‐2‐ 心のスキマ
(…力のヤツ、信じらんないッ!)
賑わう人混みの中を、夏樹は一人歩いていた。
無礼な言動は既に論外だが、結局力が来たせいであの場所を離れることになってしまった。
本当のところは特に移動する必要などないのだが、夏樹は力が苦手なので、殆ど条件反射的なモノであった。
男同士の時は、まだマシだったような気もしたが、やはり昔からの苦手意識は自分の奥底に根付いているようだ。
(何より、あのデリカシーの無さ!最低だよ。あーいうのは、少しくらい痛い目みても解んないんだろうな…)
力が口にしていた『奪われちゃったファーストキス事件』そのものが、この苦手意識を生んでいる根本にあることなど気付きもしないのだろう。
(でも、これからどうしよ…。何処か時間潰せる場所ってないかな…?)
このまま一人で校内を歩き回る気にはならなかった。
少し開けた通路の横でとりあえず夏樹は足を止めると、プログラムを眺めて場所探しをする。
すると、目の前を見慣れた成桜の制服を着た女生徒が二人通り掛かった。
(あれは…生徒会の…。もしかして、会議…もう終わったのかな?)
そう思って様子を伺っていると、二人の会話が耳に届いて来た。
「…でもさー、早乙女さんとあの成蘭の男の子…。超イイ雰囲気じゃない?」
(早乙女さんと…男の子…?それって…もしかして――…)
思わず聞き耳を立ててしまう。
「ああ。あの背の高い一年生の子でしょう?えーと…確か、久賀くん?って言ったっけ?」
(…やっぱり…。雅耶のことだ…)
立ち尽くす夏樹の耳には周囲の喧騒は消え失せ、その二人の会話だけが妙にリアルに届いて来るのだった。
「そうそう。私さー、早乙女さんのああいう所初めて見たよ。普段はしっかり者のイメージで、皆が早乙女さんに頼りきってる感じあるけど、男の子にはあんな風に甘えたりするんだねー。ちょっと意外だったなぁ…」
「あー…まぁ確かに。でも、何だかお似合いの二人じゃない?あの二人を見てたら、年下彼氏も良いなァなんて思っちゃったよ」
「良いよねーっ!私達も頑張って探しちゃいますかーっ?」
「あははっ良いね、それー…」
「………」
楽しそうに会話を弾ませている二人を見送って。
夏樹は一人、その場に呆然と立ち尽くしていた。
『お似合いの二人』
その言葉に、先日ROCOで笑い合っていた二人の姿が頭を過ぎる。
(…確かに、お似合い…なのかも知れない…)
そこで、ふと…不意に聞いたことのある声がして、夏樹はそちらを振り返った。
その視線の先には――…。
(――早乙女さん…)
花のように綺麗な笑顔。
数人の成蘭と成桜の生徒達に囲まれて、何か笑い合っている。
皆が何処かへ向かって歩いて行く中、彼女は一人立ち止まって後ろを振り返った。
「ほらー、早く早くっ」
そう言って後から来た人物の腕に、その腕を絡めると綺麗な笑顔を浮かべながら強引に手を引いて行く。
(――まさや…)
腕を組まれて、引っ張られているのは雅耶だった。
雅耶は、片手に持っていた携帯をしまうと、困ったような笑顔を浮かべながらも皆と一緒の方向へ歩いて行ってしまった。
そこで不意にポケットに入れていた携帯が、メールの着信を震えて知らせて来る。
夏樹は俯きながら何気なくそれを開いて確認すると、小さく息を吐いた。
そこには雅耶からのメールが一通、届いていた。
『ごめん、抜けられそうもない。今度必ず埋め合わせするから』
賑やかに場を盛り上げる音楽。大きな呼び込みの声。
そして弾む会話。楽しげな笑い声や、はしゃぎ声。
それらの喧騒、何もかもが耳障りで耐えられなかった。
自分でも、気持ちがマイナスに落ち込んでいることぐらい解ってる。
でも、どうにもならなくて。
とにかく、その人混みから逃れたかった。
(なにやってるんだろ…。オレは…)
気が付けば、学園祭とは無縁の静けさが広がる裏庭まで来ていた。
遠くから音楽や声が僅かに聞こえてはくるものの、ここは冷たい風に吹かれた木々がカサカサと乾いた音を立てているだけだ。
夏樹は周囲を見渡すと、近くにあった割と綺麗めな花壇の縁へと浅く腰掛けた。
途端に、思わず溜息が漏れる。
(こんな場所に一人で…。いったい何しに成蘭まで来たんだって感じだよな…)
別行動になった友達を責めている訳じゃない。
皆が楽しみにしていた学園祭…。大いに楽しんで欲しいと思う。
皆の恋も上手く実ってくれたら良いなと、本当に心からそう思っている。
ただ――…。
こんな気分になってしまっている自分に呆れているのだ。
(雅耶は仕事なんだ。抜けられないのは仕方ないだろう?)
そんなの納得している。…している筈なのに。
雅耶の隣に並ぶ、早乙女さんの綺麗な顔が頭から離れない。
腕を絡ませて笑顔で歩いて行く二人の姿が、目に焼き付いていて…。
胸に嫌な痛みを引き起こさせる。
「……っ…」
『ヤキモチ妬いちゃうのは別に悪いことじゃない気もするけど。俺は、寧ろ夏樹にヤキモチ妬いて欲しいし…』
『ヤキモチを妬くってことは、それだけその相手のことが好きだからだろう?』
先日、雅耶が言っていた言葉だ。
(――でも、イヤだよ。オレは嫌だ…)
こんな…醜い気持ちは、知らない。
胸の奥が痛くて、苦しくて――…。
何故だか、涙が出て来そうだった。
オレは以前…冬樹の時、男同士の『友人との距離感』と『男女の距離感』の違いに気付いたことがある。
あれは雅耶が唯花という女の子に告白され、返事を保留のまま少しの間付き合っていた時のことだ。
その時、彼女が何気なく雅耶の横にぴったりと寄り添って並んで歩いているのを見て、『男同士』と『男女』との違いを見せつけられたような気がしていた。
男同士でそんなにくっついていたら、流石に違和感がある。…っていうか気持ち悪いだけだ。
でも、男女なら…。たとえ『恋人同士』でなくとも、それが女の子だというだけで、そのテリトリーに入り込めてしまうのだ。
その時は、きっと可愛い女の子に慕われたら、男なら誰だって悪い気はしないのだろうと、客観的に見ていた。
僅かな羨ましさを感じながらも…。
それは、先程の早乙女さんと雅耶にも当てはまることだ。
腕を組んで歩く、その距離感。
ずっと、それは女の子だから出来ることなのだと思っていた。
女の子の特権なのだと…。
――でも、違う。
だって、自分には出来ないことだから…。
唯花ちゃんのように甘えて寄り添い歩くことなんて出来ない。
早乙女さんのように可愛く自然に腕を絡めることなんて出来ない。
そんな、可愛い甘え上手な女の子になんてなれないのだ。
未だに男言葉も抜けない、中途半端な自分…。
素直に自分の気持ちすら言葉に出来なくて、優しい言葉を掛けることも、女性らしい気遣いも皆無な自分…。
今の自分は、以前の『冬樹』として過ごしていた自分ではない。
でも、女の子としての『夏樹』にもなりきれていない。
成蘭にいると、中途半端な自分を思い知らされて、疎外感ばかりが募って行くような気がした。




