようにも見えた。
「……おかしな男だ。マナが、普通じゃない」
少年はなにかを確かめているのか、眠るヒロの腹部に何度も手を当て、離している。
首を捻りながら傷口の辺りを掌で覆い、考え込む仕草をしてみせた。
「これはお前のマナか? お前が、この男にマナを分け与えているのか?」
その問いにルナは言葉を返さなかった。返していいものか、悩んだ。
言葉の節々にちょっとした棘は感じるものの、敵意や嫌悪感は感じられないように思う。
だが、この少年を信用するにはまだ早い。もう少し、時間が必要だと悟った。
「……マナが空っぽ、か。俺の前から消えたばかりでそんなまさか、な」
少年は自嘲するように笑みを零すと、掌に魔力を込めた。
子供の割りには、普通の人間以上の魔力を放っている。ヒロの傷に蠢く呪いを、その力で消し去ろうというのだろうか。
呪術の解き方はその術を構成している陣を展開し、パズルのようにして解いていかなければならない。解いた上で、中に潜む核を慎重に取り除かなければいけないのだ。非常に複雑で、その呪いを解こうというのなら、決して間違いは許されない。
一つ間違えればその呪いはかけられた本人に反動し、更なる戒めとなり体を襲う。
だからルナは他人に邪魔をされぬよう、夜まで待とうと考えていたのに。なのに、この少年はその力で呪いを消そうとしている。力づくで押し通そうとしている。
この少年は知っているのだろうか、その反動のことを。
傷つくのは彼ではない。今以上に苦しむのはヒロなのだ。
さすがに止めないわけにはいかない。ルナはヒロが苦しむ姿を見たくない。
ぴょん、と飛び出し、少年の掌に近づいた。
『無知で彼を助けようというのなら、やめてください』
「………… 」
『人の想いは、強いです。それが恨み、憎しみとなれば更に一際強くなる。その呪いは、力で押し通せる程簡単なものではない。失敗をすれば、苦しむのはヒロさんなんです。貴方に跳ね返るわけではないのですよ』
少年を下から覗くように見上げてみても、視線が重ならない。
ルナはむっとした。見えていないわけがない。二度も目が合っているのだから、この子供には自分の姿が見えている。
さっきだって、あの言葉はルナに向けて放たれたものなのだ。声だけが聞こえない等という言い訳は通用しない。
だからルナはじっと見つめていた。
視線がぶつかるその時まで、目を逸らさないつもりでいた。
「……呪いか。だからこんなにも、禍々しい空気がこの屋敷に入り込んできたのか」
やはり声は聞こえていた。
少年の瞳がこちらを向くことはなかったが、今の返しはルナの声への返答だ。
こちらがはじめに返事をしなかったから、この少年も同じように聞こえない振りをしているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「他人に呪術を受けるなど、珍しいな。いや、そもそも呪いを人に放てる人間などそういない。この辺りにも物騒な者が残っていたということか……そうか」
そうは言いながらも、少年はヒロの傷から手を退けようとはしない。魔力も込められたままだ。
『……あの?』
「お前が何者か、なぜこの男の傍にいるのか、気になることはある。が、今優先すべきは呪いを解くことだ。そうだな?」
紅い瞳が、ようやくルナを捉えた。
少年を表すような、強い光を宿した目だった。覇気がないようにも感じるが、それでもその瞳には轟々と炎が燃えている。
不思議な瞳だった。
おそらく炎の影響を受け、この世に生まれた人間なのだと思った。
屋敷の住人がヒロの姿を見ても驚いたりしないわけだ。差別意識も持たないはずだ。この少年が屋敷に住んでいるのだから、もう驚く程のものでもないのだろう。
『そうです、が……。力で押し切れるような簡単なものではありません』
「はたしてそうか? それはお前の先入観で決められた知恵ではないのか?」
『はい?』
「試してみればいい話だろう。いいか、余計な手出しはするなよ」
そう言った途端、少年の掌にさらなる力が込められる。
瞳の中で燃えていた炎がそのまま手に移り、ヒロの傷を覆う靄を焼き払おうとしている。
ルナは驚き、目を離せなかった。離すことなどできなかった。
子供の放つ量の魔力ではないことに、さすがに驚きを隠せずにいた。
炎がそのまま呪いを浄化し、消し去ってくれるのではないかと、僅かながらにも感じてしまったのだ。
だが危機を察した靄が蛇のように蠢き、ヒロの傷口の中へと侵入していく。
言葉を失いかけるが、少年はそうではないらしい。彼の唇の端が吊り上がった。なにか面白いものを見つけたように、目が細められた。
「……逃げようというのか。随分と弱気な呪いだな」
『どうするんですか? ヒロさんの体の中に逃げていってしまいましたよ……!』
「どうするもなにも、やるべき事はただ一つだ。このような小さな呪い、なんてことはない。悲観すること自体が間違っている」




