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私たちは再び地下室の入り口に立った。
「この地下室が洞窟につながっているんですか?」
「そうです。それですみません。ここは断崖の上なんですが、洞窟は海面ぐらいの高さにあるので、階段にして二百五十段ほど降ります」
「へ?あの、降りる時は大丈夫だと思いますけど、登る時は大変ですよね。犬に追いかけられたら逃げられないんじゃないかな」
「大丈夫です。犬は自分が守っている場所から離れません」
それから翠は私のショルダーバックを見て言った。
「あの、たぶん荷物は置いていった方がいいです。お持ちになっているのは本ですか?」
「あ、これ?教科書とか。実は今日は……。あのいつも勉強をしようと。ははは」
親に塾に行くと嘘をついてきたとは言えなくてちょっと困ったけれど、たしかに二百五十の階段を降りて、その後上がってくるなら教科書とか持って行く事はない。私はショルダーから勉強道具一式を取り出して、彼が呼んだメイドさんに渡した。
「携帯も置いていった方がいいと思います。水がかかるかもしれませんから」まあ、それはそうだ。どうせ圏外だし、犬と戦う時に壊れたら嫌だから。
でもその言葉を聞いた瞬間、また「このまま地下で監禁されちゃうんじゃないか」という思いが頭をかすめた。でも、ここまで来て行ってみないわけにはいかないだろう、と覚悟を決める。
階段は木でできていて、前後の踊り場を挟んで規則的に七段づつ。全ての踊り場に裸電球が吊るしてある。
「階段は木なんですね」
息を切らして階段を降りながら、私は話しかけた。
「はい。長い竪穴を掘って、そこに木の階段を付けているんです」
「しかし、よくこんな地中深い所にある洞窟を見つけましたね」
「祖父に予知能力があったので見つけられたんですよ」
「え?でも地中深いじゃないですか」
「実は、洞窟の入り口は海底なんです。私は海からでも行けますけど。鈴木さんは無理でしょ?」
「ははは。無理です。あの、私の事は千方って呼んでください」
「じゃあ、私の事は「すい」って呼んでください」
「え?翠さんでしょ?」
「いいえ。本当の名前は翠なんです。翡翠の翠。「あきら」と同じ字を書いて」
「水鬼だからですか?ははは」
「それは本当です。水鬼だっていう自覚を常に持てという事です」
「でも、こんな深い竪穴をどうやって掘ったんですか?」
「祖父は油田掘削のコンサルタントをやっていましたから。掘削機を借りてきて、こっそり掘ったんじゃないでしょうか」
「ははは」
「祖父の話では、本当は予知能力で油田を見つけて、後からデータを捏造して売っていたそうです。ロシア人に」
「へえ。それはお金持ちになるわ……」
そんなゆるい話をしている間に、階段は終わり、まわりの壁も石壁ではなくごつごつした天然の洞窟の壁になった。翠が階段の手すりの支柱が外れかかっている所を見つけて、バキっとそれを引き剥がす。
「こんな物、何にも役に立たないんですけど。一応、持って行きましょう」
一メートルぐらいの丸い木の棒だ。握りやすいけど。まあ無いよりはまし程度。
「え?大丈夫かな?この棒を外したら階段が全部崩れちゃうとか……」
「ははは」
「あの、ここで電気が消えたら困りますね」
「そうなったら私がなんとかします」
「え?どうやって?」
「ははは。懐中電灯を持ってきましたから」
洞窟は想像していたより広く、天井は五メートルぐらい。幅も五メートルぐらいあった。たしかに潮の匂いがする。
翠が洞窟の奥の方の大きな水溜りを差して言う。
「あそこが海につながっている所です。今は満ち潮なんですけど、引き潮になるともう少し下まで見えます」
「で、犬はどこにいるんですか?」
「あの海の口が開いている所の向こう側です。一旦洞窟は狭くなるのですが、そこを抜けると広場のようなところに出ます。そこに犬がいます。でもその前に、さっき言わなかった話をしなければなりません」
「え?」
「千方さんなら封印を解けるかもしれないという話です」
「……」
「水鬼の一族には……」
その時に洞窟の奥から「うぉ~」という叫び声が聞こえてきた。
「今のが犬の吠えている声です」
「えええ?なんかすごそう」
「もう我々が来た事に気がついたんですよ」
「う~ん、怖いなあ。……ところで水鬼の一族って、何人くらいいらしゃるんですか?」
「もう僕一人になってしまいました」
「…………」
「水鬼の一族には、……一族の存亡が掛かかるような問題に直面する時、人間の中から強い霊力を持った啓主と言われる人が現れて、一族を導くという言い伝えがあります」
「え?もしかして私がその啓主とかいう者だと思っているんですか?ははは。どうしてですか?」
「誕生日に声をかけてくる人がそうだと、祖父が言っていました」
「はあ???」
「僕はとてもうれしいです。祖父の話を聞いた時からずっと気にしていましたから。どんな人なんだろうって。まさかこんなにすてきな人だとは……」
それを聞いて私は顔が火照るのを感じ、つい言ってしまった。
「よし、行こう」