おはよう
警察にも何度も事情聴取されたが、彼にも何が起きたかいまいちわからなかった。
ただ一つ確かなのは、樋口の部屋にあった死体は近隣で発生していた一連の空き巣の犯人だということだった。
不可解な点が多いのも特徴だ。どのようにして樋口の部屋に死体を運び込んだか、いつ空き巣犯が事件に巻き込まれたか、そして樋口の部屋の惨状を通報した者が誰かわからないなど、あまりに不気味な事件のため、警察は公表を控え、付近のパトロールをそれから半年ほどかなり強化した。
事件が事件なため樋口はしばらくの間、特別休暇を貰ったのだがその休暇中に樋口は部屋で初めてナワカミさんと遭遇する。
夜中に窓を叩く音で目を覚ますと、カーテンの向こうに、歪なシルエットが目に入った。
シルエットはただ規則的に窓を叩いており、時折歯ぎしりのような音を立てて、何かを訴えている。
樋口は恐る恐るカーテンを開いた。窓には血で真っ赤に染まったポールスミスの財布が張り付いていた。
恐怖で後ずさると共に樋口の脳裏にある考えが浮かんだ。この“何か”は俺の財布を取り返してくれたいい奴なのだと。
樋口は思わず窓に張り付いた財布に、窓の外にいたモノに話しかけていた。
「これ、俺の財布なんだ!あんたが取り返してくれたんだろ?」
返事はない。
「ありがとう!その、何て呼んでいいかわからないし、空き巣犯の死体を見た時はさすがに驚いたけど。
あんた、いい奴なんだな。」
返事はない。
「何かお礼がしたい。それに、姿が見たい。名前もわからない、何て呼べばいい?」
次の瞬間、びちゃびちゃびちゃと、窓一面に血の手形が張り付いた。スタンプを紙いっぱいに無造作に押したように、窓がどす黒い血で赤く染まる。
「部屋に、入りたいのか?」
歯ぎしりのような音が聞こえる。ぎりぎり、ぎりぎり。樋口は恐る恐る窓のクレセントを外した。
ごうっと生暖かい風が吹いた。
その時、樋口はふと小学生の時のことを思い出した。
当時クラスでいじめられていた奴のことを。
いつも教室の外に締め出され、開けて開けてと言っていた奴のことを。そいつの名前は確か、ナワカミといったはずだ。
当然目の前にいるだろうそいつに、そんなことは説明しない。
「ナワカミさん、て呼んでいいかな?」
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それから3年が経った。ナワカミさんと名付けられた、姿の見えないそいつとの共同生活は続いていた。
ナワカミさんは基本的に家から出ない。ただ毎年夏の終わりになると、外に出るようだ。
その時期には決まって幼い子供が何人か行方不明になる。
そして必ずその年の終わり頃に体の半分だけが見つかる。だから夏の終わりと、一年の終わりにそれを知ると、ああもうこんな時期なんだな、と思うものだ。
ナワカミさんは家の守り神でもある。
まずナワカミさんが来てから虫が一切出なくなった。もう3年も虫を見てないから、次に姿を見た時は驚くというよりは、いたんだなと思うだろう。
そして空き巣や訪問販売、宗教の勧誘だろう人間が次々と怪死していく。
警察も、近所の人間もこのアパートは呪われていると言って憚らないが、自分だけがこの過保護とも言える守り神の事を知っているのだ。
優越感に浸れる。
でもこの一連の出来事を恐れてアパートの住人はほとんど出て行った。
大家さんはたまったものではないらしく、仕方なしに柄の悪い外国人や半グレのような人間など、とにかく入居さえすれば誰でもいいというスタンスに変わっていった。
でもナワカミさんのおかげでこの世紀末みたいな治安の悪さも一定に保たれている。
ついこの前も夜通し騒いで麻雀をやっていた男が行方不明になったまま見つかっていない。
何より心強いのは会社やプライベートで自分への当たりを強くした者が次々と不幸になったり、最悪死んでしまったりしていることだ。
これもひとえにナワカミさんのおかげなのだ。