序章 出会い
もう一年も前の話になる。高校に入ってすぐ、私は翠に出会った。そしてすぐに自分の人生を決める選択を迫られた。これはあまりにも早すぎるだろう、と思った。
隣町の高校に通う電車は一両編成だったので(笑)、毎朝乗る乗客は全員顔見知りだ。もちろん名前は知らないけど、毎朝一駅十分の間、旅路を共にする面々だ。
そして六月のある日、私が電車に乗ると初めて見る男の子が乗っていた。四人で腰掛けるボックスの窓側に座ってぼーっと外を見ている。私は車両に乗るとすぐにその子に気がついた。さらさらの髪、田舎には珍しい白い肌。華奢な身体つきの男の子だった。たぶん同じ年ぐらい。しかし私服を着ていて通学途中には見えない。「へえ、初めて見るなあ。都会から来た観光客かな?綺麗な顔だなあ」と心の中でつぶやく。たまたま空いている席がその子のまん前しかなかったので、恥ずかしいからドアの所に立っていようかと一瞬迷ったが、とりあえずその席に座った。まあ観光客だろうから一度しか会わない。それなら眼福で……と。近くでちらっと見ると、つくづく美形の顔だ。でもちょっと心配そうな顔で外を見ている。「う~ん、観光客じゃないのかなあ?カバンも何も持っていないし」
駅に着いて私が降りる時、その子はまだ窓の外、駅のホームを見ている。まだ先まで行くのだろう、と思った。で、私はここでちょっと失敗をしてしまう。ドアに向かって電車の通路を歩く時に、その子の方を振り返った。心配そうな様子が気になって、じゃなくて美形の顔をもう一度見たいという誘惑に負けて。そうしたら、その子は私の方を見ていたので、眼が合ってしまった。恥ずかしい。窓の外を見ているとばかり思ったのに。で、その時その子が私に向かってにこっとした。
授業の間中、そして家に帰っても、その子の事が気になった。だって私が降りる時に私を見ていたんだから。その子の笑顔は何でだろう?でも考えてもどうしようもないよね。一期一会だ。
* *
翌朝、ちょっとだけ早く駅に行った。ホームで電車を待っている間、何度も自分に言い聞かせる。まさかあの子は乗ってないよね、乗っていなくてもがっかりしないようにと。
しかし、その子は乗っていた。昨日と同じ席に。「えええ?神様ありがとう」これが、正直な気持ち。でもメアドとか聞くわけじゃあないんだけどね。この日はその子のいる四席のボックスは埋まっていて、私はドアの所に立って遠くからその子を見ていた。やはりぼーっと外を見ている。そして駅に着いて、私は降りた。
昼休みに沙紀に相談した。中学の時からの親友。もしも進展しそうな話ならしばらく相談しなかったかもしれないけれど、絶対に進展しそうにないから、可愛い男の子を見たという自慢だけでもしておきたい。ははは。
すると沙紀は唐突に両手を私の方に差し出して私の顔をじっと見つめる。しょうがないなあ。私はカバンからKitKatラムレーズンを出して沙紀の手に乗せた。東京の叔母さんが送ってくれたんだぞ。
「へえ。男子に全然興味がなかったのにねえ」
沙紀がKitKatの小さな袋を開けながら言う。
「それはこの学校の男にいいのがいないって事だよ」
「でも二日とも同じ電車に乗るなら観光客じゃないでしょ。また明日もいるんじゃない?」
「う~ん、でも通学には見えないんだけどね」
「もし明日会ったらどうするの?」
「別に、どうもしないよ……」
「メアド聞いてきなよ?聞かないと絶対後悔するよ。聞くは一時の恥。聞かずは一生の恥」
「それ違うでしょ、意味が。……電車で二~三回見かけただけでメアドいきなり聞けないよ」
「なら、話しかけたら?『あの、一昨日からですよね?通学ですか?』って」
「ムリムリムリムリ。絶対無理だよお」
「大丈夫だよ。その子だって千方を見て微笑んだんでしょ?」
「……それは私が後ろを振り返ったからだよ」
「あのさあ、私の勘だと明日が最後だよ。四日目は無い」
「……」
「仏様が言ってるよ。私の顔も三度までだって」
「……もう、沙紀に言うんじゃなかった」
「じゃあ、友達サービスで明日一緒に電車に乗ってあげようか?」
「え?どうやって?」
「敷間まで朝早く行ってあげるよ」
「うそお?」
「それで一緒に電車に乗ろう」
「いいよ。そんな事」
「私も見たい、その子。それで千方が声をかけないんだったら私がかける」
「やめてよ、そんなの」
「じゃあ一人で頑張りな。いい?明日が最後のチャンスだよ」
しかし私は声をかける気なんて全く無かった。沙紀と話していてある事を思い出してしまったから。「沙紀、思い出させてくれてありがとう」つまり、沙紀はけっこう可愛いけど私は別に普通だから。日焼け顔の、どこにでもいるような田舎の高校生だ。沙紀のように可愛ければそういう選択肢もあるんだろうけど。