‐4‐ 『Cafe & Bar ROCO』
自宅の最寄駅まで着くと、夏樹は駅前裏通りへと足を向けた。
この通り沿いには、お洒落なカフェやカラオケ店など賑やかな店が多く建ち並んでいる。
その通りの中程にある『Cafe & Bar ROCO』というお店で、夏樹はアルバイトをしているのだ。
(何だかちょっと、久し振りで緊張するな…)
バイトを始めたのは、まだ夏樹が『冬樹』だった頃からである。
だが、夏樹に戻ってからは色々あってなかなかバイトへ入ることも出来ず、少し間が開いてしまっていた。
この店のマスターである中山直純は、夏樹の事情を知っている人物の一人である。
実は冬樹と雅耶が昔通っていた空手道場の家の息子で、当時はまだ高校生だったのだが、既に有段者の先生でよく教えて貰っていたのだ。
ちなみに、雅耶は今でもその道場に所属している。
この街に戻って来た時に偶然再会したのだが、直純はひとり暮らしをしている冬樹の実情を知り、色々と気に掛けてくれていた。
そして、アルバイトを探していた冬樹を好条件で雇ってくれたのだった。
だが、ずっと『冬樹』として普通に接してくれていた直純だったが、実は冬樹と夏樹が入れ替わったまま、あの事故が起きたことを唯一気付いていた勘の鋭い人物でもある。
そのことを夏樹が知ったのは、兄の冬樹と再会を果たし、これまでの事情を説明する為、二人揃って直純のもとへ挨拶に行った時だった。
『実は、俺は八年前から気付いていたんだ』
そう明るく言われた時、夏樹は衝撃が走ったのを覚えている。
でも、身を偽っているという事実を知りながらも、そんな自分を優しく見守っていてくれた直純には、本当に感謝してもしきれない。
そして『ROCO』は、直純が作ってくれた自分の居場所であり、自分が自分らしくいられる大切な場所なのだ。
お店の前まで来ると、夏樹は足を止めて小さく深呼吸をした。
(そう言えば、この制服で来るのって初めてだ。変じゃ…ないかな…?)
ガラスの扉に写る自分の姿を見詰めながら少しだけ不安になる。
この格好で電車まで乗って来たのだから、もう今更なのだけれど…。
その頃、店内では――…。
直純がテーブル席からグラスを下げて来ると、店の前に人影が見えた。
客かなと思って構えていたのだが、何故か扉の前で立ち止まっているようだ。
(…入りづらいのかな?迷ってる…?)
気になってよく見てみると、それは可愛らしい制服に身を包んだ可愛い女の子だった。
直純は、それが誰だか判るとクスッ…と笑った。
「…どうした?直純。思い出し笑いか?」
カウンター越しに、仁志が怪訝そうに見てくる。
柳仁志は、直純の親友であり、一緒にこの店を経営している大事なパートナーだ。
トレードマークの黒縁メガネを右手中指でそっと押さえると「気持ち悪いぞ」との容赦のないツッコミが返って来た。
こんなやり取りはいつものことなので、直純は気にする様子もなく、それに笑顔で応えると言った。
「いや、可愛い子が入店を迷ってるみたいでさ」
ウインクしながら扉の方を親指で示している。
「…可愛い子?」
仁志が首を傾げたその時だった。
店の扉が、カラン…と音を立てて開いた。
「こんにちはー。お疲れ様です…」
そこには、すっかり女子高生な姿の夏樹が照れ臭そうに立っていた。
少し見ない間に髪が伸び、すっかり女の子らしくなっていて見違えるようだった。
可愛らしい制服がとても良く似合っている。
そのあまりの愛らしさに二人とも思わず見とれてしまっていたが、直純は優しく微笑むと、夏樹が構えたりしないようにいつもどおり声を掛けた。
「おかえり、夏樹。よく来てくれたなっ」
