‐3‐ ナミダの本音
「ごめんな…。『俺が一緒にいるから大丈夫』なんて言っときながら…。ホント最低だよな…」
自責の念に駆られて、雅耶が思わず足を止めた時。
不意に前方から上級生が数人歩いて来るのが見えた。
その足取りは何処か重く、何故か皆が妙に憔悴しきっている感じだった。
(何だ…?)
その様子に違和感を感じて、雅耶は建物の陰に入って様子を見ることにした。
上級生達が横を通過して行くのを待つ。
すると近付いて来るにつれ、彼らの会話が聞こえてきた。
「…チッ…マジ、信じ…られねぇよ…」
フラフラになりながらも、仲間の腕を肩に掛けて担ぎながら歩いている男が苦しげに呟いた。
すると、別の一人が項垂れたまま言葉を返す。
「…ホント、マジやってられねェよな…。誰だよ…。あの子利用してあいつ呼び出そうなんて言い出したヤツ…」
「ハンパねぇよ…。何なんだよ…あいつら…」
明らかに痛めつけられた感一杯の五人組。
皆が足元を見てふらふらと歩いているので、こちらには気付いていないようだった。
そんな彼らを横から見送りつつ、雅耶は首を傾げた。
(あいつら…?って誰のことだ?)
『あの子』利用して『あいつ』を呼び出す…?
それを考えた時、雅耶の中にある可能性が浮かんだ。
「なぁ、夏樹?お前…もしかして、また絡まれたりしたんじゃないのか?」
電話の向こうの夏樹に問うてみると、ずっと泣いているだけだった夏樹が小さく口を開いた。
『…っ…笑っちゃう、だろ…?進歩…なくて…っ…』
半分、泣き笑いのような…夏樹の声。
だが、それは先程の質問に対しての肯定を意味しているのか。
「夏樹…?まさか、何かされたんじゃ…。怪我とかしてるんじゃないのか?」
心配になった雅耶は再び足早に裏庭へと向かった。
(でも、よく考えてみたら…さっきの奴ら、見覚えあるかも…)
以前、『冬樹』と力に屋上で絡んで来たっていう上級生集団とメンツが同じだったような気がする。
『冬樹』に手出ししてくるような輩だということで、どんな奴等がいるのか雅耶はしっかり顔をチェックしていたのだ。
(あの時も、あいつら五人を夏樹一人で伸したって言ってたし…。さっきのあの様子だと、そんなに腕っぷしは強くはないんだろうけど…)
それでも、今のあいつは女の子なんだ。
あいつらの出方だって男を相手にする時とは違う筈だ。
(でもまぁ…さっきの会話の感じだと、女だと思って逆に油断してやられたって感じか?)
そんなことを頭の端で考えていた雅耶に、夏樹が言葉を続けた。
『怪我なんか…してない…。してない、けど…っ…』
「けど?」
『……っ…』
「おい、夏樹っ?まさか、他に何か酷いことでもされたのかっ?」
変に深読みして焦る雅耶に、夏樹の苦しげな切ない声が耳に届いて来た。
『…痛い、よ…』
「えっ…?」
『胸が…痛くて…。…苦しい…よ…。……っ…』
語尾は掠れて、再び嗚咽が漏れるのを押さえているような苦しげな息遣いしか聞こえて来ない。
「…っ…くそっ!」
電話で話してても埒があかない。
「夏樹っ!電話切るぞ!」
雅耶はそれだけ言って一方的に電話を切ると、猛ダッシュで校舎の横を駆け抜けた。
本気で走って行けば夏樹のいる裏庭までは、あと僅かだった。
痛くて痛くて、苦しくて。
夏樹は、痛む左胸部分を右手で握り締めて俯いていた。
「……っ…」
『電話切るぞ!』
珍しくイラついた様子の雅耶の声と共に、通話は途切れた。
それを頭の端で理解しつつも、左耳に当てたままの携帯を暫く離せずにいた。
(…まさや…。きっと、怒ったんだ…)
オレがいつまでも、女々しいから…。
当たり前だ。
こんな自分…飽きられて当然じゃないか…。
「…う……っ…」
ぼろぼろと溢れ落ちてくる涙。
もう声を抑えることも儘ならず、ただ泣くことしか出来ない。
とうとう携帯を耳から外すと、それを両手で握り締めて額に当てたまま俯いて泣いた。
――その時だった。
突然、ザァーーーーっと、一陣の強い風が吹き抜けてゆく。
木々は大きくざわめき、多くの枯葉が周囲を舞った。
夏樹は、膝の上に乗せたままでいたマスコットを風に飛ばされそうになり、慌てて咄嗟にそれを掴むと堪えるように目をつぶった。
ザァザァと揺れる木々の音が静まってきた頃、夏樹はそっと目を開いた。
すると、いつの間に現れたのだろうか。目の前に人が立っていた。
