事故死はプロローグ
初投稿です。
洗面台の前で制服のネクタイを直す。
僕は薄暗い廊下を抜けて、鞄を肩に掛けると玄関で靴を履きマンションの扉を開けた。
「行ってきます」
中に人はいないが、これは習慣だ。
実質的に一人暮らしをしている僕は、都内に住む一般的な男子高校生だ。
何をもって一般的とするかは議論の余地があるかもしれないけれど、ともかく今日は、そんな僕にとって少し特別な日だ。現在、高校の制服を着ている僕だけど、これから向かう先は高校ではない。大学である。
高校第三学年である僕は進学希望であり、大学にエレベーター式で入学できるような便利な高校にも通っていないことから、大学進学のために入学試験を受けなければならないのだけれど。
それが今日なのだ。
エレベーターで一階に降り、歩き出す。
ひゅう、と2月の冷たい風が頬を撫でる。たしか予報では1℃だったか、肌寒さを感じてポケットに手を突っ込む。
朝からずっと緊張しっぱなしだ。まだ会場にも着いていないけど、これからの試験次第で自分の人生が大きく変わることを考えると身がすくむ。・・・深呼吸、深呼吸・・ふぅ
まだ朝早いからか。マンションが面する通りには人がまばらだ。車も多くない。道沿いに歩けば10分ほどで最寄駅に着く。そこから大学へは電車で30分、といったところか。
仮に試験に落ちた場合、待っているのは勉強漬けの浪人生活。
そんなことになれば、僕の胃にストレスで穴が開くこと請け合い・・・・っとぉ、負のスパイラルに嵌りそうだ。
なんてことを思いつつ、頭の中で僕がプレッシャーに潰されそうになっている時、唐突に死は訪れた。
凄まじい衝突音と、金属が削れる甲高い音で僕は不意に現実に引き戻される。
何事かと他人事のように後ろに視線を投げると、そこにはかなりの速度で僕に突進する2tトラックの巨大な前面部があった。圧倒的な質量で潰される僕の未来が幻視されるほどだ。
僕まであと6mくらいか、とか、プレッシャーじゃなくてトラックに潰されるのか、とか。
不自然に遅くなった時間の中でそんなことを思った。
あと4m
トラックの前輪が車道の縁石に衝突し、跳ねる。僕は直感的にそれを避けられないことを悟った。
3m
浪人は確定か、そんなことを思って僕は顔を歪めた。
トラックは止まらない。
2m、1m・・・・・
『ゼロ』
その瞬間、誰かがそう言った声が聞こえた、気がした。
ーーーーーーーーーー
春先のような柔らかな暖かさの中、僕はうっすらと瞼を開いた。あまりに居心地がいいからそのまま二度寝をしたくなる。
再び瞼が閉じてきた時 、今日が受験日だったことを思い出し一瞬で目が覚めた。
目線で周囲を見回す。生きてたのか、という安堵も束の間僕は時計を探す。
今日、とはいったが僕が交通事故に遭ってから1日以上経過している可能性もある。運が良くても最早試験には間に合わないだろうから、これは僕の現実逃避だ。
また一年受験勉強か、そう悲観的な結論を頭の中で纏めつつ僕は体を起こそうとした。
・・・・あれ?
先ず身体が動かないことに、そして『あれ?』と言おうとして声が出なかったことに、僕は混乱した。
どうなってる、まさか身体が動かず、声も出ない程に重傷だったのだろうか。
ーーー植物状態ーーー
そんな単語が連想される。
僕には意識があるから正確には異なるが、他人から見れば同じだ。間違って死亡認定でもされたらと思うと笑えない状況だ。
しかしそんな僕の不安は意外と直ぐに霧散した。
「あ、赤ちゃんが起きてますよー」
間延びした声とともに一人の女性が視界に入った。服装から鑑みるに看護師のようだ。
その声に反応したのか別の若い女性が視界に入る。看護師に礼を言いつつ、
何故か僕の顔を覗き込んでいた。
看護師は部屋から出て行ったようだ。そんな中その女性は僕に手を伸ばし、抱きかかえた・・・・っておい、何してるんだ!こんな状況とはいえ、妙齢の女性に抱っこされた事実に思春期男子の精神は混乱する。そんな中、抱えられたことで不意に自分の身体が視界に入った。
あまりに細く小さく、そして丸みを帯びた手足。そしてその身体の大きさを真上に見える女性と比較して
・・・・もしかして、赤ちゃんて、俺?
結論から言えば、もしかしなくてもこの時、僕は新生児であった。其処から数日間は、この状況の考察と止めどなく入ってくる情報の整理に追われることになる。
ーーーーーーーーーー
古風な庭付きの日本家屋、その客間の一室。慣れてきた幼児用ベッドの上で仰向けに天井を眺めていた。
勿論、ただ寝ている訳じゃない。
あれから一週間が過ぎた。
あれから、というのは、僕が産まれてから、という事らしい。周囲の会話と現状から察するに、どうやら僕は生まれ変わったようだった。
気がついた当初は混乱して挙動不審になったりしたが、今はもう落ち着いた。それよりも、直後に僕の母親らしき人が目の前で胸をはだけさせたことが衝撃だった。不思議と性欲は湧かなかったが、母乳を飲もうとしない僕を見て首をかしげる母親には正直まいった。
彼女いない歴=イコール年齢、の元18歳に突然、若い女性の乳房が突きつけられたのだ。吸い付く度胸なぞある筈もなく、それをしたら大切な何かを失ってしまうような気もして、つんと自己主張する双丘から目を背けていた。
・・・・まぁ、そんな行動は間もなく意味を失ったが。
乳首を吸いながら緊張しつつも、勘弁してくれと思ったのは覚えている。授乳は未だに慣れない。
視線を天井から部屋の窓に移す。
雪が降っていた。水分が少ない大粒のやつだ。東京人の僕にはかなりの大雪に見える。ここは都内ではないかもしれない。
ふと、僕の体感では数日前の受験日を思い出す。
あの時、僕は死んだのだろうか。
死んだのなら、今はいつで、此処は何処なのだろうか。
胸中に渦巻く僕の不安をよそに、柔らかい声がかかる。僕の母親らしい。美人である。
そうそう、言い忘れていたが僕の新たな名前は「ヒロト」というようだった。漢字は分からない。性別は男。女でなかったことには安堵した。
女性は慣れた手つきで上着のボタンとブラジャーを外す。そうして僕を抱っこした。
僕は心を無にして母乳を飲む。
服越しに体温が伝わってくる。
まだ恥ずかしさはあったが、動揺はない。こうされると何故か先程までの不安が溶けて無くなっていく。
ふと、うとうとしている自分に気がついた。新生児は1日のうち18時間を寝て過ごすらしいが、僕も例外ではないらしい。視線の先で彼女が微笑んでいるのを薄っすらと見て、僕は眠りについた。
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読んで下さり、ありがとうございます。
しばらくは毎日投稿するつもりです。