表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グッバイ・パラレルワールド  作者: 厳島みやび
4/14

第四話「白」

 アイスを食べ終えた彼らは、コンビニの傍にあった名もなき小さな公園に足を踏み入れた。一本木公園と同様に人影はなかったが、園内のベンチの傍で優雅に毛繕いをしている一匹の白猫の姿ならあった。公園の入り口でその猫を認めるや否や、白坂は「あ! にゃあにゃあだ!」と意味不明な言葉を発して――無論、大まかな意味は分かるが――全速力でその猫に近寄っていった。当然ながら白猫は脱兎の如く逃げ出してしまい、彼女はがっくりと肩を落としたのだった。


「馬鹿だな。そんな勢いよく近付いたら逃げるに決まってるだろ」

 白坂は篠崎のほうを振り向くと、いつもとはまるで別人のようにひどく甘ったれた声を漏らした。

「だってぇ……にゃあにゃあ見ると、一刻も早く触りたくなっちゃうんだもん。それにしても本当、猫って逃げ足速いよね。いくら追い掛けても、捕まえられないよ」

「少し考えれば分かるだろうけど、追い掛けるのは逆効果だよ。猫というのは、追い掛けられると徹底的に逃げてしまう生物だから」

「にゃるほど。恋と同じだね」

 自分自身の言葉に酔いしれているのか、白坂は恍惚とした表情を浮かべていた。どうやら彼女もまた篠崎と同じロマンチシストの一人のようであった。


 のぞみのことについて尋ねるのは、白坂からマタタビの効能が切れてからにしよう――そう考えた彼は白坂と共に公園のベンチに腰掛け、他愛もない話をした。

「白坂は、ドラえもんとか好きだっけ?」

「んにゃ、唐突だね。ああ、猫関連で話を繋げているの? でも、猫好き=ドラえもん好きとは限らないよ。まあ、あたしは単行本を全巻揃えているくらい大好きだけど。で、それがどうかした?」

「秘密道具の一つ、〈地球はかいばくだん〉についてどう思う? 僕はあれを見たときドラえもんという作品は、夢見がちな少年少女にとっての理想郷を描いているだけではないということに遅まきながら気付いたよ。進歩しすぎた科学技術というものは絶対的な恐怖であり、極論すれば何でも叶うというコンセプト自体が絶望的な恐怖なんだよ。とどのつまり、サイエンスフィクションというのは」

「あのさ、ちょっといい?」


 白坂は特に悪びれもせず、篠崎の熱弁にくちばしを容れた。彼はいささかムッとしつつ、何だよと言った。


「その果てしなく悲観的な見解はなかなか興味深いけど、少し偏りすぎている嫌いがあるね。篠崎くんの言う『夢見がちな少年少女』からはもちろんのこと、一般的な大人からも共感を得られにくいと思うよ。そもそも、〈地球はかいばくだん〉は危険な秘密道具なんかじゃないもの」

「どういうこと?」

「ドラえもんの解説本か何かで読んだことがあるのだけれど、〈地球はかいばくだん〉というのは有名無実なもので、本当の爆弾ではないらしいよ。多分、〈独裁スイッチ〉みたいに使用者を反省させるための道具なんじゃないかな? ドラえもん好きのあたしは、そう信じたいな」


 白坂のその意見はいささか理想論に聞こえないでもなかったが、それでも説得力はあるように彼には感じられた。よくよく考えてみるとドラえもんが持っている秘密道具というのは確か未来デパートで購入したもののはずであり、すなわち〈地球はかいばくだん〉もそこで売られていたということになる。百貨店に本物の爆弾が陳列されているとは到底思えない。


 夢見がちな白坂にあっさりと論争で負けるのが悔しかった篠崎は、別の観点から反駁を試みた。

「確かに、そう考えたほうが子供の夢を壊さなくて済むだろうな。でも、ドラえもんをローマ字表記にすると〈Doraemon〉だろう? それを並べ替えると〈Ora Demon(オラ、悪魔)〉になる。これは意味深長じゃないか?」

