‐5‐ 保護者二人?
「あの子にとっては、ある意味予想外の出来事だったんだろうな」
夏樹が帰った後、出て行ったその店の扉を見詰めながら仁志が言った。
その独り言のような呟きに、洗い終わったカトラリーを一つ一つ拭きながら片付けていた直純は、作業の手は止めずに顔だけを仁志に向けた。
「ん…?夏樹のことか?」
「ああ。あの子を見てると、女の子に戻る日が来るなんて思ってもみなかったって感じだろう?自分でもどうしたらいいのか、まだ迷っている風に見える」
真面目な顔をして語る仁志からは、夏樹を気に掛けているのが見て取れて、直純は微笑みを浮かべた。
自分とは付き合いの長い親友だが、仁志は基本的に人間関係はドライだ。
だがこの男も、夏樹のことをこの店のただのアルバイトという目ではなく、温かい保護者のような目で見てくれているのだと思うと、それだけで何故だか嬉しい気持ちになった。
そう思ってしまう自分こそが、すっかり保護者のようであるのだが…。
(――妙に庇護欲をそそられちゃうんだよな…)
何故だか、放って置けない存在なのだ。
それは、夏樹の資質によるものなのだろうけれど。
「まぁ、複雑なところだと思うよ。八年も経ってたらさ。でも逆に、八年前のあいつが周囲に知られずによく『冬樹』を演じられたなって、そっちの方が驚きだよな?精神状態を考えたら、感心を通り越して、ちょっと悲しくさえなるよ」
「小学二年生の時…って言ったか?」
「そ。尋常じゃないよな?それじゃなくたって家族を失ってひとりぼっちになってしまった子が、さ…」
それも親戚の家に世話になっていたと聞く。
「でも、その八年があったからこそ今のあいつがいるんだ。そのままで良いんだよな?それが夏樹自身なんだから…。男も女も関係ないんだよ」
「…本人は、何かコンプレックスを感じてるようだけどな」
「うーん…。でも巷の女の子達だって、大して『女の子』意識してないよな?そんな定義みたいなものは今時ないだろ?まぁ言葉使いとかがあんまり酷いと、聞き苦しいとかはあるかも知れないけどさ」
店内を何気なく見渡しながら直純は言った。
現在残っている客の中にも女性客が数人いるので声は控えめだ。
だが、そんな直純に「それはお前の価値観だろう?」と仁志は苦笑を浮かべてツッコミを入れ、「そ。俺の好みの問題」と直純は軽くウインクで応えた。
「まぁ、一昔前なら『女人はこうあるべき』みたいなのはあったかもしれないがな。でも、あの子はある意味見た目で悩む必要が無いだけ幸せだと思うんだが…」
「ははは…まぁな…」
大きな声では言えないが、そこらの女の子達なんかより断然可愛い顔しながらも『気持ち悪くないですか?』と本気で自分を卑下している夏樹に、もっと自信を持てと言ってやりたい。
(でも、あの様子だと…ちょっとトラウマになってるんだろうな…)
きっと、夏樹の『冬樹』として過ごして来た八年間の中には、様々な想いがあったのだろう。
数々の我慢や葛藤。
そして、諦め――…。
あの細い肩に圧し掛かっていた運命の重さを考えると、早くそんなしがらみから解放されて、自由に思うままに今を楽しんで欲しいと心から願わずにいられない直純だった。
「――なぁ、直純?」
少し間を置いた後、仁志は静かに口を開いた。
「うん?」
「お前は、あの子に対して…かなり親身に接している方だと思うんだが、そこに何か特別な想いはあったりするのか?」
今までずっと見て来て何となく感じていたことを、思い切って仁志は口にしてみた。だが…。
「え?別に普通だろう?可愛い元教え子だしな。それだけだよ」
そう笑いながら「ありがとうございました」…と、会計に立った客に応対してレジに向かう直純の背中を、仁志はじっ…と眺めていた。
(――本当に…それだけか?本人も気付いてないだけか…)
仁志は思う所があったが、それ以上は特に何も言わなかった。