雨に濡れて光のない瞳は不気味だった
術を発動させる前に俺を拘束したい、といったところだろうか。
ルナが傍にいるから、魔法陣を展開した時点であの人に捕まる心配はもうないだろう。
ただ、気になることがある。
ルナは今も俺の肩の辺りに存在している。俺の視界に当然映っている。
でも、アディの母親には彼女の姿が目視できていないようだった。ルナを捕まえたはずのあの人が、どうしてルナが見えないのか。
『ヒロさん、そろそろ行きます。もう少し、街へ近づきますから。なんとか気を失わず、持ちこたえてください』
「……いや、その前に……ちょっと」
『ヒロさん?』
彼女の声を遮り、俺は腹を押さえながら体を起こして、アディ達のほうを振り返る。
アディの母親の目は、彼を侮蔑するように見下していた。一目で、自分の子供に向ける視線ではないと思った。
親にそんな目で見られたら、俺だったらどう思う?
どう感じる?
なにか怒らせるようなことをしてしまったのではないかと、ただ不安でいっぱいになるんじゃないだろうか。怖くなるんじゃないだろうか。怒鳴られるんじゃないかと、震えてしまうんじゃないか。
「……あのさ、アディの母さん」
腹に響くために大きな声を出せず、でも、出来るだけ遠くまで届くように話す。
あの人に届くことはないかもしれないけど、聞く気もないかもしれないけれど、それでも言ってやりたいんだ。
「俺にはアディの母さんがどれだけ酷い目に遭ってきたのか、話に聞くだけで実際のところはわからない。本人じゃなきゃ、その痛みなんてわからないと思う。だけどさ、それでもさ……自分の子供に、それはないんじゃないか?」
ぎろり、と。アディに向けられていた視線が俺に移される。
殺意、とまではいかないけれど、雨に濡れて光のない瞳はとても不気味だった。まるで蛇のようだと思った。
「自分がされて嫌なことを、同じように子供相手にしていたとしたら、おかしいと思わないか。結局は自分も同じことを誰かにしているって、気づいてないわけがないよな……?」
「なんだと……」
「子供に、罪はないだろ。ここに住む人達の態度が悪いのは、俺も知ってるよ……。現に俺の友達だって、同じように嫌な思いをしていた。でも、だからといって、アディにその責任を押しつけちゃいけない」
若造が何を知ったような振りを、と怒鳴られるかもしれない。でもアディの気持ちを考えれば、母親の怒りを買うとしても言わなければいけないと思った。
じゃなきゃ、アディがかわいそうだ。
今ここで味方が誰一人としていないアディのことを、誰が庇ってやれると思っているんだ。母親である、あんたしかいないだろうが。だからこれ以上、責めてやるなよ。
「俺から見ても、アディは普通の人間だよ……。ここに住んでいる人達の心が狭いだけであって、実際はどこにでもいる普通の子供なんだ。肌が少し他人より色が濃いだけで、ね」
ここは異世界なんだ。この地方だけが全てじゃないと思うし、もっと広い視野で考えれば他の大陸にはアディのような人もたくさんいるかもしれない。
世界全てがこんなにも差別的なのだとしたら、ある意味終わっている。
必ず俺のような考え方をしている人が、どこにでも一人はいると思うんだ。
「俺がもしこの世界に初めからいる人間だったら、アディに会っていたら友達になっていたかもしれない。いや、友達になっていたはずなんだ。どうしてそんな酷い目に遭っていても、ここから逃げ出す勇気がなかったのか。俺はそっちのほうが気になるね」
「お前には理解できぬ事が多いということだ。縛られぬ物がなく、自由であるから言えることだ」
「だとしたら、尚更アディに当たるのは間違いだろ……。アディは何も悪くない。だからそんな風に冷たく接するのはやめてくれよ……親なんだからさ……」
あぁ、ダメだ。ちょっと頑張って喋りすぎたかもしれない。腹の痛みに耐えながら話していたけど、妙に疲れてきたかも。