「オラ、って」白坂はころころと笑った。「そんなこと言ったら、〈or Daemon(あるいはダイモン、守護神)〉にもなるじゃない。まあ、両方とも正解なのかもしれないね」

 別に本気でドラえもん=悪魔説を提唱したいわけではなかったので、篠崎はこれ以上の論駁はせず、素直に白坂の結論を受け入れた。つまるところ、ドラえもんの傍にいる人次第で、彼は悪魔にも守護神にも成り得るということだ。


 その後、彼らはドラえもん以外の藤子・F・不二雄の作品、星新一や阿刀田高の小説について語り合い、彼は改めて白坂と気が合うことを痛感した。下手をすると、のぞみよりも話が弾む相手かもしれなかった。


「それはそうと、そろそろ倉本さんのことについて話を聞かせてくれないか。僕と彼女に関する噂があるなら、把握しておきたいし」

 彼がおもむろに本題を切り出すと、白坂は雪見だいふくを食べる前にタイムスリップしたかのように黙り込んでしまった。

 名もなき小さな公園内にしばしの静寂が流れ、ささやかな秋風が彼らの耳や皮膚を幾度となく刺激した後、白坂は何やらもじもじしながら伏し目がちに口を開いた。


「噂が流れているとかそういうわけじゃなくてね。実はあたし、昨日見ちゃったの。一本木公園で、篠崎くんと倉本さんが二人きりでいるところ」

「ということは、昨日も部活サボったわけだ。他の部員と何かあったのか?」

「ねえ、篠崎くん」

 白坂は、またしても彼の言葉を無視した。自分の声が小さかったのかなと思わせるくらい彼女の黙殺は自然であり、もはや職人芸といっても過言ではないような気がした。


 ――いや、あるいは本当に聞こえていないのかもしれないな。


 自分のことを真剣な眼差しで見つめる白坂から目を逸らしながら、彼は生唾を飲み込んだ。


「どうして倉本さんと二人きりでいたの? まさか、付き合ってるの?」白坂は何だか問罪するような口調で言った。

「そんな質問をするということは、僕と倉本さんの話は聞かなかったんだね」

「いいから早く質問に答えて」

「僕のプライベートを君に教える義理はない」


 のぞみに振られたときのことを思い出した彼は少しく眉を顰め、つい吐き捨てるように答えてしまった。すると白坂はしょげ返っているのか、再び口を閉ざしてしまった。心なしか彼女の眼鏡の奥の瞳が潤んでいるように見える。彼は慌てて語を継いだ。


「ごめん、冷たいこと言って。倉本さんは単なる友達だよ。付き合っているわけじゃない」

 そんな自分自身の白々しい台詞を聞いた瞬間、彼の心が痛んだ。とはいっても別に白坂に対して嘘をついたからというわけではなかった。のぞみとはもう「単なる友達」になることも叶わないのだと気付き、無性に悲しくなったのである。そんな彼とは対照的に白坂の面持ちは途端に明るくなった。誰かが泣けば誰かが笑うし、誰かが死ねば誰かが生き延びる。あるいは世界中の幸福と不幸の量は同数なのかもしれなかった。


「本当に付き合ってないの? 倉本さんと」

「ああ。そもそも、彼女には他に交際相手がいるし」

「え、そうなんだ。その相手って誰だろ。ま、誰でもいいや。ふふ、そっか。単なる友達かぁ……」

 眼鏡を外し、レンズをピンク色の布で拭きながら白坂はしみじみと呟いた。そんな彼女のことを篠崎はしげしげと眺め、やはり彼女は眼鏡を掛けていないときのほうが魅力的だと思った。一説によれば男性は眼鏡を掛けると容姿が若干良くなり、女性は悪くなるらしい。無論、眼鏡が似合っていない男性や似合っている女性は何人もいるし、そもそも眼鏡の種類によって印象は変わってしまうわけだが、少なくとも白坂にはメガネっ子の素質がないような気がした。


