‐2‐ キミへの贈り物
(――え…っ…)
そこには、まるで自分が海の中にいるかのように錯覚してしまう程の壮大な光景が広がっていた。
キラキラと光る気泡。
小さな魚たちが形作る、群れのアート。
中でも一番の大きさで目を惹くジンベエザメを筆頭に、様々な大きさの魚たちが優雅にゆったりと泳いでいる姿がそこにはあった。
「すご…い…」
海の底にいるみたいだ…。
まるで、あのポスターみたいに…。
それ以上の言葉が出て来なかった。
目の前に広がる光景に目を奪われ、そしてそのあまりの感動から絡めたままの雅耶の腕を解くことも忘れて見入っていた。
大きな瞳を見開いて言葉を失っている夏樹の横顔を、雅耶はそっと見つめた。
薄暗い中でも分かる程にキラキラと光を映しているその潤んだ瞳と。
きっと無意識なのであろう、自分の腕にしがみ付くようにして、その目の前の光景に心奪われている夏樹の様子に。
雅耶は満足気に微笑むと、ゆっくりと口を開いた。
「俺さ、昔…両親にここへ連れて来て貰ったことがあるんだ。夏樹達がいなくなってからだから…小学校三年生位の時だったと思う」
静かに話し出した雅耶の顔を、夏樹はそっと見上げてくる。
「その時、すっげぇ感動してさ…。嬉しかった反面、すっげぇ悲しくなったんだ」
「…悲しく…?何で…?」
戸惑うように見上げて来る夏樹に、その当時を思い出して雅耶は少しだけ眉を下げた。
「これを夏樹に見せたかったなって…。きっと夏樹に見せたら、すごく喜ぶだろうなって思ったんだ。だけど、それはもう二度と叶わない…。そう思ったら悲しくて堪らなくなった…」
「…雅耶…」
「堪らなくなって、思わず泣き出して…親を困らせた記憶があるよ。今思うと、ちょっと困った子どもだよな」
苦笑を浮かべて話す雅耶を、夏樹が泣きそうな顔で見上げていた。
きっと無事だと信じていたかったけれど、月日が経てば経つ程に、幼いながらにも嫌でも感じてしまう喪失感。
希望を持っているだけでは何も変わらないと…現実を思い知らされる日々。
そして、それらは…諦めから絶望感へと形を変えていった。
「でもさ、奇跡は起きたんだ。こうして夏樹と一緒に来れた…。俺にとっては本当に夢みたいだよ。今朝は『夏樹をここに連れて来ることがプレゼントの一環』…みたいなことを言ったけど、実際は殆ど俺の自己満足なんだ」
そう笑うと。
「そんなことないよ」
と、僅かに瞳を潤ませながら夏樹も笑顔を見せた。
「ありがとね、雅耶。私…今日見たこの光景、ずっと忘れない」
じっ…とその瞳に、そして脳裏に焼き付けるかのように前を見つめながら呟く夏樹に。
「これは造り物だけどさ…。本物の海は、いつか必ずちゃんと連れて行くから。待っててくれよな?」
その目の前の巨大水槽を見上げながら、雅耶は誓うように言葉を紡いだ。
(これだけでも十分だよ…)
本当はそう言いたかったけれど、雅耶が思いのほか真剣な眼差しで前を向いていたから…。
「うん…」
と、だけしか夏樹は言えなかった。
そうして二人、暫く無言でその目の前に広がる水中の世界を眺めていた。
どれだけ眺めていても飽きない程に、それは穏やかで美しい光景だった。
キラキラと鱗が水の中で光を放ち、壮大な群れを成して泳ぐ魚たちを眺めながら…。
今も昔も変わらない、雅耶の優しさが堪らなく切なくて。
そして何より雅耶と、この時間を共有出来たことがとても嬉しかった。
「すっかり暗くなっちゃったな」
水族館ではイルカやアシカのショーなども開催されており、それらを休憩を挟みながら一通り見終わって、お腹も空いて来たので二人はレストランへ入って、少しゆっくりすることにした。
温かな場所で会話に花を咲かせ、ゆったりと食事をして店を出た頃には既に日が暮れ掛けていた。
「うん。でも、暗くなると…遊園地ってこんなに綺麗なんだね」
夏樹は寒さも忘れて、始めてみる景色に瞳を輝かせた。
乗り物や建物を縁取るように沢山の電飾が灯っていて、昼間目にした遊園地とは雰囲気が全然違って見える。
そして、奥には大きなクリスマスツリーがやはりカラフルな電飾で飾られ、遠く浮かび上がって見えていた。
「夏樹、時間はまだ平気だろ?折角だし遊園地の方も行ってみないか?」
「うん。そうだね」
そうして二人歩き出そうとするが、不意に雅耶が何かに気付いたように足を止める。
「あ、でも、お前…寒くないか?」
「え?」
確かに昼間に比べて夜風は冷たく、気温も幾らか下がったのか吐く息は白かったが。
「結構着込んでるから大丈夫だよ?」
そう答えると。
「そうか。ならいいんだけど。寒い中、あまり連れ回して風邪引かせちゃいけないからな」
そう言って、雅耶は人懐っこい笑顔を見せた。
「私は平気だよ。マフラーもしてるし…」
スカートを穿いてはいるが、厚手のタイツとブーツで足元は暖かだった。
だから、直に肌が外に出てるのは手と顔位なものなのだ。
「それより、寒そうなのは雅耶の方だよ」
雅耶は厚手のコートを着てはいるが、首元が見えていて寒そうだった。
「俺は大丈夫。日頃の身体の鍛え方が違うからね♪」
雅耶はそう言って笑ったけれど、風が吹く度に僅かに首をすぼめている仕草は、やはり『寒そう』以外の何ものでもない。
「………」
(本当は、もっと後で渡そうと思ってたけど…)
夏樹は、おもむろに自分のバッグからある包みを取り出すと。
「雅耶…。これ…」
そう言って、その包みを両手で差し出した。
「えっ…?何…?…これって……?」
妙に真面目な顔をして包みを差し出している夏樹を思わず凝視してしまう。
でも、心なしか頬が赤い。すぐに照れているのだと判った。
「大したものじゃ…ないんだけど、クリスマスプレゼント…。本当は、もっと後で渡そうと思ってたけど今の方が良いみたいだから…」
そう言うと、夏樹は再びずいっ…とその包みをこちらに差し出した。
(『今の方が良いみたい』…?)