「やっぱり女の子は華やかで良いもんだなぁ」
今日のバイトを終えて、空いた店内のカウンターの端でいつも通り賄いをご馳走になっていた夏樹は、笑顔で見つめてくる直純の言葉に「…えっ?」と、思わず赤面して手を止めた。
途端に、仁志が直純に冷たい視線を送りながらツッコミを入れる。
「直純、お前…オヤジのいやらしい呟きみたいだぞ」
「あ。ヒドイ。…だって、可愛くないか?夏樹、その制服凄く似合ってるぞっ」
直純は変な含みもなく、あまりにも爽やかに言って来るので、
「あ…ありがとうございます…」
と、頬を染めながらも、そんな二人のやり取りに苦笑を浮かべた。
「まぁ、確かに…な。君が本当に女の子だったんだなって今更ながらに実感してるかな」
仁志がこちらを見詰めながら言った。
(――実際、そう…だよな…)
今まで男として普通に過ごして来た自分が『実は女でした』とか言っても、そう簡単には切り替えて見れないんだろうな…と思う。
仁志さんは普段から口数が多い方ではなく、本当に思った事しか口にしない人だ。
だから、それこそが本音なんだろう。
「気持ち悪く…ないですか?急に、こんな女の格好で…」
何だか再び恥ずかしさが増してきて、思わず自嘲気味になる。
だが、二人は揃って首を傾げた。
「「…何故?」」
「だって…、自分は全然女らしくもないし…」
少し髪が伸びた程度で、それ以外は何も変わっていないのに。
そんな夏樹の心情を見透かしたように、直純は優しく笑うと「夏樹は、気にし過ぎだよ」…と、言った。
「どんな格好をしていても、お前はお前なんだから、そんなこと気にすることないんだよ。『冬樹』だった時も、お前自身だったとは思うけど、今はもっと自然にいていいんだ。これで元どおりなんだから、ありのままの夏樹で良いんだよ」
「直純先生…」
その優しい笑顔と言葉に、胸が温かくなる。
「な?…仁志も何か言ってやれよ」
カウンター内の後ろの台に寄り掛かりながら腕を組んで黙っている仁志に、笑いながら直純は肘で小突く。
仁志は、そんな直純をチラリ…と見た後、ゆっくりと口を開いた。
「…確かに俺は、君をついこの前まで『冬樹くん』と認識していた分、まだ『夏樹ちゃん』と呼ぶのでさえ慣れていないというのが正直なところだが…。前にも言ったが、君は君だ。それに、今の君は何処から見たって女の子だし。もっと自信を持って良いと思う」
「…仁志さん…」
直純が横で、うんうん頷いている。
「だが、それでも現状でいまいち自信が持てないと言うのなら、俺から一つ提案がある」
「…提案、ですか?」
「ん…?」
何を言うつもりだ?…と、直純は不思議そうに仁志を見た。
「君のその制服姿を見て、今日ずっと考えていたんだが…」
顎に手を当てて、夏樹をじっ…と見つめながら話す仁志に。
「……?…」
夏樹は首を傾げた。
「やはり服装というのは大事だ。形から入る…というのも実際有りだと思うしな。…そんな訳で、この店の教育係としては、折角可愛い女の子がバイトにいることだし、この店のユニフォームも女の子バージョンを用意するのも有りだと思うのだが…。どうだ?マスター?」
「「…え…?」」
真面目な顔をして、そんなことを言ってくる仁志に。
直純も夏樹も一瞬目を丸くして固まっていた。
だが、次の瞬間。
「はははっ!いいな、それっ」
直純が笑って賛同した。
「そうだよな?折角可愛い女の子がいるんだもんなッ!どうせならとことん女の子らしいヒラヒラの…」
「丈は勿論ミニだな…」
…等、すっかり悪ノリ気味の二人に。
「そ…それだけは、勘弁して下さい…」
思わず頭を抱え込む夏樹に、二人は顔を見合わせて笑うのだった。