「どうしたの? 顔に何か付いてる?」彼女はレンズを拭く動作を止め、裸眼を僕のほうに向けつつ言った。

「なあ、眼鏡外してたほうがモテるんじゃないか」

「何それ。眼鏡が全く似合ってないってこと?」

「今のほうが可愛く見えるってこと」

 何の気なしに彼が率直な感想を述べると白坂は頬を染め、「ば、ばっかじゃないの。目、悪すぎ」と言って慌てて地味な眼鏡を掛けた。その刹那、彼はひどく違和感を覚えた。この世界の白坂と、前の世界の彼女が全くの別人であるように思えたのだ。


 前の世界で、篠崎とのぞみが付き合いだして三ヶ月くらい経った頃、「あたしも恋人欲しいなぁ」と呟いた白坂に対して、彼は「眼鏡外してたほうが云々」とさっき口にしたこととほぼ同じようなことを言ったのだが、そのとき彼女は微塵も顔を赤らめなかったし、それどころか彼の忠言を聞き流しているようにさえ見えた。

 そんな抜け殻のような彼女と違って、この世界の白坂はどことなく感情表現が豊かだった。否、もちろん前の世界の彼女も昔は喜怒哀楽をよく表出させていた。しかし、いつからか――確か、昨年の夏休み辺りから――そうしなくなり、何を考えているのか分かりづらい女性になってしまった。

 昨年の夏休み。あるいはそれがキーワードなのかもしれない、と彼は思った。


「ところで、篠崎くん。大事な話があるんだけど……聞いてくれる?」

 白坂の声は少し震えていて、明らかに緊張しているようだった。とはいえ、正直なところ彼は彼女の言う「大事な話」など聞きたくなかった。それを耳にしたら最後、二人はもう単なる友達ではいられなくなってしまうような気がしたからだった。それだけは何としても避けたかった。彼はそのくらい、彼女のことを友達として大切に思っていたのだ。


「ちょっと待ってくれ、白坂。その前に僕の話を聞いてほしい」

 そう前置きして、彼は一方的に雄弁を弄した。「恋愛はどことなく借金に似ている云々かんぬん」。その話をすることによって、自分自身が恋愛に対して否定的・消極的であることを白坂にそれとなく知らせたかったのである。そうすれば彼女はきっと「大事な話」を口にせず、そっと胸の中に仕舞うはずだった。


 白坂は最初、篠崎の比喩を興味深そうに静聴していたが途中から少しずつ顔色が曇っていった。死別だったら亡くなった恋人の分の借金まで背負わなくてはならない、という部分を彼が淡々と説明していると遂に痺れを切らしたのか彼女は怒ったような、それでいて泣きそうな顔をしながら話を遮ったのだった。


「さっきから、一体全体何の話をしているの? 要するに、何が言いたいのよ」

「いや、ただ君の意見が聞きたくて……」

「意見? 恋愛≒借金説に対して? はっきり言わせてもらうと、あなたのその理屈はペシミスティックすぎて話にならないよ。ロマンの欠片もない。過去によっぽど手痛い失恋でもしたの? って感じ」


 白坂の放言に対して、彼は沈黙する他なかった。彼が落ち込んでいることに気付いたのか彼女はすぐに口を慎み、ごめんなさいと消え入るような声で呟いた。

「少し言葉が過ぎました。でも、篠崎くんの見解に救いがないことは確か……。何というか希望のないパンドラの箱みたい。恋愛って、そこまで鬱然としたものかな? あたしは違うと思う。それに、考えてみると借金を帳消しにする方法だってなくはないじゃない。自己破産以外で」