その不思議な言い回しには首を傾げながらも、思ってもみなかった夏樹からのプレゼントに、顔がにやけていくのを抑えられない。
「あっ…ありがとうっ!」
堪らなくなって、その差し出された包みでなく夏樹ごとガバッと抱きついたら「ちょっ…まさやっ!?何っ…」…と、抗議の言葉が腕の中から返って来た。
「ごめんごめん。あんまりにも嬉しくってさ」
先程よりも、もっと真っ赤に頬を染めて上目遣いに見上げて来る夏樹に。(…いや、睨んでるとも言うが…。)気を取り直して「ありがとう」と深々と頭を下げると。
「すっげぇ!嬉しい♪これ、開けて良い?」
一応、本人の確認を取ってみる。
すると…。
「うん。今…開けて欲しい…」
他意はないのだろう。
だが、その不安気なような…照れているような…不思議な表情で、じっ…と見上げて来る夏樹の瞳に、思わずドキリとした。
(――か…可愛すぎるだろッ!!)
一人ドギマギしながらも、その場で包みを開けに掛かる。
最初に手にした時から布物だということは分かったが、それは…。
「これ…マフラー…?」
「うん。雅耶がマフラーしてるの見たことなかったから、良いかなって思って…。普段は『鍛え方が違うから』必要ないかも知れないけど…今は寒いし、あっても良いでしょう?」
そう、悪戯っぽく笑う夏樹が堪らなく愛おしかった。
「ありがとな。これ、大切にする…。『鍛え方が違う』って言ったのは、俺のやせ我慢だった。だから、これからずっと大事に使わせて貰う」
雅耶はワザと宣言するようにそう言うと「では、早速」と、それを自分の首に巻いた。
「普通の…女の子とかだったらさ、手編みとか出来るのかも知れないけど…」
控えめに、そんなことを呟く夏樹に。
「普通って分かんないけどさ、俺はこれが良い。夏樹が選んでくれたんだもん。これが一番嬉しいよ」
そう言って、にっこりと笑った。
「超あったかいー。幸せー♪」
本当に幸せ過ぎて、思わず声を上げた雅耶に。
「ぷっ…」
夏樹は吹き出して笑った。
無邪気に笑っている夏樹を、雅耶は眩しげに見つめていたが、
「ホントありがとな。じゃあ防寒対策も万全だし、そろそろ行こうか」
そう言うと、誘うように夏樹の前に自らの手を差し出した。
夜の遊園地は、子連れも多かった昼間の客層とはガラリと変わって、殆どがカップルと言っていい程であった。
二人は幾つか目についた乗り物に乗った後、今度は園内の何処から見ても存在感を放っている、大きな観覧車に乗ってみることにした。
「私、観覧車って初めてかも…」
次第に順番が近付いてきて、夏樹の中には僅かな緊張感が生まれてくる。
「そうなんだ?俺は観覧車自体は乗ったことあるけど、ここのは初めてだよ。これ、国内でも結構大きい方らしいから、きっと上からの眺めは相当良いんじゃないかな?」
雅耶は、ワクワクした様子で上を見上げた。
それにつられるように夏樹も視線を上へと向けるが、その目の前にそびえ立つ、観覧車のあまりの大きさに思わず圧倒されて、慌てて視線を戻した。
「………」
(高さのことは、あまり考えないようにしよう…)
今まで十六年間生きてきて、自分でもずっと知らずにいたことなのだが、どうやら自分は少し高い所が苦手なようだ。
つい先程乗った、別の乗り物でそのことに気付いたのだけれど。
だからと言って観覧車には乗ってみたいと思うし、恐怖心よりは好奇心の方が遥かに大きい気がする。
何より見るもの乗るもの全てが新鮮で、楽しくて仕方がなかった。
(でも、それはやっぱり雅耶が隣にいるから…なんだろうな…)
何気なく隣に立つ雅耶を見上げた。
雅耶と一緒なら、きっと何処にいても楽しくて。
少しぐらい苦手なものだって、きっと平気だと思えてしまうのだろう。
自分の目の前に優しく差し伸べてくれる、その大きな手に繋がれていたら…。
きっと、怖いものなんかない。
(でも、それって…何だかすごい…)
とてもじゃないけど、本人には恥ずかしくて言えないな…と、心の中で苦笑している所に、自分達の番はやって来て。
繋いだままの手を優しく引いて前を歩いてくれる雅耶に慌ててついて行くと、何とかそれに乗り込んだ。




