‐2‐ 姉のような存在
夏樹は現在、1DKのアパートにひとり暮らししている。
先日八年振りに再会した兄は、今は遠くの島暮らし。
実は歩いて行ける距離の所に、昔家族で住んでいた実家もあるのだが、色々あって今その家は誰も住んでおらず、そのままになっている。
前は独りぼっちを実感してしまうのが怖くて家を避けていたのだが、今では然程抵抗もなくなったので、その内戻ることも検討中だ。
机代わりに使っている小さな折り畳み式のテーブルを挟んで、二人でお茶しながら取り留めのない会話に花を咲かせる。
ずっと男として生きて来た夏樹には、女友達はいない。
それに、ずっと正体を隠して人との関わりを避けてきたこともあり、心を許して話せる友人そのものも少なかった。
だから、こんな風に話が出来る清香は夏樹にとって、とても貴重な存在なのだ。
清香は夏樹にとって、何でも話せて頼りになる姉のような存在だ。
清香と親しくなったきっかけは、夏樹が熱で保健室へと運ばれた際に女であるという秘密を知られてしまった、ある意味ハプニング的なものからであった。
だが、清香は事情を知った上で、夏樹の想いを汲んで秘密を守ることを約束し色々とサポート役に回ってくれた、当時唯一の理解者だった。
家族を失い、秘密を抱えていることで他人との関わりを避けて過ごして来た夏樹にとって、そんな清香の存在は絶大で。
自分を偽らずに何でも話せる場所…。そして、清香の優しい人柄に影響を受け、夏樹は徐々に周囲にも心を開いていけるようになったのである。
それに、これは余談だが…。二人は高校で初めて出会った訳ではなく、実は実家が近所同士の顔見知りだった。
歳が離れていることもあり、あまり関わりはなかったのだが、夏樹の幼馴染みの姉が清香と親しくて、一度だけその幼馴染みに連れられて『近所のお姉さん』の家へ遊びに行ったことがあったのだ。
お互いにその友人を挟んで会っただけだったので、微かな記憶しか残ってはいなかったのだけれど。
でも、それらも含めて清香との出会いは、今の自分にとって必然的なものだったと夏樹は思っている。
大切にしていきたい、落ち着ける場所なのだ。
「…そう言えば、雅耶とは連絡取ってるの?明日転入のことも話してたりする?」
さり気なく清香から振られた話題に、夏樹はミルクの入ったカップを両手に持ちながら素直に頷く。
「うん、一応…。昨日電話で…だけど」
そこまで言うと、清香は嬉しそうに笑った。
「ふふ、そっか。今部活はどこも大会続きで忙しそうだものね」
「そうみたいだね」
『雅耶』というのは、夏樹の実家の隣に住む幼馴染みの少年だ。
過去に、夏樹と清香を引き合わせたのも彼である。
久賀雅耶は、夏樹とは同級生で、現在清香が保健医を務める成蘭高校に通っている。
雅耶は夏樹と兄の冬樹と共に、いつだって一緒に過ごして来た、まるで兄弟のような存在だった。
家が隣同士で互いの母親同士が仲が良く、いつも家を行き来していたこともあり、三人は物心ついた小さな頃から一緒に育ってきたのだ。
だが例の事件後、夏樹は『冬樹』として、親戚の家に引き取られてしまった為、雅耶とは離れ離れになっていたのだが、高校入学を機に、この街へと戻って来た夏樹は、偶然にも高校で雅耶と再会を果たしたのだった。
再会した当初は、実は色々とぶつかることもあったのだが、今では雅耶も夏樹の良き理解者となっている。
「ね、本当の所はどうなのか、聞いてもいい?」
にっこりと笑顔を向ける清香に、夏樹はキョトンとすると首を傾げた。
「…え?何のこと…?」
「夏樹ちゃんと雅耶って…付き合ってるの?」
「へ…?」
思わぬ質問に、不意打ちを食らった夏樹は顔面を真っ赤に染めた。
その初心な反応に、清香は笑みを深くする。
「いいなぁ、可愛い反応っ♪」
「…清香先生…。からかわないでよ…」
真っ赤になりながらも「別に、付き合ってるとかっていうんじゃ…」…と、口籠っている夏樹に、清香は優しく微笑んだ。
「別にからかってる訳じゃないのよ。だって、私…嬉しいんだもの」
「…嬉しい…?」
「そう。二人を見てるとね…本当に良かったなぁって思うの。あのまま、夏樹ちゃんがずっと『冬樹くん』のままでいることにならならずに良かったって、実感してるのよ。二人とも、今すごく良い顔してるもの」
そう言って、まるで自分のことのように喜んでくれている清香に夏樹もつられて微笑みを浮かべた。
「雅耶が夏樹ちゃんのこと好きなのはミエミエだから、夏樹ちゃんはどうなのかなーって思っていたの」
(――み…みえみえ…?)
笑顔の清香の言葉に耳を傾けながらも、夏樹は思いを巡らせた。
実際、雅耶は自分のことを好きだと言ってくれた。
昔から、ずっと…。夏樹が事故で行方不明になってしまっても、その気持ちを変わらず想い続けていてくれた、と。
そして雅耶は、オレが冬樹を演じていることに途中で気付いても、そんなオレを認めてくれて…そして、いつだって守ってくれていた。
そんな雅耶に、オレは本当に感謝の気持ちしかなくて。
その優しさが嬉しくて、切なくて…。
この気持ちを何て言ったらいいのかは分からないけど、とにかく『大切』なのだと思っていた。
「オレ…雅耶のこと、好きだよ。すごく、大切だって思ってる…。でも、付き合うってどういうことなのかイマイチよく分からなくて…」
夏樹は自分の思うままを口にした。
すると、途端にツッコミが入る。
「…夏樹ちゃん、一人称が『オレ』に戻ってる…」
「あっ!違う!『ワタシ』だった…」
つい、これまでの癖が出てしまい慌てて訂正をする。
一生懸命『私』という言葉を頭に叩き込んでいる筈なのに、つい…ふとした拍子に、癖で『オレ』と言ってしまうのだ。
「…駄目だ、つい癖で…」
思わず頭を抱えている夏樹に、清香はクスッ…と笑みをこぼすと、「大丈夫。すぐ慣れるわよ」そう言って、慰めるように肩をポンポンと叩いてくれる。
「でも、そうね…。雅耶とのことは、そんなに特別意識する必要はないのかもね。夏樹ちゃん自身が感じてるその気持ちを大切にしていけば良いんだと思うな」
そう言って微笑む清香に。
雅耶への気持ちを他の人に話したことなどなかった夏樹は、何だか妙な照れくささを感じながらも、そんな温かな言葉が嬉しかった。