「具体的には?」

「例えば、新しい恋人を見つけるとか。〈松平定信〉を見つければ、過去の恋愛における借金はある程度なくなると思わない?」

 そんな白坂のポジティブな意見を聞いて、篠崎は雷に打たれたような気分になった。江戸時代の棄捐令がまさか現代に通用するとは夢にも思っていなかったのである。


「ねえ、篠崎くん。あたしじゃ駄目かな?」

「何が?」

「何が、って……分かるでしょ? あ、あたし、篠崎くんのことが好きなの」

 顔に紅葉を散らしながら、彼女は訥々と言葉を紡いだ。

「中学の頃からずっと好きだった。あなたと同じ高校に入りたかったから、中学の卒業式で別れたくなかったから猛勉強もした。卒業の前にあなたに告白して付き合っちゃったほうが手っ取り早い気もしたけど、結局できなかった。振られるのが怖かったから。でも、もう限界。昨日、あなたと倉本さんが二人きりでいるのを見てたらすごく寂しい気持ちになった。もう、あんな思いはしたくない。他の子に取られたくないよ……」

 白坂の「大事な話」の内容をある程度予測していたとはいえ、やはり面と向かって言われると気恥ずかしく、彼は思いのほか動揺してしまった。中学の頃から好きだったというのは、全く気付いていなかった。


 ――もし白坂が中学の段階で告白していたら、僕は何と答えていただろうか。ふと、別のパラレルワールドの篠崎慶一の行動を想像してみた。おそらく彼はまだ恋に恋する未熟な少年だから興味半分に、嫌な言い方をすれば軽い気持ちで白坂と付き合ってしまうだろう。そして何となくキスをし、何となくセックスをし、半年も持たずに別れ、勉強を疎かにしていたため県立東川瀬高校に入れず、のぞみにも出会えなかったことだろう。

 もちろん、これはあくまでも憶測に過ぎない。もしかしたら僕と白坂はもう少し長く交際しているかもしれないし、この高校に入学することもできたかもしれない。しかしいずれにせよ僕はのぞみと付き合えなかったはずだ。というのも、白坂の協力がなければ消極的な僕はのぞみに話し掛けることすらできなかっただろうから。

 白坂の協力? そういえば、前の世界の彼女はどうして僕の片恋を応援してくれたのだろう。僕のことを好いているなら、恋路の邪魔をするのが普通なのではないだろうか。


 そこまで思考したところで篠崎は、はっと気が付いた。白坂の性格はすこぶる良いということを思い出したのだ。友達の篠崎が困っているようだったから救いの手を差し伸べた――おそらくは、ただそれだけのことなのだろう。お人好しな彼女の辞書には、「邪魔」とか「妨害」とかそういう低劣な単語は載っていないのかもしれない。だとすれば、彼女はなんて素晴らしい人間なのだろう。自分自身の恋愛を犠牲にしてまで協力するなんて、思春期真っ只中で感受性の鋭い女子高生が易々とできるようなことではない。


 篠崎は彼女のことを深く尊敬し、それと同時に少しだけ愛おしく思った。とはいっても、のぞみに対する愛情とはまた違う種類のものだった。のぞみのことは「異性」として好きだけれど、白坂のことは「人間」として好きだった。

 人間として好き――これほど厄介な感情はないように彼には思えた。この場合、白坂の告白に対して何と答えるべきなのか、それがさっぱり分からなかった。白坂よりのぞみのほうが好きなのだから即座に振るべきなのかもしれないが、のぞみはもう他の男と付き合っているわけだし、いい加減気持ちの切り替えをするべきなのかもしれなかった。でも、のぞみとの恋を忘れるために白坂を愛するというのは何だかおかしい気もした。前の世界ののぞみに対して失礼すぎる。しかし、だからと言って白坂のことを拒絶するというのも非道であるように感じられた。


 長い逡巡の末、篠崎は一つの結論を下した。それは白坂の告白を受け入れつつ、友達として付き合っていくという何ともややこしいものだった。「友達」として交際するのだから当然、接吻や性交はしない。少なくとも、のぞみより白坂のほうが好きだという感情にならない限り。これなら前の世界ののぞみと白坂を傷付けずに済むし、最善の方法であるような気がした。

 告白を受け入れる主旨を告げると、白坂は非常に嬉しそうな顔をして、恋人の特権とばかりに篠崎に抱きついた。そんな積極的な彼女の温もりに触れて、彼は早くも自分の出した結論が最良の方法ではないと思い始めたのだった。

※秘密道具〈地球はかいばくだん〉の解釈については諸説あります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