俯いているので、視界にはその人物の足元だけが見えている状態だ。
「……っ…?」
夏樹は驚きの余り、咄嗟に涙に濡れたままの顔を上げる。
すると、そこにいたのは――…。
「……まさや…」
全速力で走って来たのか、雅耶は息を切らせてそこに立っていた。
「どうして…」
泣き顔を曝していることも忘れて、夏樹は瞳を大きく見開いたまま雅耶を見つめた。
雅耶は真剣な表情のまま、目の前に立って自分を見下ろしている。
そうして、ゆっくりと息を吐くと言った。
「こんな所で、一人で泣いてるなよ」
「…雅耶…」
途端に夏樹は顔を歪めると、再び俯いて涙を零した。
「どうしたんだよ…夏樹?いったい何があったんだ?」
優しい雅耶の声が頭上から聞こえてくる。
それだけで、また胸が苦しくなって痛みが増して来るようだった。
「……っ…」
「何処か、痛めたのか…?」
こちらを気遣ってくれる雅耶の言葉に、夏樹は俯きながらも首を左右に振った。
そんな夏樹の様子に雅耶は一度だけ小さく息を吐くと、今度は夏樹の前にしゃがみ込んで目線を合わせるように顔を覗き込んでくる。
「でも…何処か痛いんだろ?どうして泣いてるのか、ちゃんと話してくれよ。…でなきゃ分からないだろ?」
肩を震わせて涙を零し続ける夏樹が落ち着くのをそのまま静かに待っている。
夏樹は零れる涙はそのままに、何とか言葉を口にした。
「…何でも、ないんだ…。ただ…オレ…っ、自分が許せなくて…っ…。ホントにそれだけ…っ…」
拭うことなく涙をぼろぼろ零して話す夏樹を、雅耶は切なげに見つめていた。
「許せないって、何で?お前、何も悪いことしてないだろ?」
諭すように優しく声を掛ける。
すると、夏樹が再び左右に首を振った。
「ダメだよ…。だめ、なんだ…。どうしても…オレ…女の子らしくなんて、なれなくて…」
「…夏樹…」
「前に…進まないと…ダメなのに…。これで、元通りの…はずなのに、オレ…いつ、までも…中途半端で…っ…」
胸の前で祈るように手を組んで、何かを両手に握り締め、苦しげに呟いている。
「何でだよ?そんなことないだろ?お前…頑張ってるじゃないか。ちゃんと新しい学校でも友達作ったりさ。お前は良くやってると思うよ」
そう、夏樹は頑張っている。
あんな事件があった後、落ち着く間もなく『冬樹』から夏樹へと戻ることになり、転校を余儀なくされても全てをその身に受け止め、努力してきたのだから。
ずっと願い続けてきた兄の冬樹と念願の再会が出来た後も、冬樹の方は今までずっと面倒を見てくれた後見人の元に残ることを決め、結局夏樹も今まで通り、一人きりの生活をしている。
本当なら、もっと一緒に過ごしたいという願いもあった筈だ。
だが、夏樹は笑って言った。
『ふゆちゃんの希望だもん。良いに決まっている』…と。
『それに、いつでも会いに行けるから…。それだけで十分なんだ。今までの寂しさに比べたら、ふゆちゃんが笑顔でいてくれる。本当にそれだけで十分』
だが…。
――本当にそうだろうか?
当然、寂しくない訳がない。
確かに、全ての家族を失った悲しみからは浮上出来たかもしれない。
自分のせいで兄を失ってしまったという罪悪感、そして後悔の念からは解放されたのかも知れない。
だが、全てが元通りの生活になった訳ではない。
結局のところ、あいつの生活自体は変わらないままなのだから。
だが、夏樹は前を向いて笑っていた。
自分の気持ちのこととなると本当に疎い、夏樹。
だが…。
今、目の前で泣いている夏樹は…。
(この、泣きじゃくっている夏樹こそが、お前の本音の部分なのかも知れないな…)
雅耶は、夏樹のその震える細い両肩を優しく掴むと、言い聞かせるように優しく声を掛けた。
「お前がどれだけ頑張って来たか、俺は知ってる。焦ることなんてないんだ。お前はお前のままで良いんだ」
だが、夏樹は納得していない様子で再び首を横に振ると、涙に濡れた瞳をこちらに向けて言った。
「だって、オレ…最低なんだっ。ふゆちゃんが生きていてくれて…ふゆちゃんに会えて、本当に…嬉しかったのにっ。それなのに…。成蘭に来て思ったんだっ…。オレ…『冬樹』でいた時の方が良かったって…。冬樹で…いたかったって…。本当は、ずっと…成蘭にいたかった…っ…」
「…夏樹…」
「ずっと…雅耶の隣にいたかった…。ずっと…一緒に、笑っていたかったよ…」