これ以上話すのが億劫というか、このまま一旦落ち着いて眠りたいっていうか。
一度大きく息を吐き出して、それから空を見上げた。真っ黒な空を見上げて、冷たい雨を顔に受けた。
「生まれてこなければ、私がこんな扱いを受けることはなかった。私がこんな目に遭うこともなかった。この子供一人のおかげで、私の人生は崩れていった」
またそんなことを言う。そんなことをアディ本人の前で言って、あいつを傷つける。
その話を聞いてアディがどう思うか、気持ちを考えることはできないのだろうか。自分本位でしか物事を図れないのか。
その言葉はどう聞いても、親として失格だ。
『彼女は、向いていなかったのでしょう』
俺の隣で黙っていたルナが、誰に言い聞かせるわけでもなく、呟いた。
『母親としても、未熟だった。愛するべき子供ではなく、自分を優先している時点で。その言葉は決して口に出すべきものではないと、それすらも判断できずにいる。誰の前でも、決して』
「……あれじゃ、アディがかわいそうだ」
『そんな彼女の傍で、あの子はあの子なりに母親の役に立ちたくて、言いつけを守っているのでしょう。彼も気づいているんです。母親のしていることは間違っていると』
でもそれを忠告することができない。咎めることもできない。
ただ褒めてもらいたくて。言いつけを守り、良いことをしていればいつか自分を見てくれるんじゃないかと、アディはきっとそう信じているような気がする。
だから母親が自分をいいように使っていると気づいていても、何も言わずに従っているんだ。
それって、すごく悲しいことじゃないか。子供が自分の感情を押し殺してでも、親の言いなりになっているだなんて。
「……好きな人との子供じゃなかったのか?」
「……」
「自分が愛した人との間にできた子供じゃ、なかったのか?」
そう言って、でもすぐに後悔した。
アディの母親の視線が、更に怒気を含んだものに変化していったからだ。
まずい、これは確実に地雷を踏んだ。でも、言ったことはもう取り戻せない。
一瞬、怯んでしまいそうになる。
だけど折れるわけにはいかないと、負けじとその目を見つめ返す。
「……お前には関係のない話だ」
その瞳は、さっき俺が言ったことを否定するような色を含んでいた。
ならやっぱりアディは、自分の愛した人との間に出来た大切な子供なんだ。
それがどうしてこうなってしまったのか、理由は本人にしかわからないことだけれど、少しばかりほっとしてしまった。
愛もなく生まれた子供だとしたなら、俺にはもう何も言えないから。言葉を選ぶこともできなくなるから。
「私は必ず遂行する。この地に住む人々が二度と目を開ける日が訪れないよう、必ず成功させてみせる」
「あんたの考えている計画が、すでに失敗しているとしてもか」
「当然だ。ならばすぐに次の手を考えるだけだ。お前が私の手から逃げ出すというならば、また呼び込むだけのこと」
俺がダメなら、また同じように誰かをこの世界に呼ぶと、この人は平然とそう言ってのける。
「……そんなこと、俺が絶対に許さない。させない」
「お前にできるか? 私を止める等と、笑わせる。どうやって止めようとしているのか、今すぐこの場で聞いてやりたいぐらいだ」
「それはこれから考える。あんたをこのまま放っておくなんて、できない。しちゃいけないんだ」
また人の良い振りをして、とアディの母親は嘲笑う。
上等だ。俺のことなんて、とことん笑えばいい。見下していればいい。
俺は確かに無力かもしれないけれど、それでも一人じゃない。あんたと違って、たった一人きりで戦うわけじゃないんだ。
宣言したからには、必ず止めてみせるさ。何としてでも、必ず。
「まずはこの傷を治してからだ……。俺はあんたに傷つけられたけど、でも屈しない。痛みがなんだ。こんなの、数日もすれば治る! アディのことだって、救ってみせるさ!」




